アデル、ブルーは熱い色のレビュー・感想・評価
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感想
始まってすぐいいなと思った。
ただの日常を映してて見てて心地いい。
後に、彼女と会って日常に起こる変化がわかりやすい。
・場面ごとの感想、自分の整理
最初に付き合う男の子はかっこよくて、会話もしやすい。すぐに体の関係をもつのは驚いたけど、試したかったのと嫌ではなかったからで、でも、恋焦がれるような好きではないとわかってしまう。
友達と階段でキスするところ、すごくいいなと思った。探るような会話で少し期待があってキスする…。いいね。ここまでは…。
その気になって、トイレで大恥かいて死にそうになって、なんだよそれっ!て私もなった。
夜中のバーはキスしてる人がたくさんいて私も驚いてしまうと思う。主人公未成年には刺激が強い。中盤を思うと序の口だったけど。
バーでの会話は何がいいか言葉にできないけどなんかよくて目線とか少しずつ話す感じが魅力的なシーンだった。
学校でプライベートを根掘り葉掘り聞く友達は、うざくて声も大きくて厄介。自分の主張の揺るがなさとその主張で捩じ伏せようとしてくる。
性的に見られるのは不快なのわかるけど、全然そんなふうに見てないのに、被害者づらして最悪。
同性愛も異性愛も体目当ての人はいるだろうけど、彼女の心配の仕方はレズビアンへの偏見。アデルは中身で恋愛しない人扱いなのも心外だろう。
友達の方が男ってだけで全員対象みたいなくせに。
会話を楽しむアデルとエマは見てるこっちも楽しい会話だった。
セックスする二人。とても激しい。びっくりした。こんなに見せるのかというのと、長かった。実際のセックスに比べたら短くても、長くて恥ずかしくなった。生々しくて俳優達を意識してしまう。視聴者へのエロい挑発じゃなくて、リアリティのあるものにしたかったのかも。
衝撃を受けるけど、この生々しさは異性愛と変わらない。
現実の男女の行為と同様だと言いたいのかもしれない。
同性愛を嫌悪してる人は驚くだろうけど、自分たちのしてるのと、ほら同じだと。
映画のラブストーリーだと普通は美男美女がしてるのを綺麗な取り方で見せるから、リアリティを求めてて新鮮だった。
でも、カメラから、観客の視線から守りたくなった。
気まずい表情がよくて、こちらが不安になる家族と対面シーン。
寂しさからの浮気。よくある別れる理由。運命的な出会いに見えた二人だったけど、特別なことはなかった。
アデルもエマもすごいシーンだった。
レストランで久しぶりに再開した時の会話がいい。哲学の本を読む彼女は高校生の時から自分を見つめて、精神性というか内面が磨かれてる。その説得力が溢れるシーンだった。エマの魅力がより深まった。復縁して欲しいと思うけど、ここでなあなあにはならないのないい。
ずっと日本語タイトルの区切りを間違えててアデルブルーだと思ってた。
吹っ切れたと言ってるけど最後にブルーを着てるアデル。アデルブルーだ。
原作はブルーは熱い色
Le bleu est une couleur chaude
映画に込めた思いをどこまで理解できたかわからない、感じるだけでいいのか。
高校時代の同性愛に理解のない世界から、大人になると、周りには理解者が多くいて問題がなくなる。
それぞれに生きづらさはあるが、2人の間にある問題は、同性愛者とは関係ない。恋愛において普遍的なこと。
後半はずっとただ恋愛映画を見ていた。最初と違い、性別にとらわれないで2人の恋愛を見守る。そういう風に見せられたんだと思う。
二人の出会いを羨ましく思う。
今から十年前の映画、当時のフランスはどんなだったろう。
フランスは同性愛の映画いくつもあるなと思った。
主演二人にパルムドールが授与されたとあるが、ほんとに素晴らしかった。
アデルとエマは、考え方も感じ方も、対極的だ。ふたりの対話でもそれは...
アデルとエマは、考え方も感じ方も、対極的だ。ふたりの対話でもそれは強調されるけれど、ふたりの親を交えた食事で、それは、どうしようもないくらい顕著に表出する、育ってきた環境が、根底にある生き方が、積み上げてきた人生がまるで違うのだ。安定を重んじる生き方と、感覚的な生き方と。
ふたりは、真逆の性質を持っているから、いつかは限界がきて、別れなければならなかった、というよりは、真逆の性質を持ち合わせていたとしても一緒にいることができた、奇跡的な時間だった、というほうがしっくりくる。なにもかもが、対極的だけど、それを無効化するほどの愛が、ふたりのあいだには、たしかにあった。
もちろん、真逆の性質を持ち合わせていたとしても、それを乗り越えるチャンスはいくらでもあった。だけど、エマが「才能があるんだから、何か書けばいいのに」とすすめても、アデルは書いてみようともしなかった。
エマの新しい恋人は、エマと似たような性質を持った人だった。アデルとエマは主に肉体的に愛しあったけど、エマと新しい恋人は、感覚的な部分で精神的に繋がっていた。「セックスは?満足してる?」というアデルの問いかけに対するエマの答えは「あんたとは違うの」。この言葉は、セックスのことだけじゃなく、すべてだった、ような気がしている、
エマの展覧会で、ふたりはまた再会するのだけれど、アデルは改めて、ふたりの生きている世界がちがうこと、感じている世界がちがうことを突きつけられる。滞在時間は短め。あの空間はエマにとっては楽しい場所で、アデルにとっては居心地の悪い場所だ。ひとり歩き去るアデルの後ろ姿はなんだか吹っ切れたように見えた、きっと、ふたりの人生は、二度と、交わることはないだろう、
メモ✏️
・好きなシーン
ふたりがまだ肉体的な関係を持つ前に、公園の草原で「気持ちいいね」とふたりで寝そべっているシーン
・この映画のレアセドゥがいちばん好み、ショートカットがとても似合う
とても切ない…
不安で寂しさを埋めるため、一度の過ちを犯したてしまったがために、エマと別れてしまったアデル、懸命に取り戻そうとする姿が何とも。ラストは再びあの頃の二人に戻ってほしかった。アデルにとっては初めて自分を正直に、解放させてくれた相手。そこには同性、異性は関係ない。エマにとっては、アデルに両親や職場にも自分とのことをきちんと伝えてほしかったかもしれない。アデルはまだ少女のあどけない表情を見せたかと思えば、時折見せる女の表情、この両面がとても魅力的だった。レア・セドゥもアデルを愛おしく思う表情、苦しいながらも別れなければならない表情が印象的だった。実際の過激なシーンよりも、ダンスシーン、ワインやパスタを飲食するシーンの方が官能的だった。
主人公が魅力的
主人公が可愛い。ソフィ・マルソーの若い時ってこんな感じではなかったかな。
ごく普通の女子高生が性的に初めて強く惹かれたのはハイソな年上の女性であり、その女性との恋が実って生活を共にし、やがて関係が破綻するまでが描かれている。
主人公も相手の女性も魅力的だが、もしこれが異性間の話であれば、ポルノグラフィックな表現を大いに含む、割と普通の恋愛ものかな、と思ってしまった。レズビアンorクゥイアーの女の子の場合というのが新しかったのだろう。
パリの高校生というと自由なイメージがあったけれど、レズを疑って主人公をからかう場面があって、日本と同じように同質性を重んじるんだなぁ、と意外だった。
成長と喪失感
ラブシーンがしつこく、別にそこまでエロくする必要あるのかなーとか観てる最中は思ったんですが、
後から思い出すと、2人の情熱的な恋愛が破局してしまった切なさに胸が締め付けられる気持ちになるので、これは完全にラブシーンが効果的に働いてるんだと思います。
ラブシーンだけでなく、アデルの心境が細かく丁寧に描かれていて、
人が大人になるにあたって得るであろう成長と喪失感が表現されていたように思います。
青いキス
青(あお、靑、蒼、碧)は基本色名のひとつで、晴れた空の色や海の色、瑠璃のような色の総称である。青は英語のblue、外来語のブルーに相当する。寒色のひとつ。また、光の三原色のひとつも青と呼ばれる。青色(セイショク、あおいろ)は同義語。
Wikipediaより引用
(引用元URL載せれませんでした ごめんなさい)
ただ、この映画の青はただの寒色ではない。
情熱だったり、悲壮だったり、優しさだったり、場面によって全く印象の変わる色だったのが本作の青という色でした。
ブルーがテーマということもあって、様々なところに青色が使われていました。
繰り返しになりますが、これが全く違う印象を与えているんです。
アデルやエマの服はいつも青で、流石にもうやりすぎだろって思ってしまうほど。
はじめは少なかった青色が、青髪のエマと出会い、別れ、アデルのまわりに溢れていったのかな。
(一つだけ、幼稚園の壁とか布団とかが、全部青ってどうなの?とは思いました。)
キスも印象的でした。
日本人からするとびっくりしますが、あんなに社交辞令的にキスするもんなんですね。
今まで観てきた中で1番キスしてる映画かもしれないです。
そして、とにかく生々しかった。
2人の愛し合う姿はもちろん、彼女たちの息づかいが聞こえてきそうなリアルな映像。
これこそ「体当たりの演技」というべき迫真の演技も素晴らしかったです。
長く淡々と話が進み、特に大きな事件があるというわけでもないですが、引き込まれました。
先日観た『聖なる鹿殺し』のスパゲティよりは美味しそうな本作の〈パスタ皿でミミズが乱交パーティー〉しているパスタ。
それにしても何回食べんねん!
細かい工夫がよくなされた切なくも美しい純愛映画です。
追記:過激すぎる性描写が当時話題になっていたらしく、確かに濡れ場はあったのですが、言うほどじゃないなと思っていたら…
自分が観たものはだいぶカットされてるみたいでした。
このベッドシーン観ていたらもっと評価も変わったかも。
モザイクは100歩譲っても、7分近いシーンのカットってなぁ…
体当たりで頑張って撮影されたのだろうから、それをカットするのはキャスト・スタッフ・作品への冒涜ですよね。
なかなか難しいかもしれないですけど、そういうところを含めて一つの作品だと思うので、日本版の対応にはちょっとがっかりでした。
火のような情熱
あんまり面白くはなかったです。
衣装や演技が魅力的でした。
同性愛をからかわれるシーンや2人のこれまでの生活の経済的格差を感じさせるシーンは、リアル過ぎて胸が締め付けられました。
何もかも違うから愛しあった
第66回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。
Netflixで2回目の鑑賞。
福山雅治の楽曲「蛍」の歌詞の、「僕たちは 何もかも 違うから 愛しあった」と云う部分が思い浮かびました。自分に無くて相手にあるもの、その逆もまたしかりで補い合う。
反対に、相手のことを深く知れば知るほど、これまで気づいていなかった自分のことが理解出来ていく。それが恋愛の面白みであり、恐ろしさなのかもしれないと思いました。
育ちの違いであったり考え方の違いであったりが、相手との比較対象として如実に、容赦無く曝け出され突きつけられてしまう。これは避けられないことなんじゃないかな、と…
素直に受け止めて、どんなことも尊重し合うことが出来たら良いですが、そんな簡単に割り切れないのが人間の心。相手を愛するが故、自分に無いものを羨んだり、嫉妬したり。
歩み寄ることが出来たら別れは訪れなかったかと云うと、それは違う気がする。どちらが悪いと云うわけでは無いですが、アデルにとっての初恋なのが重要な要素かもしれません。
未熟だったからこそ、どうすればいいのか分からなかった。どの道、ふたりは長続きしなかったかも。お互いに、将来幸せが訪れんことを願うばかりです。恋愛とは奥深いなぁ…
[余談]
濃厚なラブシーンについて。
DVDではモザイクがありましたが、ネトフリで配信されているものにはそれが無く、余計にリアルで生々しかったです。
決して本物ではないのでしょうが。
※修正(2023/10/11)
赤いマニキュア
アデルの徐々に垢抜けていく感じ
エマと触れ合うことで
雰囲気が一気に花開く 演技とは思いにくく
リアルに感じられた。
エマに向かう視線や
肌にキスしたり匂いを嗅いだり。
愛がすごかった。
二人とも美ボディ…
アデルの浮気はもう!もう!もう!
ってなったけど彼女の弱さが切ない。
仕事もなんか本当にこのままでいいの?って思うけど
最後の彼が今後、彼女を救ってくれそうな感じだったので
幸せになれよ…っと背中を見送る。
別れた後の再開の時
2人の相性の良さがわかるシーンをみていて
2人とともに私も泣いた。
〜好きなシーン〜
エマの展示会に向かう準備で
足の爪に真っ赤なマニキュアを丁寧に塗っていたシーン
あ、ちょっと期待してるのがわかる
2人の視線の食い違い…辛い…
エマのホームパーティ?では
エマがほかの女の人とイチャついてるのをみて
アデルのごまかし顔の向こうの映画が
いい仕事していた…
全体的に食と性欲の結びつきのシーンが
とても印象的でアデルの食べ姿は綺麗には見えないが
いい感じに汚くてとてもよかった。
そういえば、睡眠シーンも結構あったから
人の欲が沢山描かれていて面白い
二人の対比
この映画に登場する二人は性格や家柄、生きる目標などがかなり正反対である。芸術家を目指し、哲学的な性格でボーイッシュなエマ。食べることが好きでねぼすけ将来は安定を求め目標がないアデル。
二人は一度は愛し合うが、自立するエマとエマに依存しているアデルはやがて冷めてしまう。(これはアデルの青春が終わったことをエマの髪色で表現している。)
アデルはエマの画廊に青色のドレスを着ていくが、二人の仲は治らないままだ。アデルはこれから現実を受け入れて成長することができるのか?
とてもよかった
息がかかりそうなカメラワークで、生々しかった。特に主人公が食事する時に顔をぐちゃっとゆがめて美人なのに全然そんな感じを出さない。エマの髪が青い時はすごくミステリアスな感じだったのに、色を抜いたらなんだかカリスマ性が減少した。もうちょっと背が高いとかっこいいのになと思ったのだが、あの低さがいいのかもしれない。
同性愛には全く興味がないのだけど、そんな自分にも相手に対して強い思いを抱いてそれが通じない悲しさがとても伝わった。最初にレズ行為を仕掛ける女友達が翌日つれなくて、そりゃないだろうと思った。いくら空いているとは言え、飲食店でいきなり行為を始めるのは、やめて欲しいと経営側から思う。
んんーーー!(´TωT`)
○映像が綺麗!!邦題で追加された「ブルー」って色も所々でしっかりポイントになっていて良い。
監督が付きっきりで細か過ぎる程に指導したらしい登場人物の演技が自然そのもので驚き。浮気発覚の場面も見事に修羅場で逆に気持ちいいほど。
×アデルの自業自得。実家の環境とか友達の目とか価値観の違いとか、そんなものと戦える気概がないならやめちまいな!
ラストは別の道を行くけど、きっと誰と付き合ってもお互いへの想いは一生引き摺って歩くんだろうなと思うと芸術家の娘が可哀想。アデルにも同情の余地はなくはないけど、愛せるレベルでは到底ないので、作品全体への評価も低めに…。
運命の人
お互いにとって、衝撃的な運命の人。
だからといってハッピーエンドとは限らないっていうのが印象深かったなぁ。
最後の後ろ姿は、前向きに生きていこうっていう感じは無くて、寂しいような切ない印象。それがよかった。
行動に移さないだけのストーカーに見える
性描写が過激だかでR18版とR15版があるのか自分は15の方を鑑賞
この映画の伝えたい事が上流階級との格差でそう聞くとパスタを汚く食べる女や口をやたら半開きにしたり就職の面等でも差があるのは理解しやすい
アデルが自分はレズビアンかもしれないと気付き葛藤する映画で原作ありきの話だが原作ではもっとブラック(アデルは薬物中毒で死亡)
この映画もその様に撮っていたらまだマシだった
階級の差、価値観のズレから浮気をしてしまい結局実らぬ恋と言う事で悲恋映画な訳だが題材がレズビアンというたけで評価が上がるんだろうか
はっきり言って私にはアデルがいつまでも初恋を引きずっているストーカーチックの女にしか見えない
でも見る人からすると純愛だ!と感じて泣くらしい
どうにもこの映画の評価は鑑賞者自身がどの様な恋愛をしてきたかで評価が別れるのかもしれない
今はもうそこまで人を好きになれないなっと思った映画
レア・セドゥー出演の映画ということで
借りて見てみたら・・・
レア・セドゥー演じるエマも存在感あったけど
主役のアデルが良かった。
浮気がばれて別れる時の号泣シーンがまさに迫真の演技。
でも、時間が長いのと、最後がちょっと中途半端。
ひくほど傑作
過激なシーンなどで監督と女優の仲が完全に決別し、最終的には裁判沙汰になるんじゃないかとかとか、前評判は聞いていたのでかなり覚悟して見ました。
1シーン1シーンが非常に長く、中だるみするかなと思いましたがそんなことはなくすべての会話を切ることなく続けることでとても現実味を帯びた形になっていたと思います。常にドアップの撮り方も新鮮でした。主人公にかなり近寄って見れるようなそんな気がしました。
学校の先生が今のフランス映画を支えてるのはこの映画だよって言っていたのも分からなくもないです。ですが全くオススメはしません。
熱い色
全体的にはまあ、ありがちな映画なのかもしれないけれど、色で主人公の感情が表されて、視覚的にも楽しい。主人公のだらしなさの中に色気が感じられて思わず目を奪われる。
ラスト、主人公が青いワンピースを着て出かけるが、ネイルを赤く塗っているシーンが印象的というか、どういう解釈をすればいいか、少し迷うかな。
見終わったあと、ミートソーススパゲティが食べたくなる。笑
恋は鏡を見るようなものだと思う。
恋は鏡を見るようなものだと思う。
相手という鏡が自分がどんな人間か映し出してくれる。
恋をすると自分自身がよく分かる。
高校生のアデル(アデル・エグザルコプロス)が、青い髪の美大生エマ(レア・セドゥ)
と出会い、その個性的な魅力に惹かれていく。当時、二人の女の子の、激しいセックスシーンが話題となりました。
でもそんなシーンより、アデルを愛しそうに見つめるエマの視線。またアデルの常に半開きの無防備な唇とふわっとした表情、泣きながらチョコレート菓子を食べるぐちゃっとした頬とか、シャワーを浴びて長い髪から滴をぎゅっと絞り落とすシーンが思い出されます。
アデルの所作に、凄く惹かれました。美しいというより、子供っぽくて粗野だけど、色気がある。それって大人でもなく子供でもない、蛙に足が生えた異形の生き物、この時だけの輝き、一瞬の歪な魅力だと思う。
ストーリーはシンプル。アデルがエマと出会い、恋に落ち、すれ違い、別れを向かえる。でも惹きつけられるのは、誰しも経験している「初恋の衝撃」を描いているからではないでしょうか?
また、全てのシーンを丁寧に丁寧に重ねていってるので(179分!)、アデルに足が生えたり、取れて大人になったりするその一瞬が、はっとするほど良く分かります。あ、しつこく蛙に例えてすみません。なんとなくです。アデルがエマに恋すると、至る所にブルーが登場するのも印象的です。
アデルは堅実な中流家庭に育ち、教師になるのが夢です。文学が好きで、恐らく個性的な感性を持っていますが、夢を追うことはしません。
かたやエマの家庭は、芸術を愛する富裕層です。自身も画家になるのが夢です。お互いの家で食事をするシーンが、価値観の違いを表しています。
そしてお互いの鏡に映る自分自身と向き合い、そして相手と比較した時に、全く違うと分かる。分かったとしても、歩み寄れない。彼女達が若いから?未熟だから?いいや、大人になればなるほど、恋愛の正解が分らなくなるんです(笑)!
いくらマイケルに、こう唄われたとしてもです。
I'm starting with the man in the mirror.
I'm asking him to change his ways.
あ、映画の挿入歌ではありません。すみません。
違うことから生まれる、焦燥感、孤独、嫉妬、相手に認められない苦痛。それから逃げるように、アデルは浮気をしてしまいます。それがエマに知られることとなる。
二人の言い合うシーンは凄かった!「売女」と罵るエマと、泣きじゃくりながら赦しを請うアデル。「喧嘩は止めて!」と間に入らなくちゃいけないような、臨場感です。近い!まるで目の前で繰り広げられてるようで、オロオロしました。
第66回カンヌ国際映画祭で、スピルバーグ審査委員長より、パルム・ドールがアデルとレアにも特別に授与されました。うん、あげたくなる気持ちも分かります!
でも女の子って、激しくて、狡くて、すごく可愛いですね。
あぁ、戻りたい!
女の快楽は男の10倍大きい
映画「アデル、ブルーは熱い色」
(アブデラティフ・ケシシュ監督)から。
同性愛(特に「レズ」)を中心とした性的描写の多い中、
約3時間に及ぶ上映時間は、さすがに疲れた・・(汗)。
ただ男と女の違いを、いろいろな角度から気付かせてもらった。
作品の中でも、こんなフレーズが登場した。
「男と女では、本質的に喜びの性質が違う。
快感の質が違うだろ、オルガムスも」
「それで思い出すのが、ギリシャ神話のテイレシアス。
男から女になり男に戻った。
ある時、男女の快楽に違いはあるかと聞かれ、
テイレシアスは言った。女の快楽は男の10倍大きい」
やや笑い話で語られていたが、この作品を思い出すには、
このフレーズかな?とメモをした。
両性を経験したギリシャ神話にしか例えようがない、男の女の違い。
男が性転換して女になったとしても、本物の女性が味わう快楽は、
体験できないんだろうな、そんなことを思いながら観終わった。
ただ、この作品を通して。監督は私たちに何を伝えたかったのか、
なかなか理解に苦しんだのも本音である。
全編を通して、食べる・飲むシーンが溢れているのは、人間にとって
「性欲」と「食欲」は同じくらい大切ってことなのかな。
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