「この映画に文句をつけるのは良いとして、嫌いな人とはお友達になれない。と思う。」風の谷のナウシカ とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
この映画に文句をつけるのは良いとして、嫌いな人とはお友達になれない。と思う。
映像、物語の展開、音楽、演技、世界観に飲み込まれた…
その、蒼・藍・青の豊かさに息を飲んだものだ。こんな吸い込まれるような発色…。
話の展開は息を持つかせぬ…。
最近の『ミッションインポッシブル』か?というほど、次から次に起こる事件、思いもせぬ方向に雪崩のごとく突き進む。そこに、プランや作戦などあろうはずもなく、ひたすら対応していくナウシカ…。そして何があっても信頼しナウシカを援護しようと気張る人々…。
はあ…。
手に汗握る空中戦。『トップガン』と比べても遜色ない。その一つ一つは、多分、実際に使い古されたものなんだろうけれど(太陽を背にして目くらましした攻撃等)、だからこそ、迫力がある。(波動砲をぶっ放して終わり、ではない)
腐海の森で、たゆたうように動くムカデのような蟲。風・大気の流れの中での攻防。恐ろしく、緊迫感あるのに、優雅。
それらを盛り上げる音楽。高らかに響き渡るティンパニー。オーケストラの高鳴り・迫力と、静けさ。風の谷の豊かさ。そして、ゲーム音響のような高揚感…。
声優陣の匠。
ナウシカの島本さん。若干残る幼さ、少女っぽさと、族長の跡継ぎとしてのカリスマ。好奇心が抑えられない少年ぽさ。そして、世界の不安に共感する母なる響き。屈せぬ心、その陰にある弱気心。その弱さをも自覚でき、自分の中に取り入れられる、真の強さ。それらをこんなふうに表現できるなんて。
クシャナの榊原さん。敵方の嫌味・非情さ。皇帝とは一枚岩ではない雇われ軍人。「諫言~」の背筋の伸びよう。蟲に食われた身体だけでなく、人間関係の中で人に心許さず生き延びてきたと思わせる、ナウシカとは好対照なお姫様。それでいてどこか性善説を信じたいのだと思わせる。その声、言い回し。単なる悪役ではなくて、その生きざまが気になってしまう。
クロトワの家弓氏にはMVPを差し上げたい。セリフだけを追えば、どうしようもない日和見主義の小物の悪役に見える。だのに、家弓さんの声で聞くと、クロトワなりの腹の座った信念があり、それでいて自虐ありのユーモアにクスッとさせてもらえる。目が離せない魅力的なキャラとして、スピンオフしたくなる。
ユパ様の納谷氏、ミト爺の永井氏はいつもの安定感。ゴルの宮内氏、ギックリの八奈見氏、ニガの矢田氏の掛け合いにほっこり来る。
アスベルの松田氏は、この映画だけだと特にコメントも書く気はないが、『もののけ姫』のアシタカと比べると、全く違う人物…。こちらも役者の技を見せつけてくれる。
1984年公開の映画。
1992年にブラジルで環境問題を扱った地球サミットが開催された如く、今より、環境破壊に無関心で経済発展至上主義な人々と、地球を守らねばと関心あり行動している人々の格差があった時代。(リサイクル・リユーズなんて、鼻で笑われていたっけ)
1991年に終結する冷戦はまだ続いており、核戦争も起こりえると本気でシェルターを用意していた時代。
チェルノブイリはまだ先だが、原爆投下、第五福竜丸は遠くになったとはいえ、1941年生まれの監督にとっては、ある意味同時代の話。
水俣病、カネミ油症、サリドマイド児、四日市喘息、光化学スモック…、実際に苦しむ人がいる、環境に、食べ物に信頼がおけない災いの数々。
今よりももっと身近な話題として、手塚治虫先生とか、世紀末を描いた作品が量産され、今よりももっとあり得る話として人々に受け入れられた時代。
物語は、神話の再来と創造。まるでネイティブアメリカン・アボリジニの神話をひも解くような。
遠くは『太陽の王子ホルスの大冒険』~近くは『未来少年コナン』の世界観も彷彿とさせて、心の琴線を揺さぶりつつも、さらなる神話を紡ぎ出す。
ナウシカの透明さにも魅かれるけれど、殿下とその部下の侠気にも心踊る。
ストーリー的には、善が善らしく、悪が悪らしく、その狭間で善も悪も魅せてくれる人物と、図式されてはいるけれど、
神話を謳い上げる映画だから。
四の五の言わずに鑑賞すればよい。
M様
コメントと共感をありがとうございました。
M様のレビューが見当たらないので、こちらに返事を書きます。
原作は最初の部分しか読んでいません。
壮大な一大叙事詩だそうですね。
映画化されたのは、序章に部分だと聞いています。
『AKIRA』もそうですが、原作を読み切るのにたいそうな体力と精神力が必要そうで、なかなか時間も、心の余裕もない状況で、恥ずかしいです。
安田さんのパートナー、確かにびっくりしました(笑)。
でも、ご縁て不思議なものですね。