「万華鏡みたいな映画」映画「立候補」 kicks1126さんの映画レビュー(感想・評価)
万華鏡みたいな映画
わずか100分の時間でここまで感情を上下させられたことがあっただろうか。
最初は“笑い”から始まるだろう。
ただし、その“笑い”は失笑である。スクリーンで展開されている出来事は現実でありドキュメンタリーなのは間違いないのだが、これが現実であるということを受け止めるのにためらいが生じてしまうのである。
これがネット上で話題になったマック赤坂の選挙である。
2011年の大阪ダブル選挙の裏ストーリーというべきか、ダークサイドというべきか。
「泡沫候補」。
選挙に勝ち目が明らかにないにもかかわらず出馬して案の定落選してゆく候補のことを泡沫候補と呼ぶ。この作品はその新聞の隅に名前だけが載って、地元の選挙ポスター掲示板にも顔を見せてくれない人々の表情を写し取る。2011年の大阪ダブル選をメインに泡沫候補と呼ばれる人たちが「なぜ戦うのか」を追う。
そう、根底にあるのは「なぜ負ける戦をするのか」という問いだ。
マック赤坂を始め様々な泡沫候補にその理由を問うている。
その答えは実際に作品を見てもらいたい。
私の感想は「分からない」。これに尽きる。
何しろこの作品の中心にいるのはマック赤坂だ。彼の選挙活動はもう笑うしかない。もう何がなんだかわからないのである。よくぞここまでカメラの前で醜態を晒すなと途中からは感動すら覚えるほどである。はっきり言って、奴は“人間のクズ”だと言いたくなる場面も多数だ。ダブル選最終日のなんば高島屋前の松井・橋下との攻防は選挙史に残るやりとりだ。あんな歴史的場面をよくぞカメラに残してくれたと感動すると同時に、憎悪を覚えてしまうほど眉をひそめてもしまうのである。
しかし、カメラはマックを面白おかしく撮っているのではない。彼の周囲にも丁寧な取材がなされていて、秘書や息子の表情はどんな喜劇にも悲劇にもそこで必死にもがいている人間の本気さは存在しているのだということを教えてくれる。
単純に笑えないのだ。答えが見つからないまま現実だけが厳然と横たわっているのである。
ただ、この茶番とも喜劇ともとれるマック赤坂の選挙活動はクライマックスで大きく、あまりに大きく転換する。
2012年総選挙の最終日秋葉原演説。
マックは同日選だった東京都知事選に出馬し、都知事選とは関係ない総選挙を戦う自民党候補の秋葉原での演説に“同時参加”を試みる。
そこで展開された光景こそが全てだったのではないか。
ここから何がなんだか分からなくなって私は涙を流していた。
人間のクズだと思っていたマック赤坂。戦う理由が全くわからないマック赤坂。
その向こうに広がっていた光景に俺がいたのかもしれない。
そもそも「なぜ負ける戦をするのか」という問い自体が一体何なのか。
負ける戦をすることが本当に愚かなのか。
あの安倍晋三に群がる日の丸に答えがあるのではないか。