「世界を変えるには甘過ぎる」人類資金 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
世界を変えるには甘過ぎる
いつもよりさらに長文になります。すみません。
佐藤浩市、仲代達也をはじめとした豪華キャストに加え、
V・ギャロやユ・ジテといった国際色ある顔ぶれ。
ロシア、東南アジア、アメリカそして日本での4ヶ国ロケ。
邦画では初の、NY国連センター内部での撮影――
骨太なスケール感を打ち出した映画で期待も大きかったのだが、
残念ながら満足のいく出来では無かった、というのが個人的な結論。
まず、テンポが全体的に冗長。
固定カメラで長々と続くシーンは多かったし、
会話も一語一語噛みしめるようにゆっくり展開するので、
どうにも各シーンが間延びして見えてしまう。
時々入るアクションも、森山未来やユ・ジテらの頑張りに対して
カメラが大人し過ぎてサスペンスを感じられない。
中盤からは何度も眠りかけてしまい、内容を把握するのが相当にしんどかった。
次に、演技。
香取慎吾の演技はそこまで悪くないのだが、この役者陣と
一緒に並べるとさすがに分が悪いし、英語の発音も今一歩。
観月ありさに関しては、演技も英語もいただけない。
一方で、仲代達也や佐藤浩市の演技も熱がこもり過ぎている。
もっともこれは父親の死や息子との確執といった背景が中途半端にしか
描かれない為に、感情が空回りして見えているだけかもしれない。
ギャロとユ・ジテは――演技云々の前にキャラ設定がザツだった気が。
森山未来くらいのテンションがちょうどよかったのかもと思う。
ただ、その森山未来が堂々たる存在感を見せる終盤の
演説シーンは素晴らしかった。ここと序盤で語られることを含めれば、
この映画が言わんとしている事が理解できるような気がする。
元は物々交換の証明としての役割でつくられた『紙幣』が、
いつの間にか交換する物以上に崇められる存在になった現代。
そして今や、その紙幣すら電子データ上の数値だけの存在となった。
そんな透明な金で人々の生活を振り回す資本主義社会を批判し、
真の利益である人間自身にこそ投資をして未来を切り拓くべきなのだ、という姿勢。
この姿勢には深く共感する。
そのメッセージが集約されたあの演説には胸が熱くなったし、
ラストシーンで水の代価を求めなかった幼子の姿は、
『紙幣は所詮紙切れだ』という本質を見せつけるだけでなく、
見返りを求める事だけがすべてじゃないという優しさを感じる。
だが、甘すぎる。
最後の決着には全く納得がいかない。
PDAで声なき人々に声を与えるというアイデアはまだ良いが、
この映画に登場した小国はまだしも、電力供給すら不安定な土地に住む
更に下層の人々はどうやって“声”を発信すればいいのか?
もし彼らが“声”を発信する手段を得たとしてもだ。
それがきっかけで社会全体が変わるかと言われれば甚だ疑問である。
経済を動かすのは国連に参画している各国の思惑だけでは無いだろう。
それとは無関係の個人や企業に依る所も大きいのであって、
そんな連中のなかで「貧しい人々に投資しよう」という
聖人君子が一体どれだけいるのかと言う話である。
もっと言えば、企業と繋がって利益を得ている政治家だって居る訳だ。
国として何らかの規制を掛けようとすればそいつらから妨害がかかるし、
規制を掛けたとしても悪知恵を絞って逃げの一手を打ってくる。
イヤな奴だと言われる事を承知で言う。
手前(てめえ)の利益だけを優先する連中がこの世から消える事は決して無い。
ここで語られるのは性善説に基づいた甘ったるい理想論に過ぎない。
甘い希望は口に入れれば美味だが、食い過ぎれば胃もたれを起こす。
生半可な理想なんざ、かえって怒りを増幅させるだけだ。
もちろん、この物語はフィクションだ。
『こんな世界になれば良いのに』という意見表明以上の意味は無いのかもしれない。
だが、ファンタジーやSFでそれを語るならともかく、
本作のような現実的な設定で理想論を語るのであれば、
それなりの説得力を持って自論を叩きつけて来いと言いたい。
そんな苛立ちばかりが残る2時間20分だった。
皮肉な言い方だが、阪本監督の次回作の資金繰りが心配だ。
最近の『大鹿村騒動記』『北のカナリアたち』のように
人間にフォーカスした小~中規模作品は大好きなのだが、
本作のようなスケールの大きい映画だと色々やりづらいのだろうか。
以上。人に勧めるには躊躇する。2.0判定。
<2013.10.20鑑賞>