幻の薔薇のレビュー・感想・評価
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最初『情婦マノン』を思い出した
単純な個人的物欲の顛末を描いた話では無いと思う。
最初、情婦マノンを思い出した。でも、終わりが現代になっている。それで、アレ!と感じた。人間の欲望の破滅ではなく、
これから社会の行く末をこの監督は描きたかったと僕は確信した。では、何のこれから?
情婦マノンの終わり方を連想して、資本主義の終焉じやないかと感じた。
全ての物をお金に置き換え、社会はそれを元に回っていく。つまり、人間の性がそれに重なると、物欲と言うものが生まれ、終止がつかないまま育って行く。終わりは何処にあるのか?
それは、過去の事ではなくこれからの事。戦後のフランス社会に生を受けた一人の女性の半生を題材にして、資本主義の終焉を描きたかったのでは無いだろうか?道に迷うな姿はまだ終焉は迎えていないのだろう。僕は単純にそう解釈した。
解釈は兎も角、傑作だと思う。
「物質」が象徴する幸せ
『美しいひと』『美しき棘』で不機嫌な十代を演じてきたレア・セドゥが今作で演じるのは新婚の若き人妻マージョリーヌ
舞台は1950年代のフランス。
若く美しいカップルの船出は、戦後のフランスの新しい時代と重なる、
日本の高度成長期がそうだったように、戦後のフランスも人々が明るい将来を夢見ることが許された時代だったのだと思う。
新しい商品が発売される電化製品、便利なアパート、美しいインテリア。
それは、マージョリーヌの描く“幸せ”の象徴でもある。
一方、レジスタンスの英雄だった夫ダニエルは祖父が残した田舎の家に住み、代々栽培している薔薇の新種を作りたいという男。
二人の思い描く“幸せな結婚生活”は大きくすれ違ってしまった。
レア・セドゥは前二作にくらべると大分様々な表情を見せてくれるが、この人は無表情、あるいはアンニュイな表情の方が断然画になる。
今回も脱ぎっぷりは素晴らしいし(美しい足の裏まで見せてくれる)、50年代ファッション、ウェディングドレス姿も見せてくれる。
レア・セドゥ鑑賞映画に認定!
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