「爽快なダウンヒル」LIFE! 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
爽快なダウンヒル
閉じて余韻にひたっているところへ、Jose GonzalezのStay Aliveがかかる。しずかなバックサウンドに雪解け水のようなヴォーカル。エンディングクレジットと同時に、劇中スチールがつぎつぎに流れる。ああほんとにいい映画だったなあ。──の余韻が胸中いっぱいに拡がる。何年ぶりかでサウンドトラックが欲しくなった映画だった。
おなじみ俳優だが監督業としてはズーランダーであって、それは必要充分な映画だったものの、深化した野心は感じなかった。
潤沢な予算で、楽しい映画をつくるひとだと思っていた節がある。かんがみればトロピックも本作も、厖大な製作費がかかっているであろう──ことはわかる。
その監督業の未知数が驚愕へつながった。シーンひとつひとつに、そのままライフのコマーシャルフォトになりそうな充溢がある。見たことのないほどスタイリッシュな映画だった。
ハリウッドでは、俳優に監督ができる。
それも優れた監督になりえる。
ベイティやイーストウッドやレッドフォード。ショーンペン、ベンアフレック・・・兼業がよく見られるので、そういうものだと思いがちだが、ふつう、俳優に監督ができるものではない。ほとんどハリウッドだけにある現象なのも不思議といえば不思議なことだ。かれらは映画システムに慣れやすい──のだろうか。
俳優が監督をする→どうなんだろうかと思いながら見る→驚嘆する。──ということが、個人的には何度かあった。
かつてショーンペンのThe Indian Runner(1991)を見たとき、クリスエヴァンスのBefore We Go(2014)を見たとき、ベンアフレックのGone Baby Gone(2007)を見たとき。あるいはワイティティの映画を見たとき。・・・
それらに監督専業でいけるほどのペーソスを見た。──わけである。
すなわち、映画システムに慣れる/熟知する、のもさることながら、かれらはペーソス=人情の機微を知っていたから監督ができた──はずである。慣れで人を感動させることは出来ないからだ。
ひるがえってみると、映画監督とは、そういうものではなかろうか。何年やってこようと、わけのわからない映画を・・・──ここからの海外上げ日本下げの論調を割愛──。
──というわけでThe Secret Life of Walter Mittyはベンスティラーのペーソス=人間味にあふれた一大絵巻だった。
かつてダニーケイの元ネタを見た記憶があるが、ほとんど忘れてしまった。筋は異なる。と思う。
空想癖は同じだったがポケタポケタとは言わない。
ちなみに戦後の日本人のアメリカ映画にたいする代表的感慨に「こんな映画をつくる国と戦争やったらそりゃ負けるわなと思った」というのがある。その感慨をもっとも集めた映画が1947年のダニーケイのThe Secret Life of Walter Mittyだった──はずである。
──その空想癖を、ほんとにやってみせる青天井なプロダクトマネーがある。とうぜん、スティラーの長期スターダムが予算を捻出させたのであろう、と同時に、広い人脈がキャスティングの巧さにあらわれていた。──と思う。
現像部の相棒のAdrian Martinezという俳優、たたずまいがすごくよかった。
パットンオズワルトが、出会いサイトのオペレーターをやっている。鷹揚でのんきで、楽しい。本業はスタンダップらしいが、ジェイソンライトマンのヤングアダルトもよかった。
また、物静かな人柄なときショーンペンはいい。
賢くしとやかな印象の女性が、辛辣や淫奔をまくしたてるのがクリステンウィグのスタイルだが、女優業では、シリアスもコメディもドラマもできる。ものすごくちょうどいい感じの嵌まりかたをするひとだと思う。
デイヴィッドボウイのSpace Oddityが狂言まわし風に使われている、ことに加え、誰にたいしてもその人生を奮い立たせる、鮮やかなライフのモットーが映画を彩っている。
To see the world, Things Dangerous to come to, To see behind walls, To draw closer, To find each other and to feel.
That is purpose of life.
(世界を見ること、危険に立ち向かうこと、ものの裏側を見ること、近寄って互いを見いだし感じ合うこと。それが人生の目的だ。)
なんど見返しても楽しい映画です。