「ボリートorチーター」悪の法則 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
ボリートorチーター
さて、リドリー・スコット作品である。かなりの問題作という触込みであるし、とにかくSF映画ファンならば“ブレードランナー”を撮った人の作品はスルーできないのが通常であろう。
作品内容は観ただけではストーリーは把握出来ない。ネットで調べてやっと全体像を把握出来る程、不親切な構成である。多分監督の意図は粗筋よりも、哲学的、宗教的に基づいた一種の“寓話”を用いた教訓や道徳観念に重きを置いた構成であろう。だから主人公のいわゆる“心の隙間”みたいなものがこんな大がかりな顛末を迎えてしまう危険性を示唆するという意味合いで充分意図は伝わっている。色々な人が投げかける注意信号は、実際自分が主人公の立場であっても見過ごしやすい、仲間内の脅かし程度のレベルだ。思い切り反対をしてくれる人が周りにいてくれればもしかしたら回避できたかも知れない。しかし、そういう人は周りにいるはずもない。とかく意見を異なる人とは交わらないから。かくして同じ穴の狢は、それぞれ地獄に足を踏み入れる羽目に陥る。賢人は、自分とはハッキリ異なる意見を持つ人間を重く用いるものだ。かくして凡人はそれが出来ず罠に引っかかる。ファムファタールの上をいく極悪女のマキルナが原因ではない。こういう“悪”は常にチーターの如く獲物を狙っているだけ。自分が狩られる方の立場だと自覚していれば下手なことはしまい。この世界は幾重にもレイヤーがあり、レイヤー毎にルールが違うということを否応なしに突きつけてくる、ヒリヒリ感MAXの作品である。自分が今住んでいるレイヤーから外に飛び出してしまった時、それは即“死”なのだという現実を突きつけられた貴重な内容であった。