「パスタが踊る」アデル、ブルーは熱い色 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
パスタが踊る
エマのホームパーティーで、集まった人々がスパゲッティを食べるシーンが切なかったなあ。
皆、インテリさんで育ちがイイから食べ方が上品。口元は殆ど汚れない。
パスタが口元で踊っているような、四方八方へ散らかす豪快な(嫌な言い方をすれば下品な)食べ方をしていたのは、アルジェリア人のお客さんだけ。
バッググラウンドの違いを、こうもまざまざと見せつけるのか…と切なくなった。
パスタが踊る…それは、アデルとその家族の食べ方でもある。
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アデルとエマ。
性的な壁は乗り越え恋人同士になったものの、別な壁が2人の間にはあった。
進歩的でインテリで芸術家を目指すエマ。そういう家庭環境に育った彼女。
対してアデルは「芸術で腹が膨れるの?」的な庶民の家庭で育った。
「パンのために働くこと」をどこか下にみているエマ。
「パンのために働くこと」は当たり前だと思っているアデル。
家庭・教育・教養・慣習・生活レベルの差…目に見えない壁・階層が厳然とある。
人間みな平等で、理屈の上では乗り越えられそうなものだけど、そう甘くはない。
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階層をテーマにした映画はたくさんあるが…。
私は本作を観て、同じくフランス映画、シャブロル監督の『女鹿』を思い出した。
『女鹿』も階層の違う2人の女の逢瀬を描いている。(シャブロル作品の多くは階層がテーマだ。)
シャブロル監督は、インテリ側(本作エマのような立場)の視点で、文学的に「階層のコンフリクト」を描いた。
対し本作ケシシュ監督が描く「階層のコンフリクト」は、もっと庶民的で実際的だ。
どちらかといえば、本作アデルのような立場の視点で描いているのではないか。
ケシシュ監督の前作『クスクス粒の秘密』でも、フランスにおけるチェニジア移民の階層・コンフリクトを描いていたが、そこには自身(監督もチェニジア移民)の実感と自省が籠っていたと思う。
本作にしても『クスクス〜』にしても、社会的テーマを入れつつ、固くなりすぎないケシシュ監督の撮り方、面白いなあと思う。
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社会背景諸々を、エモーションが迸る青春映画の中に、溶かしこんだ本作。
一時的とはいえ壁の一切合切を押し流した主役二人の情熱が、心に残る映画だった。