「フォースが描かれいない」スター・ウォーズ フォースの覚醒 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
フォースが描かれいない
ウォルト・ディズニー社の製作に代わって、20世紀FOXのファンファーレは望むべくもなかったのだが、やはりいきなりLucas Filmのロゴからの開始は寂しい。ファンファーレが終わって数秒のあのタメがスターウォーズのオープニングには必要なのだ。
そうしたことも含めて、シリーズとしての映画には期待を抱いていなかった。
それが正解であることはカイロ・レンのフォースの描写によってはっきりと分った。
対象物に手のひらを向けて力を込めるその姿は、彼の崇拝するベイダー卿のそれとは大きく異なる。カイロ・レンの姿は、万物の間に存在するというフォースを感じているようには見えない。彼は念力を送っているのだ。
そして、おそらくこの新しいシリーズの中心となるレイもまたやっていることは念力の使用である。
この映画にフォースは描かれていない。フォースとは、宇宙にあまねく存在するエネルギーである。相手に送ったり、奪い取ったりするものではないのだ。感じるものなのだ。
ああ、なぜ私ごときが今さらフォースの何たるかを語らねばならないのか。
われら人類のアダムとイヴの物語が、このサーガの行きつく先だとすれば、我々が日々感じているフォースの描き方がこうであって良いはずはない。
フォースの表現はこのように酷いものだが、エイブラムス監督はじめ、スタッフのスターウォーズ愛は、随所に表現されている。
極めつけは、雪原でのカイロ・レンとレイの戦いのシークエンスである。雪に刺さったライトセーバーが、振動しつつ、少しずつ引き抜かれようとするシーンは、言うまでもなく「帝国の逆襲」で白い怪物に捕まったルークが初めてフォースを感じた瞬間へのオマージュである。このライトセーバーが誰の手に収まったかで、誰のフォースが強いのかを観客に示す。
脚本のローレンス・カスダンにとっては、このようなシナリオは、自家薬籠中の物なのであろう。
スターウォーズ好きの人々が、オマージュを捧げた作品としては、非常に贅沢なものに仕上がっている。