「世界平和のために「パンツァー、フォー!」」ガールズ&パンツァー 劇場版 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
世界平和のために「パンツァー、フォー!」
え~、何と申しましょうか。ミリタリーオタクとまではいきませんが、ミリタリー好きなわたくしでございます。本作は完全に戦車マニア・ミリオタ向けです。よって、一般の方のご批判は、その分ちょっと割引いていただいて……
なんぞと思っていたのですが。
テレビシリーズでファンになった僕から見ても、本作は明らかに
「つまらんぞぉ~!!」と言いたくなる出来でしたねぇ。
「ガールズ&パンツァー」をご存じない方に、ちょっと解説です。
このお話は、「茶道」や「華道」などと同じように「大和撫子の嗜み」として「戦車道」があるという設定になっています。また「お茶」の裏千家、表千家、武者小路千家のような「流派」まであるんですね。
戦車道がある高校は「学園艦」という、巨大な航空母艦のような船が母校なのです。そこは一つの街になっておりまして、高校生達の家族が一緒に住んでいます。
さて、主人公の”西住みほ”は「戦車道西住流」家元の次女です。実は彼女、戦車道の試合で、あるトラウマを抱えておりまして、親元から離れて、戦車道のない「県立大洗女子学園」に転校してきました。そこで友人もでき、ホッとしたのもつかの間。
なんと転校してきたばかりの母校が廃校の危機に。それを救う条件がありました。「戦車道全国大会」で優勝すれば文科省から廃校を免れる、というのです。そこで西住みほは、生徒会のゴリ押しもあって戦車道の隊長に就任。
伝統ある西住流戦車道のDNAなのでしょうか。大洗女子学園は見事全国大会優勝を勝ち取ります。しかし、廃校の危機は去った訳ではなかったのでした……
やっぱりねぇ「ガルパン」も、いわゆる萌え系、女子高生系列の路線に乗っかって出てきた、作品だと思うわけです。
ただ、女子高生が「戦車」に乗って戦う、というありえない「ぶっ飛んだ」インパクトが強烈だったんですね。
それが視聴者の度肝を抜き、アニメファンが文字通り「食いついた」訳です。
フツーの女子高生を「リアルに」「ふつう」に描いた作品としては、廃部寸前の軽音楽部に入部した、女子高生達を描いた「けいおん!」がたいへんなブームになりましたね。彼女達は「涼宮ハルヒ シリーズ」や「中二病でも恋がしたい」などの作品のように、自意識過剰のあまり、宇宙空間へワープしたりするようなことはありません。
また、その真逆もアリなのがアニメの魅力でして「時をかける少女」や「サマーウォーズ」のような、異次元空間を扱ったようなSF作品も人気があります。
これらの作品に共通するのは、
「魂は細部に宿る」
というセオリーを守っていることです。
そしてなにより
「子供達に対して子供扱いしない」ということ。
それをきちんと分っていらっしゃるのが、あの巨匠、宮崎駿監督であることは、僕が言うまでもないでしょう。
実は男子という生き物は、たとえ五十や六十になっても、やんちゃで、変なことにこだわったりする、愚かしい「子供」の部分があるのです。
(ちなみに男のアホさ加減「いくつになっても子供」であることを、端的に表現したのが、宮崎駿監督の『紅の豚』という作品ですね。ぼくはこれ大好きなんです。名作だと思ってます)
そんな子供みたいなオッサン達を、優しく母のように包み込んでくれるのが、女性にしかない「母性」というものであります。
「オトコ」を戦車のようにうまく操縦するには、世の女性の皆さん、ここら辺りの「男のアホさ加減」をよぉ~くご理解の上、ご配慮くださいますよう、よろしくお願い申し上げる次第です。
はて、僕は何を書いてるんでしたっけね。
そうそう「ガールズ&パンツァー」のことですよ。
本作も細部はちゃんと描けてます。
戦車のメカニズム、ディティールの表現そのものには、ちゃんと魂入ってます。しかしながら、僕が本作で一番、不満だったのは
「子供扱いされたこと」だったのです。
戦車ファンが観客だろうから、戦車どうしの闘いを、たくさん描けばいいだろう、というのは、いかにも安直すぎやしませんか?
これ、観客として、明らかに見くびられているぞ、と思う訳です。
先にあげた「けいおん!」や「サマーウォーズ」などは違いますね。
どこが違うか?
登場人物達が「ちゃんと生きてる」感じがします。彼女達、彼らは失敗もするし、葛藤し「ちゃんと悩む」んですね。
漫画界の巨人である手塚治虫氏は、はっきりと「勧善懲悪モノは描かない」と述べられていました。その典型が、無免許ながら、天才的な外科医の腕を持ち、途方もない報酬をふんだくる男「ブラック・ジャック」です。
彼もまた「命とは何か?」に悩む一人の医師でもあります。
かつて鉄腕アトムをアニメ化するときにも、手塚氏は言いました。
「アトムはもっと悩むんです。ハムレットのように」
そして手塚氏は子供達に「一流の」作品を届けようとしました。
子供達だからこそ「一流」に触れておくべきだ、という信念があったのでしょう。
「ガルパン」テレビシリーズでは、ちゃんと登場人物達が生きてた感じがします。彼女達はそれぞれ、若さゆえの悩みや、葛藤、家庭の事情を抱え、彼女らなりに「大和撫子の嗜み」とされる「戦車道」に打ち込みます。
そこに彼女達の、未完成ではあるけれど、一所懸命頑張っている姿、不器用で、傷つきながらも成長する姿に、見るものは親近感を抱き、惹きつけられるんですね。
本作では、すでにテレビシリーズをご覧になった方、もう「ガルパン」のキャラクターは知り尽くしているよ、というファンの方なら、それなりに満足感は得られると思います。
お子様向けアニメ作品であろうが、映画は世相を反映してもいいし、また、紛れもなく時代の表層に乗っかるものでもあります。いま日本では、安保関連法案が成立し、集団的自衛権とか、自衛隊の海外でのドンパチも間近なのか? など、軍事面での動きがクローズアップされております。
その中でなぜいま「戦車のアニメ」なのか?
本作は「戦意高揚」「プロパガンダ」ではないのか? といった具合に勘繰られてもしたかない部分さえあります。
であるならば、その批判を逆手に取り、もっと志を高く持って、世界の平和のために、この「ガルパン」を活用してみてはどうか? と僕は思う訳です。
本作は女子高生と「戦車」という「ぶっ飛んだ」組み合わせです。
これだけぶっ飛んだ企画なのに、なぜチマチマと「大洗」の市街地だけを舞台にするのか?
「けいおん!」劇場版ではイギリスに卒業旅行しましたね。
ならば「ガルパン」も世界に打って出るというのはどうでしょう。
例えば、国連主催の平和イベントとして、世界戦車道選手権大会みたいなのが開かれる。そこで日本の片隅の地方都市、大洗の街からやってきた、西住みほ達五人が、世界中の高校生達、そして多様な戦車とその戦い方を通して、そのお国柄、文化にふれあう、交流する。
ロシア人や、中国人はこんな風に考えているのかぁ~とか、フランス人は時に死んだふりをしてやり過ごす、とか、さらには中東、イスラエルの戦車だってメカニズムは素晴らしいものがあります。
その国の文化、考え方、技術力、国力、すべてが実に分かりやすく反映されるのが、意外にも「戦車」を含めた「武器」に他なりません。
たかが戦車ですが、されど「戦車」でもあるのです。
僕を含め戦車に夢中になっている「男の子」たち。その「子供心」
その一端でもちょっとお分りいただければ幸いです。