あの頃、君を追いかけた(2011)のレビュー・感想・評価
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最後に泣ける、サイコーな青春恋愛映画
かつて人気が出たものの、なかなかみる機会がなく、ちょうど再上映されるタイミングで鑑賞できた。
はじめはかなり下ネタがストレートで、観ているこっちが恥ずかしくなってくるけれど、それが青春の象徴と思えてくるとほほえましくなってくる。
「君を追いかける」くらい何事にも夢中だったわけである。
つかずはなれずの展開が続き、少しベタで中だるみはするものの、その一つ一つのやりとりが、最後の一瞬によって一気に感動へと昇華される。映画の体験で一番好きなところ。
何一つ無駄などなかったのだ。
さわやかとは正反対ではあるけれど、こういうがむしゃらでストレートな作品もいい。
【”恋はつかめないうちが、美しい。”焦れったい高校男女のあと一歩踏み込めない姿を、コミカルテイスト満載で描いた切ない恋物語。】
ー 台湾青春映画は、グイ・ルンメイの「藍色夏恋」が一番かと思っていたが、今作もそれに比肩する佳き作品であった。-
■台湾中西部の町・彰化。悪友らと能天気な高校生活を送るコートン(クー・チェンドン)に怒った教師は、優等生・チアイー(ミシェル・チェン)を彼のお目つけ役に任命し、席替えをし、チアイーをコートンの後ろの席に変える。
2人は初めこそ反発しあうも、チアイーが教科書を忘れた時にコートンが代わりに怒られた事で急接近。
しかし普段はお茶らけているのに、いざとなると自信のないコートンはチアイーに告白できず、やがて2人は別々の大学へ…。
そして、それはチアイーも同じであった。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・先日、この作品のリメイク版を鑑賞したが、山田裕貴さんのコミカル演技に笑い、時に沁みたモノである。
そして、オリジナル作品が見たくなったという、実に単純な理由で鑑賞した。
・この作品を観ると、山田裕貴さんのコミカル演技はコートンのコミカル演技そのままであり、【父と共に裸族、勉強中鼻の穴にペンを突っ込んでいる・・】日本映画製作者たちの今作に対するリスペクトが感じられた。
・特にチアイーを演じたミシェル・チェンの可愛さや演技力には驚いた。
ー 台湾人と日本人はルーツは一緒だが、改めて実感。-
・ストーリー展開もほぼ同じながら、オリジナルはキョンシーとか台湾ならではのシーン等も盛り込んでおり、良かったな。
ー リメイク版では”少し無理があるかな”と思った二人の願いを書いた紙風船を飛ばすシーンなども違和感なく、観賞。-
<今作があって、日本の素敵なリメイク青春映画が出来たのである。私はオリジナルとリメイクの比較はしない。
どちらも、魅力的な可笑しくて少し切ない佳き作品でありました。>
■エンドロールのミシェル・チェンのおふざけシーンは、可笑しかったな。
そして、キラキラ光る君にハートを奪われた!
(原題) 那些年、我們一起追的女孩
青春がギュッと詰まった作品
90年代の台湾を舞台にした青春の物語。
誰にでもある、バカなことばかりしていた学生時代の一コマを描いています。
細かい下ネタが多く、主人公の家は裸族(母除く)。
食卓の場。箸で持っているでかいフランクと、丸っとしたエリンギもあえてだろう。いや絶対。
本当にどうでも良いエピソードの繋ぎ合いなのだけれど、何処か懐かしくて心地良いんです。
作中に「スラムダンク」がちょいと顔を出したと思ったら、さらに井上雄彦死亡説まで出してきたりと、かなり好きな様子。
他にも天下一武道会やはじめの一歩ネタも出てきて、日本のサブカル大好きな様子。
あとAVネタも。飯島愛の名前とか懐かしいくて、何とも時代ですね。
そんな馬鹿馬鹿しい連続ですが、実は思ったよりキラキラしていて、でもやっぱり服脱ぐのは忘れてなくて、皆それぞれの道に旅立って行く姿を描き切っていました。
最後の言い放つセリフもすっごいグッと来るんですよね。
青春がギュッと詰まった、何とも素敵な作品でした。
苦笑と、ほろ苦さと、温かさでできた映画
「青春は恥と後悔と初恋で作られる」。そういう、愛おしい映画。
”恥”と”後悔”の部分を、一人で見るか、仲間と見るか、恋人とみるか、子どもをはじめとする家族と見るかは選びたくなるけれど。
踏み出せなかった、一歩。そんな、切ない思い出をくすぐる。
ヒロインがいい。
かわいいだけでなく、これでもかというほど面倒くさそうな表情とか、いろんな場面でみせる、すべての表情がいい。
幼稚なコートン。
お馬鹿度は予想をはるかに超えていて、目が離せなくなる。
それなのに、要所要所で見せる男気。
惚れてまうかは、人それぞれだけれど、チアイーの涙も含めて、チアイ―の気持ちはわからなくもない。
(あの場面で、最初に教官に反発するのがコートンじゃないところもみそ)
台湾映画は意識していなかったけれど初めてだったようだ。
卒業式で流れる蛍の光にびっくりしたり、あんなことをしても退学にならない私立高校にびっくりしたり、警官みたいな教員がいることにびっくりしたり。
また、この場面をこう演出するかという監督の感性もいい。
一人一人が新たな新地に向かう場面とか(表現されている題材が「ん”」という場面もあるので、複雑だが)。
台詞の掛け合いも良い。さすが小説家。
「無駄なことも人生のうち」
否、成果に結びつかないことにだって、これほどの大切な思いが…。
なんて展開にならない。教訓映画ではない。
途中はドン引きする場面もありつつ、
思い出すと苦笑とともに、胸の中に灯がともったような温かさを感じる。
ロマンチックで、歯がゆくて、叫びたくなる。
自分の”あの頃”を思い出してこそばゆい。
「見てよかった」と思える映画は久しぶり。
尤も、R12にしなくていいのか(いや、これ、子どもと見たら慌てる)部分があるから、複雑…。
それも含めて、”青春”なんだけれどね。
青春だ〜
台湾映画、初の鑑賞。
慣れない言語になかなか耳が慣れるまで時間がかかってしまいました。
口コミを見て面白そうだったので観てみたら、なんとも
素敵な作品でした。
あの頃、君を追いかけた
観賞後に、このフレーズだけでキュンとしてしまう。
そのくらい、甘酸っぱくて、アホっぽくて、必死で、まっすぐで、ただただ若さに溢れている高校生達が眩しいのです。
主人公のコートンのように、1人の女性にここまで惚れ込むことのできる人ってなかなかいないし、こんなに純粋な恋をしてる高校生が今の世にいるのかすら疑問。ですが、いて欲しいと切に願う。
男子たるもの、このくらいまっすぐに熱い恋心を抱いてもらいたいなと、男子を育てる母として願ってしまいますね。
そして、女子も、このくらい熱い気持ちにさせるくらい素敵な女の子に育ってもらいたいと、女子を育てる母として願います。
あの頃、私にもあったんですよねそんな時代が。
忘れてしまったあの甘酸っぱい青春を思い出させてくれました。
たくさんの方がレビューに書かれていますが、最後10分は最高です。こんな素敵なエンディングがあるなんてー!また観たいです。
時よ、戻れ。
誰も死なない恋愛映画
青春の切り取り方
嫌味がないどストレート青春映画
・年齢的に90年代に高校時代を過ごした身として、ベタな青春描写ながらも自分の思い出と重ね合わせてみてた(隣通しの席、一緒に下校、長電話)
・幼馴染みの馬鹿と優等生ヒロインの"恋"を目の前にしてもじもじしてたあの感じね!
・スト2、キョンシー、井上雄彦、飯島愛、毛穴パック、公衆電話、初期携帯などのアイテム懐かしい
・てらいなくベタなストーリーだと俳優の匿名性って大事だな、その点台湾映画というのがいい風に働いた
・おもいっきりシコる描写がある青春ものはいいね、あと日本のAVめっちゃ好きよね
・青い点々のシミのついたシャツ、ヒロインが友人にだけこっそり語った告白、二人で飛ばしたコムローイにかかれた文字などの伏線も最後にきっちり回収するラスト10分に涙
・ふたりがどういうキスをするのかとずっと思ってたところ、一捻り効かせた展開がなんとも心地よかった
・日本映画も見習うとこ多すぎる
台湾好きになりました
アップル・オブ・マイ・アイ
始まってすぐ、背中の部分に青ペンのシミが付いたシャツが映し出されるのだが、もうこれだけで淡い青春を掻き立てられる。
きっと、このシャツの持ち主にとっては、捨てられない忘れられない大切な宝物…。
舞台は台湾中西部の町・彰化。中高一貫の学校に通うコートンはクラスの問題児で、バカ友とつるんでは遊んでばかり。担任の指示で、クラスの優等生・チアイーが監視役に就く。お互い反発し合うが、次第に…。
どの国の映画にも必ずある、お国柄は関係ない普遍的な青春ストーリー。
冒頭の“予感”はそのものズバリであった。
甘酸っぱく、淡く、懐かしく、切なく、温かく。
主人公のコートンがとにかく“幼稚”なのだ。
ジョークのつもりかもしれないけど、自称“俺は天才、俺は二枚目”。
家では何故かいわゆる裸族。何故か気まぐれで勉強する時は鼻にペンのキャップを入れる。
多分真面目に勉強すれば間違いなく優等生なのに、バカばかりやる困ったちゃんだけど、コイツが憎めないんだなぁ…。
優等生でありマドンナであるチアイー。
窓辺で静かに本を読んでるおしとやかな女の子…ではないんだな。
結構気が強い。
桜庭ななみか川島海荷か清水富美加似の、いい感じで普通っぽい可愛さ。
片や鬱陶しい。
片や煩わしい。
しかし、そんな2人の距離が縮まったのが、ある忘れ物。
あの時のコートンがイケメン対応。
幾ら気が強い女子でも、あれはキュンとなるよ。
それからいつの間にか意識し始める2人。
…なんだけど、付き合い始めたかと言われれば微妙。
勿論お互い好意を抱いているのは一目瞭然。
入試に落ちて落ち込んで泣くチアイーを慰める時の2人の台詞。
「こんな時に好きだなんて言わないで」
「好きなのは知ってるだろ」
普通にそのまま付き合えそうなのに、なかなか前に進まない焦れったさ。
そうこうしてる内に卒業となり、別々の道へ。
女子はあっという間に大人になるが、男子はまだバカで幼稚なまま。
擦れ違い、そして…。
1994年から2005年の時代の遍歴。
1999年の大地震は恥ずかしながら知らなかった。
台湾のカルチャーも全く知らんが、日本のカルチャーがちょこちょこと。
特に、日本の○○があんなに台湾の男子共のお世話をしていたとは…!(笑)
コートンとバカ友たち、チアイーと仲良し女子で行った海。クッソ、こんな青春して来なかったぞ!
女性の髪型はストレートが一番好きだが、ポニーテールがあんなにも可愛い。
台湾の人気作家ギデンズ・コーの自伝的小説を自らのメガホンで映画化。
あの日あの時を思い出すような作風なので、2人がその後結ばれるか否かは薄々察しが付く。
ラストのキスの強さはその想いの証。
あの頃、君を追いかけた。
今も君を思い出す。
アップル・オブ・マイ・アイ。
そうそう、冒頭のシャツの青ペンのシミは、チアイーが前の席のコートンにペンでちょんちょんと叩いて呼び掛けたもの。
クッソ、こんな青春もして来なかったぞ!
3回観に行った
同じ劇場に公開中3回観に行った。3回目のラストでもまだ涙は止められなかった。
男の子というものはとても稚拙である。その幼稚さが同世代の女の子にはときに理解に苦しみ、すれ違いの原因となる。これは男の子を育てる母になった人にぜひ観てもらいたい。息子の幼稚さ、恥ずかしいくらいにバカで頭の弱いところは、男の子に共通の特質なのだ。
様々な演出が明るくポップで、これが映画のトーンを決定づけている。なんともテレビ的で、しっかりとした映画的な語り口を期待してはいけない作品である。
では、なぜこの作品にこうまで魅かれるのか。それは、この作品の主人公がギデンズ・コーそのものであり、この映画を撮っているこの監督自身が、いまだに主人公コートンそのものに他ならぬ、幼稚で恥ずかしい人物であるからである。誤解のないように言っておくが、監督を貶しているのではない。男の子の経験する恥ずかしさ、馬鹿らしさを素直に映画として表現し、また、自分自身もそこからあまり成長していないことを率直に認めているところに面白さがある。これを表現しようと映画製作に挑んだコー監督は、まるで大学での武闘会開催をプロデュースしたコートンそのものではないか。もちろん、ヒロインを演じたミシェル・チェンは、あまりの幼稚さに怒って帰ってしまうことはなく、めでたくクランクアップにたどり着いたということだが。
観終わって数日経つと、また彼らに会いたくなるのだ。なんの目的もなく下らないバカやって、それでもお互いのことを気にかけている。人生の大切な瞬間とはそんなものではないだろうか。特別な恋愛や成功譚ばかりが輝ける青春ではない。そういう多くの人の恥ずかしく下らない青春を、輝いたものとして振り返ることができるからこそ、多くの観客が足を運んだのだろう。
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