悪の法則のレビュー・感想・評価
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因果応報
とにかく教訓に溢れていた。
前半部分に優雅な生活をしながら、噂話程度に聞いていた話が、後半からどんどん自分の身の回りに近づいてきて、終盤になってようやく、既に取り返しのつかないことをしてしまっていたことを今更ながらに気付いて悔しむ主人公。
映像が第三者っぽい視点なのにも関わらず、情報が少ないために、序盤は主人公のような軽率な気持ち、終盤は絶望が近づいてくるぞわぞわする感じが出てたと思う。
キャメロンは悪の象徴で極悪人のように描かれていていて、「美しい死神」と例えられているけれど、なかなか人間らしいと思う。
食欲、性欲、物欲があって、欲しいから奪うというのは割と普通に人間ぽい。
教会に通うことが意味わからないというのも、無宗教者からしたら結構普通だけど、神様を信じてる人たちからすると、キャメロンの考え方が異常なのだろうか。
工場の皆さんが血塗れのトラックを平然と清掃し、死体入りのドラム缶を平然と運んでいるところが印象的だった。
あんなに汚れた場所で、日本では考えられないような生活を日常的に送っている人たちが世界のどこかにいると思うと、複雑な気持ちになる。
それにしてもなんだか難しく、よくわからない映画だった。
数年後にふと思い出して、また見たいと思うのはこういう映画なのかもしれない。
近年ベストの、スコット映画!!
コーマック・マッカーシーって作家の本は読んだことが一回もないし、『ノーカントリー』も途中で挫折、だからこれが初めてだけど、元々この作家って“シモの話”多いのかな?えらくセックスやシモのワードがポンポン出て来るもんだから…。だから初の脚本と聞いても、正直挫折の予感がしたし、監督も『ブラックホーク・ダウン』以降、どうも波長が合わない続きのリドリー・スコット監督だし、いくら内容が好みでも“大丈夫かな?”って構えてた…。そしたらまあビックリした!あらゆる全部が冴え渡ってた!
話はもう“教訓話”で片づけられないレベルだし、「斬首」「銃殺」「殺人映画」、締めは「ディスクの配達」だし、まあとにかく重い重い(苦笑)しかも“黒幕”思った以上に早めに紹介しちゃってるから、それで結末予測できず…。でも重いだけじゃなくて、バッドすぎるジョークも出てきて、“ボンネットへの擦り付け”で一時思考停止状態(苦笑)こんなに冴えたリドリー・スコット、見たのいつ以来になるだろ?
キャストもまあ凄いけど、キャメロン・ディアス超怖い…。邪悪度合いの半端なさ、全く表情変えないとこ、これ『氷の微笑』のシャロン・ストーンが見たらどんな反応すっかな?『マスク』の頃に初めて見て、『チャリエン』とかの印象だけど、結構演技派だったんだね。ファンは複雑かもだけど…。
あと出番は多くないけどブラッド・ピットも良かったなあ。何といっても死に様だよ!ワイヤーかけられ首切られて、血噴き出しでくたばるとか、大スターにこの役は、躊躇ないね!最高だけど!結構ブラピも楽しんでたのかな?肩の力抜けてたし(笑)
他のキャストも良いんだけど、スコット演出とキャメロン、ブラピで釣り来るほど満足だし、“自分は被害者”ぶってる奴に是非ともこれは見て欲しい!きっと両目が泳いでそう(笑)俺はそれ見てゲラゲラ笑う(笑)
ところでタンク強奪のシーンで撃ちまくったカルテル役、パッと見ジェイソン・ステイサム似。サングラスかけてる時だけだけど…。
それとマルキナ、“火星”って言ったけど、これって『オデッセイ』の前フリ?
警告映画
何度も言いましたよ?それでもやるんですか?と都度都度意志確認されているのに、目先の欲で見えずに取り返しがつかない所まで堕ちてしまう。悪に手を染めて得を得るつもりでも、更なる悪に利用されているだけで、もう善には戻れず大切なものは失い、あとは堕ちるだけ。見る側も、ストーリーを楽しんでいるつもりが、実は終始、守りたいものがあるなら堅実に正しく生きて人の話に耳を傾けなさいと忠告されている、という内容。え、ここで終わるの?と終わった時に全てに気付き、主人公と同じような気持ちを味わうという作り込まれた不思議な映画。
プロモーションのミスリードなどで評価の低い作品を全力で擁護させていただきます!!
見せなくていいものを見せて、
見せなくちゃいけないものは見せない。
意地悪過ぎる。でも、嫌いじゃない(はーと)。
カウンセラー(弁護士):マイケル・ファスベンダー
ローラ:ペネロペ・クルス
マルキナ:キャメロン・ディアス
ライナー:ハビエル・バルデム
ウェストリー:ブラッド・ピット
※久々にロージー・ペレスを見たよ。
豪華メンバーによる、メタサスペンス(すみません造語)ですよ。
カウンセラーはローラとの結婚を控えていた。そこで、ちょっと豪華なダイヤの指輪を買いたくて、やばい裏ビジネスに手を出してしまう。それからカウンセラーを含む、周りの連中の負の連鎖が始まりますよ。そして、麻薬の運び屋殺しを疑われ、カウンセラー&ローラはメキシコの裏組織:麻薬カルテルに追われる身となる。
前半小一時間、登場人物達による禅問答的な会話が続く。何気ない会話だったり、何かを示唆していたり、哲学的であったり、エッチな会話であったりするのですが、この謎な会話を読み解こうとすると、「見せなくちゃいけない物は見せないよー」と、邪悪な何かが、登場人物達の傍で蠢いているのを感じる。転じて、普通の生活を送っている私達の傍には、実は知らない悪が潜んでいるんではないか?と、戦慄したりする。
マルキナ「挑発しているのよ」
ローラ「?」
マルキナ「不思議な世界」
ローラ「この世の中が?」
マルキナ「いいえ、貴女の世界がよ」
マルキナにとっては、日曜日に教会に通う、まっとうなローラの生活の方が不思議ということ。このシーンが、マルキナのキャラを象徴してると思う。一般的な道徳や、規律、規則なんか通じない女。悪の象徴。そこで、冒頭のライナーの台詞が生きてくる。
「女どもには道徳観念がないせいか、そういう(影のある)男にに惹かれる。男も悪い女が好きだが、女の性格を直したがる。だが、女は楽しみたいだけ。男はとにかく、女を飽きさせないこと」
――女は楽しみたいだけ。
で、後半、がっつん、がっつん、人が死んでいく。 はっきり言うと、ハビエルもブラピも惨殺されて行く。あのいちどはめられたら逃れられない殺人兵器が、カウンセラーの運命を象徴する小道具になる。
ここ「見せなくていいものを見せて」くれる。でも、事件の全容なんか、事の真相なんか見せませんよ-。つか登場人物の過去とかも教えねーしwと言われる。やだ、意地悪。
ローラが殺されるシーンがDVDで送られて来て、表面には「Hola!(やぁ)」って書かれてる。なに、このセンス(笑)追い込まれるカウンセラーの脳裏に、この言葉が蘇る。「もう選択することはできない。あなたが選択すべきだった時はずっと以前にあった」そもそも、最初の選択ミスが、今の状態を作ってるんだよって。
なんか本作って、イソップやアンデルセンみたいな寓話的な要素もありますよね?最初に軽い気持ちで悪いことに手を出すと、大変な目に遭うんですよ!
ラスト、黒幕のマルキナはこう言う。あ、マルキナはチーター好きなんです。背中に、チーター柄のタトゥーを入れてるくらい。
「(チーターが)時速110キロで砂漠を走り、野ウサギを狩る姿。見飽きない。優雅に獲物を殺す様子を見ていると、心が震える。勿論、獲物を殺す姿は興奮する。ハンターには、優雅さと美しさがある。限りなく澄み切った心もね。美しい姿とその習性は、表裏一体なのよ。習性は殺すこと。私達人間は、まるで違うわね。(人の)心の弱さが、破滅の果てへと導く。同意しないかもしれないけれど、臆病者こそ残酷よ」
あれ?「習性は殺すこと?」習性なの?そこには法則は存在しないの?
本作は、マルキナのこの台詞で締めくくられます。
「そろそろ、お腹すいたわ」
えーっと。お腹が空いたハンターは、次の獲物が必要なんですか?
ぶるぶる。
なるほど。「悪に法則」なんかないのですね。少くなくとも、常人が理解できる法則はね。本作の邦題は、それを皮肉っていた訳ですね?分かります。
だから事件の全容も語らないし、登場人物の過去も語らない。だって、悪には明確な理屈なんかないから。意味ないじゃん!みたいな。私の解釈が正しいかは分かりませんが、もしそうならリドリー・スコット御年76歳にしてチャレンジャー!若いっすね!
キャッチコピーにあるような「黒幕は誰だ?」的な映画ではありません。ミスリードにもほどがある。
本作は"メタサスペンス"っす。
良かったです
冒頭チーターが獲物を捕らえる場面があり、それを双眼鏡で見つめるキャメロンディアスはこれから自身が始める狩りの事を考えていたのではと想像します。彼女自身がチーターでありハンターなのです。この映画はまさに彼女が主役であり彼女の物語ではと思います。ど派手なアクションはありません。非常に良かったです。
アナ雪観た直後に観たからか、集中できなかったけど、リドリー・スコッ...
アナ雪観た直後に観たからか、集中できなかったけど、リドリー・スコット監督の美学がびしびし伝わってくる映画。悪の法則=いちばん賢い人が勝者なんじゃないかしら。
価値観を共有できない相手に恐怖するアメリカ人の姿
マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピットと豪華キャスティングに、ハリウッド大作系の作品かと思いきや、実に哲学的な台詞の連続で、脚本を担当してコーマック・マッカーシーと、監督のリドリー・スコットの2人の作家性が全面的に展開する作品。
ただ、哲学的な台詞が連続するとはいえ、難解な作品ではない。
要するに、「自分が信じて疑わない絶対的な価値観すら通用しない相手に対して、人は何ができるのだろうか」という事を問うているのだと僕は理解している。
さらに、今のリドリー・スコットが監督をしているという点から、少しうがった味方をすると、本作は現在のアメリカの立場をそのまま描いた作品だと考えると面白い。
自分の価値観や想像力を越える相手と、「ヤバい」仕事や交渉を行う。ヤバい事だとは分かっていても「自分は大丈夫」と自己を過信する。しかし、ほんの少しボタンを掛け違っただけで、相手は突然、終わらない恐怖で追いつめていく。
「いちど動き出すと、だれも止めることはできない。選択肢はない」
「ただ現実を受け入れることだけ」
「お前の悲しみでは、何も買えない。なぜなら、悲しみには価値がないから」
どれも、今のアメリカを象徴するような台詞で溢れている。
殺人器具「ポリート」や殺人ビデオ「スナッフ」は、中東で現実に起きている事の象徴だ。
南米の麻薬組織機の人間は、それが殺人であっても、それぞれが自分の役割を割り切って、淡々と仕事をしているに過ぎない。
アメリカは、そんな中東や南米を「相手」にして、外交をコントロールしているつもりになっている。
ところが、そんな相手には、アメリカ的な価値観は通用しない。
“ブツ”と一緒に死体を送りつけることをギャグだと思っている相手。
車とファックするなんて性的価値観すらまったく違う相手。
そんな相手は、キリスト教に入信しているわけでもなく、牧師が「懺悔は出来ない」と拒否をしても勝手に語りかけてくる。
否、「相手」と考えると人間のように思うが、もしかしたら相手はチーターのように人間でさえないかもしれない。
そんな相手は「死」でさえも、同じ価値観を共有していない。
主人公(アメリカ)は、弁護士として助けているはずのクライアントから嫌われている。主人公の価値観は、クライアントに受け入れられていない。だから数年ぶりに出会った元クライアントからは罵詈雑言を投げかけられる。主人公は、「何かあればすぐに怒る」という欠点を指摘され、恋人(身内=アメリカ国民)に対しては「あんな奴もいる」と自己弁護になってない言い訳で、その場をやり過ごす。
そして、主人公は、自分の周囲にいる知人たちも巻き込んでいく。無垢な恋人も、何についても「知りたくない」と見て見ぬ振りするビジネスパートナーも、裏社会に精通している仲介人も、主人公に助けられた代りに協力する運び屋も、皆殺される。殺されたくないセレブ達は、もう気がついているため、「巻き込まないでくれ」と言う。
主要登場人物の中で唯一生き残った人間が、ラストシーンで「自分は飢えている」とつぶやく。
さて、飢えている相手に狙われて、主人公(アメリカ)と一緒に殺されるのは、はたして誰(どこの国)なのだろうか……。
悪女ほど怖いものはない!
豪華キャスティングにもかかわらず、キャメロンの性悪で育ちの悪さの演技っぷりに度肝を抜いた。若い頃は、可愛い女性役が多かったが、こういう役をする齢になったんですね。
「後悔先に立たず」を教えてくれる
経験した事は無いだろうか?
まぁ大丈夫だろう。何とかなるだろう。と思って手を出したら、とんでも無い目に遭ったこと(自分は何度かあります笑)。
本作はそれを最悪の結末[死]を持って教えてくれるのです。
会話劇という形を取りながら、前半は主人公に、「本当に悪の世界に踏み込むの?」「しくじると首切られるんだよ!」首切られた後めちゃくちゃにされた女もいるんだよ!」と、忠告とも警告とも取れる発言する登場人物たち。
後半は、「後悔先に立たずなんだよ」と諭してくれるカルテルのボス。
この不条理劇を、自分の過去の経験に置き換えて考えられない人、自分の思慮の浅さから恐ろしい目に遭った事の無い人は、ピンとこないかもしれませんね。
おそらく過去にヤバい経験が無いであろう事は、主人公の前半の緊張感も覚悟も無い顔を見れば明らか。
前半のある意味アホ面と後半のひきつりまくった顔の落差を見せてくれる、マイケル・ファスベンダーの演技は絶品!
何かをやる時は、必ず良い結果だけでは無く、最悪の結果を想定しておくべき!そのリスクを考えてから行動するかしないか決めましょう。という教訓になる映画です。
なにこれ?
なんでこんなに評価が低いのか
わからないんですけど?
って位、自分ははまりました。
キャメロン・ディアスって
すごい女優さんになりましたよね。
チャーリーズ・エンジェルの時は
こんな演技派女優になるとは
思いませんでした。
ブラッド・ピットは
やっぱりこういうクセのある役を
やらせたら見事に演じてくれます。
この映画は本当に悪いのは誰だ?
主人公をハメタのは誰だ?
的な映画ではありません。
一度選んだ選択肢により
後戻りできない事態に陥る主人公と
それに巻き込まれる婚約者
その他関係者の話です。
主人公は軽い気持ちで
裏の商売に手を出しますが、
後悔したときには、もう遅く
ただの弁護士が麻薬組織から
逃げられるわけがありません。
その点は現実世界でも同じで
後悔したときには遅いことは
多かれ少なかれあることです。
最後に勝ったのはマルキナでしたが、
それまで勝っていたのは
ウェストリーだったんでしょうか?
ニセ保安官の雇い主は麻薬組織?
ウェストリー?
どっちだったんでしょう?
ちなみに一番好きなシーンは
ウェストリーの最後のところです。
音楽もカッコいいし
ここでこれを使ってくるのか!
っていう驚きと
そしてブラッド・ピットの演技が
最高でした。
臆病者ほど残酷
リアルなサスペンスというよりも、寓話的な話。
別に弁護士とメキシコマフィアの騒動を描きたかった訳ではない。
あらゆる時代、あらゆる国に当てはまる普遍的なテーマを描いている。
--
主人公の弁護士に、周りの人間は麻薬マフィアの残虐さを長々と話す。
彼らは、弁護士に危険を「忠告」したのではなく、
麻薬ビジネスに加担しているオマエもその残虐さの一員なんだと罪の「告発」をしていた訳だが、
そのことに弁護士は気づかない。
いや、気づかない振りをしている。
周りもやっているからと流されている。自分は残虐ではないと勘違いしている。
そうやって罪から目を背けている。
目を背けた結果、惨劇が起きる。
—
流される事、目を背ける事、その先の悲劇を想像しない事、自分の責任だと分かっていない事
それは、歴史的に繰り返し起きている。(唐突すぎる例かもしれないが、現在公開中の映画「ハンナアーレント」のナチス親衛隊アイヒマンだって同様なのかもしれない。彼が特別な極悪人だった訳でなく流されてしまう凡庸さが苛烈な歴史を生んだのかもしれない。)
そういった大きな時事や犯罪だけではなく、もっと些細な事であっても
日常的に、気づかずに、もしくは気づかない振りをして、他人を踏みつけにしている事はないだろうか。
罪の意識もなく流されている事はないだろうか。
全く無いと言い切れる立派な人は、この映画を必要としていない。
(もしかしたら気づいていないという点において、最も必要としている人なのかもしれない。)
—
自分の残虐さから目を背ける者こそが一番残酷。
ラストのセリフ「臆病者ほど残酷」が耳に残る。
長話の法則。
かなり前から大宣伝予告していただけあって、宣伝効果は
あったものの、これだけのスターを起用してこの仕上がり?という、
なんかもう、纏まりに欠ける脚本の法則?を感じてしまった本作。
原作には忠実なんだろうけど、まぁ~とにかく陰惨な話の連続で、
そのうえ85%強がダイアローグときてる。長い、長い、長い、長い…
一体コイツの話をどれだけ聞いてりゃいいんだよ?と堪え性のない
私のような人間には不向きな作品かもしれない。。
しかし観終えてしばらく経つと、確かに邦題通りかもしれないな~
という、妙な説得力は芽生えてくる。
野生の法則じゃないけど、確かに悪の上には、さらなる極悪が
存在していて、お前らなんかクソ同然。とばかりに脅しにかかる。
今作の黒幕の存在は(どう見ても)まったく謎ではなかったので、
あの顔つきといい、やってること、言ってることといい、コイツが
陰でなんか企んでるんでしょ?という具合だった。加えて主人公の
カウンセラーが、何だか気の毒というよりあんたバカ?と思うほど
まんまと罠に引っかかる。あれで敏腕弁護士なの?ホントにー?
真面目なウサギを餌食にする強欲動物がすぐ近くにいるのに。
キャー、怖い!でもゼンゼン話が進んでいかないんだわ。
ブラピが出てきて延々とカウンセラーに説教するその言葉が、
後でまんま効いてくるところも、エェ~という感じでひねり感ゼロ。
怖い話はそのまんま怖くて、怖い存在はそのまんま怖い。
だったら初めからよく心得ておけ。と素人の私でも申し上げたい。
某国を悪く言いたくはないが、先日観たドキュメンタリーにもあった
ように、簡単に人が殺されて、さらにはゴミとして捨てられる現実。
生まれたばかりの赤ん坊ですら、あの場所に遺棄されるんだそうだ。
そんな場所で生活している(例え永住じゃないにしても)外国人なら、
外でなにが行われているのか、少なくとも勉強しておくべきだし、
周囲に何らかの悪が存在することにアンテナを張っておくべきだろう。
幸せボケしているのは日本人だけじゃなかったんだー。なんて、
こんなところで納得したくないほど、首へのホラーが襲いかかる。
(キャメロンの車上シーンはまさに悪夢^^;想像するだけで怖すぎ~)
ウェストリーについて
ブラット・ピットが演じたウェストリーについて。
ここにあるレビューを拝読して、誤解もあるようなので記します。
ウェストリーが最後になぜマルキナによってあのような陰惨な手段で殺されたかというと、ウェストリーがマルキナを出し抜いたからです。
映画後半でのマルキナの電話の相手が誰であるかは示されませんが、(麻薬が)どこに運ばれるかは分かっていると、感情的にマルキナが伝える相手はウェストリー以外にはありません。麻薬組織の手によってではなく、マルキナによってウェストリーは殺されるのですから。
ウェストリーから奪ったPCの画面に写し出される銀行口座には、おそらく報酬の2000万ドルが振り込まれているでしょう。
シカゴに届くまでに麻薬を奪い返すことはできないと悟ったマルキナは、即座に考え方を変えて、ウェストリーの口座自体を狙ったのです。
ウェストリーは、もしものことがあれば修道院にでも入るなどと冗談を言っていましたが、元々計画していたかのようにロンドンに降り立ち、リムジンに乗り、ひっそりと身を隠すでもなく堂々と高級ホテルに入り、受付で女性を口説いていることからも、足を洗う気などなく、まだ計画が進行中であることがわかります。うまく出し抜いて、大金が入り、気持ちも緩んでいるように見えます。
唯一ウェストリーが感情的になるのは、登場の最初のシーンで、カウンセラーの口からマルキナの名前が出たときです。もしかしたら、サングラスを外したときに見える目元の痣は、マルキナ絡みのものかもしれません。マルキナの計画を一緒に進めていた、もしくは何らかの事情で知っていたウェストリーが、マルキナが奪った下水処理車をさらに奪ったのです。
最後に登場する投資コンサルタントの男性の元々の顧客はウェストリーでしょう。ウェストリーはこの世を去り、代わりにマルキナが現れた。彼はマルキナと組むしかなく、だから、あのような探り合いの会話になるのでしょう。
これから始まる殺し合いは、元の組織と、ウェストリーが裏で組んだ組織、マルキナが率いている組織によるものと推測されます。マルキナが裏で動いていたことが判明する可能性は大きいので、アメリカには戻らないのでしょう。おそらく香港でもない。
バイカーが殺されたあと、ウェストリーがカウンセラーをわざわざ呼び寄せて助言をしたり、アメリカからの去り際に再び電話の相手をしているのは、自分が裏で動いていることのカムフラージュだと考えられます。多少の良心の呵責もあったのかもしれません。最初からウェストリーは、カウンセラーに助言のようなことをしていますから。目の前の男の行く末を、最初から知っているのですから。
この作品でもっとも惹かれたのは、メキシコの国境近くのカフェで、カウンセラーと店主が話すシーンでした。妻も娘もなくして生きている自分がもっとも無意味な存在だと語る彼に、カウンセラーのその後を見るようです。映画では描かれることがない、10年、20年先を生きているカウンセラーの姿。国境の外れにある町の片隅の小さな店で、寝入ってしまった客を起こし、食器を片付け、シャッターを閉める、次の朝にはまたそのシャッターを開け、その繰り返しのなかでただ時間が過ぎるのを待っている。
最後に余談です。
カウンセラーは、ローラのスナッフフィルム(DVD)が届くことで絶望のどん底に落とされますが、それ以上のどん底が、10年以上前の日本映画に映っています。
哀川翔・香川照之主演、黒沢清監督の『修羅の極道 蛇の道』。
どうやら規定でリンクが貼れないようです。
この映画、おそろしいですが、おそろしいくらいおもしろいです。
もしもリドリー・スコット監督が『悪の法則』の制作前にこの作品を見ていたら、きっと脚本に手を入れ直していたでしょう。
パンフレットに寄稿する評論家も大変だ
先だって公開された『ワールド・ワーZ』といい、映画配給会社は短期決戦でとりあえず集客ができればいいとでも思っているのか。もちろん、集客は大事だし何よりそれがビジネスではあるが、『悪の法則』という邦題、「黒幕は誰だ?」的な煽り、いずれもこの『The Counselor』には相応しくなかった。あまりにも作品とかけ離れた邦題を付けて見当違いな煽りを入れるのは、映画に対する敬意が欠けていないだろうか?とはいえ、そういう配給会社対する不信を覚える一方で、ぶっちゃけそうでもしないと結構きつい映画であるのもまた事実だ。
この映画、肯定的に言うなら「俳優の贅沢な使い方」であり否定的に言うならば「俳優の無駄使い」だ。マイケル・ファスベンダーは相変わらずいい演技をしていたし、見ようによってはペネロペ・クルスもブラッド・ピットも「彼らがああいう使われ方をする」というのもある意味斬新かもしれない。しかしバビエル・バルデムはどう見ても松阪牛をウェルダンに焼いたぐらいのすごい無駄使い感がハンパない。どうしようもない肩透かしで悪い意味で仰天してしばらく開いた口が塞がらなかった。加えて構成がどうもおかしい。そもそも何故キャメロン・ディアス扮する悪女は薬の売買のルートを知り得ることができたのか?主人公が担当していた受刑者は国選であてがわれたのであくまで偶然だし、その運び屋の息子の身元引受人になるのも偶然だったはずだ。それを何故計画的に奪うことができたのか?ペネロペ・クルスは主人公の女だから「ああなった」のにメキシカンから見たら同位置にいるようなキャメロン・ディアスはなぜ無事なのか?さらには語られないことも多過ぎる。男達三人の関係も、主人公がどれほどコアに薬物の売買に手を染めていたのか、「危ない危ない」みたいなことばかり皆口々に言うが(そのくせ絶体絶命だというのに主人公以外妙に冷静だったり)、当の危ないことが一切描かれていなかったりと、つまりはこの映画には観客を説得するという手段が尽く抜けているのである。そのせいで、ただ単に残虐な描写をして観客を陰鬱な気持ちに落とし込みたいだけの、製作者の性格の悪さがにじみ出ているかのような印象すら受けてしまうのだ。その製作側の残虐性の最たるものがブラピの末路だ。劇中で説明されていたように、あの処刑方法はメキシカンが見せしめにやるやり方であって、別にキャメロン・ディアスがその方法をやる必然性はどこにもなく、ノートPCが欲しいならひったくるなり後ろからナイフでぶっ刺すなりすればいいだのであって、あんな陰惨な死に方をする必要などはどこにもないのだから。
別に自分が善人だといいいたいわけではない。ただ映画の造りとして安易なハッピーエンドが胡散臭いのと同様、安易なバッドエンドも十分に胡散臭いのである。特に不条理という受け入れがたいものを観客に飲み込ませるなら、ハッピーエンド以上に構成や主題に気を使わなければならない。少なくとも同じコーマック・マッカーシー原作の『ノーカントリー』にはそれがあったのだが……。
後味は悪い
終始会話メインなので
字幕で見たこっちはストーリーを
必死に追ってる∑(゚Д゚)
裏社会がどんなものかというよりも
それぞれ皆さん個性が豊かで(笑)
そちらの方に目がいった(笑)
キャメロンディアスは車と○○○www
ブラピはあんだけ逃げ足早かったのに
すごーくあっけなくご臨終。
首締め装置や首飛ばしワイヤーなど
見た目は地味だけどエグい。
ここまで地味にエグいなら
カウンセラーの婚約者ローラも
ブラピが語ったエグい方法で殺られちゃう
のかと思いきやゴミの中でポイ?
あのドラム缶漬けの死体は?
カウンセラーが最後に手にしたCD-ROMは
一体何が映ってたの?
なんだか後味悪いスッキリしない
結末でした…
もう一度見たらわかるかなー?
でももう見たくないなー(-。-;
行間たっぷりの映画
哲学的詩文が言の葉に乗って、登場人物達の口からこぼれでる。
このセリフが、キャメロン・ディアスの口から出ずると、滅茶苦茶にかっこいい。
劇中、この世に存在する沢山の「世界」について長口上をふるう人物が登場する。
はめられた主人公カウンセラーに対して、彼の言いたいことは結局、陳腐な言い方をすれば「裏社会」に足を踏み入れたお前が悪い、ということ。失敗したことは取り返しがつかないが、死を迎える準備ができるかできないかの岐路にいると言う。
なぜ仲買人のウェストリーは殺されてカウンセラーは殺されず、婚約者のローラが殺されたのか。
「住んでいる世界」をわきまえずに足を踏み入れた彼への罰だろう。
ウェストリーを生かしておいたら示しはつかないが、彼を生かしておいてもなんら脅威ではない。
とるに足らない相手と見下しておきながら、報復というのが妻を主人公にしたスナッフフィルムを届けるという残酷極まりない仕打ち。
「自分の存在価値があった世界」がもうどこにもなくなってしまったカウンセラー。
あるリッチな世界に生きていた平凡な男が、生きる屍になった瞬間を目の当たりにし、戦慄する。
しかし、それもこれも全て最初に忠告を受けていたこと。
マルキナはせせら笑うだろう、忠告を聞かなかったあんたが悪い、と。
特に高度な推理は必要としないが、めまぐるしく登場する沢山の人物たちが、どこで誰をはめようとしているのか、また、麻薬がどういったルートを通って運ばれていき、秩序を乱した者がどのタイミングで殺されるのか、一部始終、目が離せないスリリングな展開だ。
観客は安全圏にいながら別世界を恐る恐る垣間見る。
そこには観客に対しての無駄な説明は一切なく、時折与えられる台詞から事態を推測せざるを得ない。行間たっぷりの映画。
余談だが、ペネロペ・クルスとキャメロン・ディアスはバニラ・スカイでも共演していたが、その時もペネロペは主人公の運命の女で、キャメロンは悪女だった。
美貌も金ももっている女が、嫉妬とも妬みとも違う、他の女に対しての純粋な破壊衝動。
平凡な世界に満足する相手に苛々しながらも、絶対に自分のいる世界には足を踏み入れてほしくないという、矛盾した感情。
そんな機微を演じるキャメロンには悪女がすこぶる似合う。
悪女であることで、セクシーさがひときわ増す。チャリエンよりこっちの方がずっといい。
チーターをペットに荒野で狩りの姿を楽しんでいたマルキナが、「思い出に温度はない」と言い放つ瞬間、彼女の冷たい笑みを眺めながら、つくづく「こちら」の人間でよかったと胸をなでおろした。
原題をカウンセラーとしつつも、真の主役は全くもって彼女であった。
良質の小説のような示唆に富むセリフに満ちている。
「悪の法則」。リドリースコット監督。R-15。いや、社会人二年目くらいからがいい。全体でR-24くらいの内容。
日本人は物語に教訓を求めすぎる。
そうして、理解できないと傷つき、否定する。
共感があれば何でもよい。面白ければそこからリアリティのボーダーラインが生まれるものだ。
つじつまとはそういうものだと思う。なんとも利己的で個人的でいい。面白ければ・・・。
これ、もしかしてカルトになるかも。でも、一般的には薦められないなぁ。
ストーリーは複雑ではないが、キャラクターの役割を説明せずに進むドライなスタイル。
物語背景や現状、キャラクターの状況説明が少ないかわりに、小説のような示唆に富むセリフに満ちている。このスタイルがこの映画の代えがたい魅力。
この映画は「読む」映画。表情ではなく、示唆に富んだ比喩ばかりのセリフを読むことでかみしめるように楽しむのだ。
正直、字幕訳者は時間内の理解を選んだらしく、比喩表現を無視して短い文章で状況を説明する意訳を多用していた。
文学性に富む原語の表現は字幕スーパーに表されていなかった。聞き取りやすい英語なので是非堪能してほしい。
メタファーが意図する本能に食い込むセリフの不安の暗示は、すべて現実になるようしむかれている。
役者も主人公3人の他にブラピ、ブルーノ・ガンツやらチョイ役でERのジョンレグイザモやら、これまたERのゴラン・ヴィシュニックやらアンダードームのディーンノリスやら妖しいのがいっぱい出てくる。
ブラピはいかがわしさ満点で、マイリーサイラスのお父さんそっくりに仕上げてきた。
ラスト前シーンは、このいかがわしさをいかんなく発揮してくれる。
まるで小説を読むような映画。これで原作なしだから脚本力と演出力のコラボがスゴい。
ただ・・・映画館観客の1割はついていけなくて爆睡。ラストも不満お方たちが6割くらいはいる。
特に映画体力とか映画遺伝子とかは、タランティーノのようなオマージュや引用もないし妙な時間軸交差もないので全く不要。
クラッシュのような時間交錯因果応報サスペンスでもなく、ユージュアルサスペクツのような切れ味のあるミステリーサスペンスとも言い難い。ジャンル分けの難しさがある作品。
しいて言えばあれに近いか。キューブリックのアイズワイドショット。
シュニッツラーの不安心理劇。
でも。それを超えたセリフの示唆に目力が加わる。訳も分からず涙が胸の奥からこみあげる作品でした。
<ネタバレあらすじ>
メキシコ国境間の乾いた土地、太陽、悪徳なThe richの面々。
原題は「The counselor」。相談役、ということで。劇中では「弁護士」と訳されていた。
マイケル・ファスベンダー扮する弁護士。ファビエル・バルデムはエルパソの下水業者を隠れ蓑にした麻薬ディーラー。
ドラッグは中米内の原価とLAでの末端価格差がとても大きい。
カルテルから仕入れて安定供給すれば豪華な暮らしが約束される。
毎日がパーティの暮らしのディーラーの隣には銀のマニキュアと金の八重歯が光る謎の女。キャメロン・ディアス。 プールで泳ぐ肩にはネコ科の肉食動物柄の斑点タトゥ。
2頭のチータを飼い、Cat、と呼ぶ。野生が好きなのだ。本能の赴くまま。バイセクシャル。
そして、ファスベンダーは交際中のペネロペ・クロスに夢中。
午後2時。昼か夜かもわからない気怠い寝起き。
「七日で戻るから。」と白いシーツの中で女の股に顔をうずめながら語りかける。
「どこで覚えたの?そんなこと・・・。」と貞淑な彼女を辱めるR-15のセリフ。
愛する恋人に勝負をかけたギフトを。
宝石商は年老いたベルリン天使の詩。ブルーノ・ガンツ。
「宝石は欠点を評価していくもの。」とダイアモンドの4Cを手ほどきする。
レコメンデーションは3.9カラット、カラーはD、クラリティはVSだと説明する。
「ダイアモンドの最高級は何もないこと。光そのものが最上級。「欠陥」が少しずつ光を損ない、評価のポイントとなる。そして、警告の色を放つ。」
Sweet daiamond for your hand・・・。
ダイヤモンドは国際シンジケートのにおいがする・・・。
マイバッハを駆るファスベンダーは愛する恋人のために3.9カラットを買ったのか他の推奨品を買ったのかは明らかではない。だが、苦渋の表情。経済的な問題が最近起きたことを示唆する。
そして、麻薬カルテル関係者の古い親友ブラピに近づき、ハビエルとの闇商売を開始する。
ブラピは警告する。「俺は助言はできない。が、こんな警告を聞いたことがある。それを聞かせる「ここから先は来るべきじゃない。」と。」
ハビエルは銀の爪の女にハマりながらも不安を覚える。フェラーリをファックする女。
「表情の読めない女とは付き合うべきじゃない」と。「話すべきじゃなかった」と。
一方、キャメロンはプールサイドでペネロペと過ごす。
バイセクシャル。ペネロペの身体は何度も重ねた熱い夜を忘れられない。
「結婚するの。」
「指輪、外して見せてよ。カラーはG、クラリティはSV2、大きさは3.5もしかして3.8かも。」
肉眼視だけでズバズバとダイヤ評価を辛辣にあてていく。ブルーノ・ガンツが示した1ランク下ずつを正確に。
カルテル、シンジケート、銀行・・・。個人の情報を操り罠を周到に繰り広げ展開していくのは野生の狩猟本能からか・・・。
そう。全てはキャメロンが仕掛けた罠に皆がハマっていく。
だが、ラストを見る限り、計算を清算するような映画ではない。
これは本能の残酷と美しさを示唆とともに叙事にした詩なのだ。
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