アデル、ブルーは熱い色のレビュー・感想・評価
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アデルとレアセドゥの演技が素晴らしい
恋に落ちた二人の愛の行方を描いた物語。
情熱的で官能的な美しい二人。
本当に恋人ではと思えるほど二人の求め方が激しく、ヒリヒリとした愛を感じます。
執拗にも見せつける二人のベッドシーンには、ただ圧倒されるようでした。
そしてちょっとしたほつれからの別れ、その後の再会のシーンは観ていてすごい緊張しました。
そしてこのシーンの密度がすごい。
堰を切ったような二人のキスはとても情熱的で、でも二人を隔てる壁を再確認してしまう。これが辛かったです。
そして最後の別れの言葉。
「でも想いを抱き続ける、いつまでも、死ぬまで」
これ以上なく優しく、余りにも残酷な一言でしょう。
そして個展での再びの再会、もうただの友人に戻っているのが良くわかるんですね。二人の距離感というか温度が。
その個展から出た最後のカットも美しく、もう交わる事のない未来のようでした。
とにかくアデルとレアセドゥの演技が素晴らしく、史上初役者にもパルムドールが贈られたのもわかる気がします。
切なくもありますが、とても素晴らしい作品でした。
どうしようもなくエマを好きになって!!
高校2年世のアデル(アデル・エグザルポプロス)は
上級生の男の子とゼックスをする。
「とても良かった・・・」と言うが、
同級生の男の子には「悲しくなった」と感想を言う。
アデルは道ですれ違って一瞥を交わした青い髪の歳上の女性に
一目で囚われていた。
夜のレズビアン・バーでその女・エマ(レイ・セドゥ)と出会い
恋人関係になるる。
美術大学の学生で画家のエマはアデルをモデルに絵を描く。
2人はエマの家で同棲生活を始める。
女同士の激しいセックスシーンが映し出されます。
2人とも綺麗な裸身なので不潔感はありません。
それにしても激しい。
並行してデモ行進に参加するアデル。
幼稚園と小学校を併用したスクールの教師になるエマ。
昼は真面目で優しい先生です。
エマが絵の合宿で留守にする間。
寂しさのあまりに男性と関係を持つエマ。
芸術家のエマは激しく罵り、アデルを強い言葉で追い出します。
自分だって新しい恋人に心を移しているのに。
若いエマの恋の遍歴。
どうしようもなく好きなエマに拒絶されて、アデルはブルーのドレスで
夜の街に消えて行きます。
アデルは5年後、普通のお母さんになっているのでしょうか?
夜の街を彷徨う「ミスター・グッドバーを探して」の
ダイアン・キートンになっているのだろうか?
その答えは分かりません。
レア・セドゥの若い頃の映画を観たいと思ってみましたが、
もうこの時は27歳位で、立派に貫禄でした。
ひとつ発見したのですが、レア・セドゥの素顔って
リヴァー・フェニックスにそっくりなんですね。
フランス映画で女優は脱ぎっぷりが本当に素晴らしいです。
なんだか疲れてしまって、
女同士の愛より、身も心も滅ぼすような究極の愛の物語。
「ベティ・ブルー」が観たくなりました。
クセあるストーリーを映像美が包み込む
LGBT
ブルーは魅力ある色
「想いを抱き続ける、死ぬまで」が恋愛の終わりを告げる
アデルとエマは住んでる社会が違う。テレビを見ながらパスタを食べるアデルの家庭にとって、生きるというのは地に足のついた生き方をすることで、仕事は食べていくための手段。一方で、美意識高くリベラルなエマの家族にとっては好きなことをする創造性や才能が人生にとって大切で、哲学的で抽象的な話ができるいわゆるインテリ。
生きている世界が異なる二人の一目惚れで始まった恋の物語。織り込まれているのは、恋愛心理、性、子どもから思春期を経て大人になっていく過程、女性の一生、理想と妥協、政治活動と人間の自由。これらはアデルの高校の文学の授業で扱われている小説、高校生によるデモ、エマとの会話の中で、映画の冒頭と前半で提示されている。『マリアンヌの生涯』『クレーヴの奥方』『危険な関係』『アンティゴネ』そして『汚れた手』。フランスの高校の文学専攻の授業のやり方が新鮮だった。時代も性別も超えた「普遍」がフランス社会だ、が強く伝わった。
長い映画だったが必要な長さだった。映像も美しく冒頭から最後まで常にブルーが映っていた。一貫してノーメイクでショートカットのレア・セドゥ、007のボンドガールよりよかった。
感情が震えるほど情熱的で美しい二人の姿
芸術の国ならではの色彩美が思春期を彩ります。
あっという間の3時間でした。
映像がとても美しく、街並みやただの公園にすら色彩美がありました。カラフルな美しさではなく、アンティーク調な色味です。馴染み深いアメリカ映画やイギリス映画とはまた違い、フランス芸術の美的センス光る作品だと思いました。
ですが演者さん達はとびきり美人だったりおしゃれだったりでもなく、キャラクター達が華麗な生活を送っているわけでもないので、フランスの日常生活を色彩豊かな景色が彩るという感じです。
ストーリーは大人とも子供とも言えない絶妙な時期を生きるアデルの甘酸っぱい恋のお話ですが、ラブシーンが過激すぎて驚きました。ぼかし無しでとんでもないところまで写っています。演者さんたちのまさに渾身の演技に脱帽…。やたらにリアルでしかも長いので小恥ずかしい気持ちになりましたが。
一つ欠点があるとすれば主人公アデルの食べ方が汚い笑
くるしいけど、美しい
長尺の必然性
長いこと恋してないな・・(涙)
情熱的な青。
いいあらわすことの徒労感
レビューするのが陳腐に思える。解釈するより感じる映画。これまで持っていた映画の定義をくつがえす体験でした。
はじめから終わりまで近いカメラがアデルの表情を追う。が、演技の気配がない。いつしか自分も映画を見ていることを忘れアデルを追う。映画から映画の気配が消えている。
兎っ歯、半開きの口唇、伸びやかな肢体、無造作なひっつめ髪、幼さをのこしたほほ、鮮やかなふたえ。笑ったとき口端による小皺、ノーメイク。あらがいようのない魅力のアデル。
無意識。素としか思えない。
手の甲でミートソースを無造作に拭う。ケパブを食べながら話し指をなめる。トマと別れて泣き崩れる。怖じ怖じしながら初めてゲイバーへ入る。デモに参加して絶叫する。愛しそうにエマを見る。エマと激しく求め合う。エマと痴話げんかして号泣する。今にも泣き出しそうにしながら園児と踊る。悪夢を見る。焦がれて泣く。また泣く。
一つ一つあげるのも、もどかしいが、すべてドキュメント、色づけなし、地のアデル。
カメラと役者、監督と役者、その間にどんな魔法があるのかわからない。
アデルとエマの色恋の顛末が、なんのフィルターも置かずに、繰り広げられる。
いったい、どんな撮影/指導をしているのだろう。クスクス粒のHafsia Herziも素にしか見えなかった。
恋する。食べる。しゃべる。おどる。セックスをする。キスをする。泣く。衝動的。奔放。無我で欲求をつくすアデルがまぶしい。絡みも必然的。映画で必然性のあるセックスシーンを見たのははじめて。かつ少しもエロくない。
演出も演技も脚本も、あらゆる映画的手法が見えないのに、近接カメラだけで、しっかりとアデルの恋と成長が描かれている。五点満点超過。息もできないほど素晴らしかった。
娘たちよ、一途に苦しめ、泣け、悩め。
僕自身が男兄弟で育ったせいで、わからない女達の生態が僕には更にわからないのだ。
離れて暮らしている我が娘、(愛娘と思っているのだが)とんと連絡をよこさなくて。
アデルとエマと・・
なるほど、いま彼女たちは10代から20代に向けてこのような日々を送っているのだな。
男親である僕に関心を示さない彼女たちは、いま
卵を割って命がけで外界に出ようとする雛鳥、はたまた
土から這い出で、サナギを脱ぎ捨てる夜の間の幼虫の苦しみ、
そして一か八か親元を離れて、新しい人生を見つける冒険の途上。
了解だ、
娘たちよ、好きに生きなさい。
・・そう思った鑑賞後感です。
どんな土壌(家庭)で生まれて育ったかはひとつのバックグラウンドではあるけれど、そこから脱出して飛んで行く先を見つけるのは新しい命たちの仕事ですから。
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火花を散らすエマとアデルは好演でしたねー
エンドロールではキャリア上格上のエマ=レア・セドウが名前は先に書かれていて、それは素晴らしい演技力だけれど、後半はアデルが追い上げてレア・セドウを食い、見事にプリマドンナを演じる、そんなアデルが見事でした。
演技ではないように179分演じるって、地味で目立たないけれど凄いことですよ、
文学の授業、哲学の授業、フランスの教室を覗くのは面白かったな、
で、高校の廊下で歩き続ける顔のアップがとても良かった。
原題は「アデルの命」ですもんね。
人間って、輝く時、ろうそくのように我が身が燃え、火打ち石のようにぶつかり合って身を砕きながら、その時閃光を放つんですね。
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