「暈した描写は好きじゃない」百瀬、こっちを向いて。 たくっちさんの映画レビュー(感想・評価)
暈した描写は好きじゃない
思いを割り切った二人と
思いを割り切れない二人の群像劇。
割り切れない側の主人公視点で終始作品は
描かれていますが、思いをぶつけたその先の
描写がカットされている為に
ややモヤモヤ感が残ってしまうのが個人的には難点。
思いを割り切っている二人。
瞬。
人生設計がしっかりしていて、徹子と交際しているのもその人生設計の一つである。
徹子。
そんな瞬の人と為りを承知の上で、それでも交際をしている。
高校生の時点で、こんなに生き方を計算している人はあまりいないと思います。
だからこそ生き方の定まっていない二人には大人びて見える。
そういうのに惹かれますよね。高校生の頃なんか特に。
思いを割り切れない二人。
陽。
二股と分かっていても突っ走るのみ。
思いがはっきりしている分、主人公より幼くは見えないか。
ノボル。
最初の時点では何も無かったものが、陽との(偽装)交際のうちにどんどん変わっていく。
普通の17歳の感情ってこんなもんじゃないでしょうか?
勝手にイメージしてごめんなさい。
二人は想いの割り切りができず、ただ人にぶつけるばかり。
そんな感情の爆発はクライマックスでピークに。
回想となる高校生時代のシーンはそこで終わりを告げます。あれ返事は?ねえ返事は?
ややぶつ切り感が…。
そしてラストシーン。
ノボルの前を誰かが通り過ぎていく。
ノボルはハッとしているので誰かは分かっているのでしょう。
が、またもや顔が見えない…。
個人的な所感ですが、こういう描写は
クライマックス、ラストシーン含め
ぼかしたりせずきっちり描いてほしいなあ。
「察せよ」とは分かっていてもモヤモヤします。
最近見た同じテイストの作品がそうであって、爽やかな終わりであっただけに。
なお、本編には絡みませんが、
ノボルの相談相手になる田辺真治さん演じるひろみがいい役どころです。
原作がそうなんだろうけど
ノボルが自転車を倒して途方に暮れている所に、「やっ」て。
どんだけおいしい所持っていくんだと。
時に見守り、時に背中を押す。
うん、おいしい(大事なことなので二回言いました)。
長文読んで頂き有り難うございました。