「知って生きるということ」イーダ シーナマサヨシさんの映画レビュー(感想・評価)
知って生きるということ
静かで、厚く、息苦しく、鮮やかな、二人の女性の「見知らぬ過去」と「おいてきた過去」を
たどるロードムービー。
人は誰しも「自分が何者なのか」という問いを抱え続けている。
まして修道院で育ち、自分の親も家族も知らない若い女性なら、その疑問は生きていく上での
避けて通れない命題となる。
人は誰しも「あの時の選択が正しかったのだろうか」という置き去りにした過去の結末を
知りたいと渇望する。
生きていく上で、それを解決しない限り時の流れとともに人生を前に進めていくことができない。
孤児として修道院で育ったイーダと、その叔母。二人はそれぞれの過去を知り前に進むために旅にでる。
人が生きていく上で「見知らぬ過去」が存在すること、それは人生の時の流れを滞らせる錘となる。
人は当たり前に時の流れとともに、人生を前に前にと生きていきたい。
だから「見知らぬ過去」を知らねばならない。
二人はそれぞれの「見知らぬ過去」を知るために旅にでる。
叔母はそれを知り、絶望する。
イーダはそれを知り、絶望した叔母の人生を取り込んだうえで、自らに体験を問う。
ジョン・コルトレーンの「Naima」に乗せて、あらゆる「初めて」を自分がどう受け止めるのかと。
https://www.youtube.com/watch?v=QTMqes6HDqU
もし自分が親の顔もなぜここで生きざるを得ないのかも知らず日々を過ごすとしたら
今と同じ心のテンションで生きることができるか。
自分が切り離した枝としての「過去」のその先を知らずに、心穏やかに生きることができるか。
「過去」と「今」と、あるかわからない「これから」を探す女性二人の生きざま。
それをモノクロでくっきりと切り取った、誠実な作品。
無理くり休みを取ってまで最終日に駆け付けた価値のある、沁みる作品。