チャイルドコール 呼声のレビュー・感想・評価
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結構好き。
何でこんなに評価低いんだろ?
思っていたより断然面白かったです。下にがっつりネタバレあるので注意。
ノルウェーの映画らしく、ちょっとぼんやりしたダークファンタジーっぽさがあり、ストーリーは淡々と進みます。といっても退屈するほど間延びした感じはなく、飽きるほど日常パートは続かず色々と起こります。
アメリカ映画ほど、何というかド派手に何かが起きて、それにカッコ良く対処する!みたいなライトな感じではなく、かなり仄暗い雰囲気の中、一人の女性が、精神病による幻覚と現実の区別がつかない中で「これは現実?それとも幻覚…?」と悩みながら生きている、という話です。
あらすじ:
8歳の息子アンデシュがDV夫に殺されかけたことから、主人公アナがアンデシュを連れ家から逃げ出し、児童福祉施設のサポートのもとマンションで暮らし始める。アナはDV夫が追ってくるのではと過敏になり、息子を学校に行かせている間に見付かるのでは、マンションの場所もバレるのでは、と強い不安を感じ、アンデシュを常に傍に起きたがる。
最初はアンデシュとベッドまでも共にし、学校へも行かせないと駄々を捏ねますが、施設の人に「子供にまともな生活をさせないと、元夫との裁判で不利になる」と言われ渋々息子を学校へ。それでも心配なアナは送り迎えも欠かさず、転校初日は学校へ送ってそのまま学校の敷地内のベンチで息子を待ち、教員に不審がられて漸く敷地から出る。それでも学校前のバス停のベンチでしつこく待ち伏せていると、同じ教員が学校の外まで来たため、咄嗟に到着したバスに乗り込む。当然帰るつもりはなく、すぐにバスを降りようと何度も降車ボタンを押していると、「次のバス停まで止まりませんよ」と乗客の男性ヘルゲに声を掛けられる。後日、アンデシュを別室で寝かせろと施設の人に言われ、ベビーコール(赤ちゃんの泣き声に反応して親にコール音で知らせる機械。本作では無線機のように話ができるタイプのもの)を買いに行くと、ヘルゲがそこで働いていた。そこから何度か話すようになり仲良くなっていく。
(以下がっつりネタバレ)
これだけ見ると、友達ができて一見アナの精神病も良くなっていくように思えるかもしれないけど、ヘルゲもヘルゲで、今は入院している母親が元々心配症で束縛が酷く、車に引かれたらどうする、誘拐されたらどうする等と言ってヘルゲに外出を禁止していたほど。そんな母親の異常行動を愛情と呼び、入院している母のことを今も大切に思っている。更に、アンデシュが殺されかけた話を聞いてもいない段階で、8歳にもなるアンデシュにベビーコールを使う、常に傍に置きたい、目の届く範囲にいなくても息子のことを知りたいと話すアナのことを「愛情深くて心配性なだけ」と言う。
この時点で、ヘルゲがアナを救うことはできるはずがないのです。
序盤は完全ストーカー気質のアナに全く感情移入できず、これはハズレかなぁと思いつつ見ていたのですが、淡々としながらも停滞せずきちんと話が進んでいき、中盤以降は徐々に「おや…?」と思わせる展開になっていくため、最後まで見ることができました。
そもそもアナは、アンデシュがもう既に死んでいてこの世におらず、自分が見ているのは幻覚であることには気付いています。
だから友達のヘルゲの元にさえアンデシュを連れてこないし、変態対策とはいえ「家なら息子を紹介できる」と家に呼んだにも関わらず、結局会わせない。
定期的に家を訪ねてくる施設の人間も、息子は死んでいるので実際には来ているはずがありません。実際誰かが訪ねて来てはいるのでしょうが、「児童福祉施設」ではなく精神病であるアナのサポーターでしょう。だとすれば、彼らのアンデシュに対するアドバイス(積極的に外に出るべき、友達を作らせた方が良い等)は、そのまま全てアナに対するものと取れます。
アナの見ている世界は確かにほとんどが幻覚であり、アナ自身「毎日現実でない物が見える」と言っています。幻覚を見ている自覚があるわけですが、現実なのか幻覚なのかわからないことも当然あり、普段の記憶も曖昧。
ベビーコールの混線で同じマンションに住む別家庭のDVを偶然知ったアナは、自分の境遇とその別家庭の様子を重ね、気に掛けるようになります。そして、同時期にアンデシュにできる不気味な友人。
一方ヘルゲも母親が死に、アナに自分の母親を重ねます。何度も「君は母に似ている」と言い、アナの家に招待された日、「昔ここに住んでいた」と言います。母が入院するまでこのマンションに住んでいた、と。
そしてアナの家でアンデシュの友人と会いますが、これをアンデシュと勘違い。「貴方と同じだ」と言いながらヘルゲに体の痣を見せるアンデシュの友人。恐らく同じ境遇を経験したアナ(の想像上のアンデシュ)とヘルゲにしか見えていないが、本人達は気付いていない。
アンデシュの友人は同じマンションに住んでた虐待で殺された男の子の幽霊ってことなんでしょう。
アナはヘルゲに、「記憶が現実とは限らない」と言いますが、一見アナが自分の記憶の曖昧さを語っているように見えて、実はヘルゲが「自分は過去の記憶を詳細に覚えている」と言っているけど実は大切なことは覚えていないという伏線なのではと思います。
ヘルゲだって、今は死にそうな母親を大切に思っているようですが、実際にはこの子のように殺されていた可能性だってあった。
不思議なのは、ラストでアナの自宅は自殺・殺人現場にも関わらず、ヘルゲは夜半に一人で訪れ勝手に入っていたし、ドアチェーンをかけていたにも関わらず、アナが飛び降りる時、ヘルゲは家の中まで入っているので、おかしいな?と思っていたのですが、ヘルゲが実は幽霊だったなんてオチないよね…?
ヘルゲは同僚や客、医師とも話してるし、ボイスレコーダーにも声が残ってるし…でも、それも必ずアナかヘルゲの視点なので、妄想の可能性もあるわけなんですよね。
そして、アナが幻覚の中で湖に飛び込み(湖のある場所が本当は駐車場だと自覚はある)、現実では駐車場でパニック発作を起こしたにも関わらず全身がびしょぬれだったのは何故なのか…自分で濡らしたのか?
脳障害のある人の話を聞くと、結構「えっ!?」と思うようなことが多くて、例えば本人は眠っていて全く意識がないのに食事もトイレも勝手に行ってる(ただし食べる物を選ぶ判断力はなくゴミでも生肉でも何でも口に入れるらしい)とか、殴られてないのに本人は殴られたと本気で思っていて、体にもその強い妄想のために本当にアザができるとか…全て妄想なのに、本人の中では辻褄が合うように全ての記憶が改竄されているとか。
映画にしたら逆に「現実的じゃない」「筋が通らない」と言われそうなことが現実にあり、まさに「事実は小説より奇なり」だなと感じます。
細かい事を考えながら見ると疲れる話だし、重いテーマの作品ではありますが、自分は楽しめました。ラストは切なくホロリと泣けるし、2回見るとプロローグがまた悲しい…
監督が「幸せになれないおとぎ話」と言っている通り、絵本みたいに淡々とした進みですが、逆に感情移入するように作っていたら、かなり重く、後味の悪い作品になってしまうと思うので、普段は淡々としたストーリーは好みでない自分ですが、この作品に限ってはこれで良かったと感じました。
2回見る気になるかと言われると微妙でしょうが、2周目で気付かされることもあるので、できれば2回以上見てみると面白いかもしれません。
この作品がお好きな方、『サード・パーソン』もひっそりお勧めします。
精神薄弱の母
DV夫から逃れ、郊外のアパートに越してきた母と息子。心配する息子の部屋にチャイルドコールを設置するが、息子ではない子供の悲鳴が聞こえてきて…。
次第に精神がおかしくなっていく母のサスペンス。
謎の子供の悲鳴に取り憑かれ、息子への異常な愛情、挙動不審…。
ノオミ・ラパスの熱演でスリリングに綴る。
衝撃のオチ。
全ては息子を愛し過ぎた。
憂鬱で哀しいこのオチは個人的に好みだが、薄々予測出来た。
謎や伏線もすっきりした回収ではなく…。
怖くはないかな
現実で起こっているのか、ただの幻想かと思ったけど最後まで観たら納得できた。アンナはアンデシュを霊として見えていたってことなんかな。アンデシュはもう一人の男の子と協力してアンナにもう一人の男の子を見つけて欲しかったんだろうね。やけど、監視員のことはよくわからんかった。
見た後鬱になりそう...
主人公の女性はけして美人ではないけどなんとなく雰囲気ある女優さん
なかなかのはまり役でしたが内容は結局シックスセンスみたいです。
食後の方は眠気を耐える事必須!
子供も含め役者人はそんなに悪くないんだけどね、もうすこしひねりというかなるほどー みたいなのが欲しかった。
なんか見た後一気に疲れが...
情景も悪くはないです。
シックスセンス的悲しいおはなしでした。
チョット前半睡魔が襲いましたが、後半はあれよあれよと言う間の展開でした。
予告編見ていたら、てっきり虐待していたのはラパスのほうでした…、的なストーリ展開かと思いきや…悲しい悲しいシックスセンス的なお話でした。それに、チョット精神が壊れた不幸せそうな母親が実にぴったりと雰囲気があっているノウミラパスもよかったです。プロメテウスでのシャキシャキ女性学者しか見たことがないので意外でした。
一つ残念なとこは、それぞれの関係者達の会話や行動がラパスのただの幻想で済ませてしまっていること…。これら一語一語の言葉やひとつひとつの行動が全て幻影ではなく理屈で絡んでくると最後の展開が二転も三転も活かされてくると思うんだけどな。
心理的な追いつめられる怖さがピークに
何と言ってもこの作品の最大の特徴は、ノルウェー映画であると言う事で、日頃欧米の映画でお馴染みの俳優が出演していないと言う事が、私達観客にとっては、白紙の状態で映画を楽しむ事が出来るので、最大のメリットとなっている。
言わずと知れて、サイコスリラー映画を観る時の最大の楽しみは、展開が予期出来ない事の面白さであり、ラストのドンデン返しなど、全く予測不能な結末を観る事で、味わう意外性の面白さが有る事が、この類いの作品を観る時の最大の楽しみになる。
それが、有名俳優を出演させている場合には、それだけで、観ているうちに犯人の目星や、ストーリー展開が直ぐに出来てしまう事があるので、そう言う点で、知らない俳優ばかりだと、この人の後にもっと重要人物が登場するかも知れないと言う期待感を常に持って映画を見届ける事が出来るから、サイコホラーとか、サスペンス映画に於いては結構、無名の新人ばかりの映画とかの場合が案外面白かったりするものだ。
しかし、その時に問題になるのが、出演俳優の演技力だ。新人ばかりの下手くそな俳優ばかりが出演していたら、映画全体がシラケテしまう。
しかしこの作品に限って言うなら、普段見慣れていない国の作品なので、自分がその出演者達を知らないだけなので、重要人物かどうかの判定が直ぐに出来ないし、俳優の芝居の優劣も心配には及ばず、安心して楽しめる。
本作ではノオミ・ラバス主演作品と言う事であるが、彼女の映画を観るのは初めての私にとって、彼女の芝居はとても新鮮に映ったし、ファーストシーンの彼女と、徐々に物語が進行して行くうちに見せる彼女の表情の変化が良いのだ。
それにしても、彼女と8歳になる彼女の息子を演じる子役が本当の親子の様に顔が良く似ているのだ。こう言うのも、海外の作品では関心させられる点の一つである。
この作品の監督であるポール・シュレットアウネがこの作品では、制作、監督、脚本を一人で担当している事から、かなりこの作品には思い入れがある事が予想出来るが、96分と言う尺自体は、それ程長い作品では無く、ちょうど見易い尺だが、観ていて後半正直、少し長く感じてしまったのは、後半部分のストーリー展開にハギレが無くなり、失速してしまった点が、その大きな原因になったのだろう。
ところで、近日A.ヒッチコック監督と妻の映画制作に賭けた彼らの半生を描いた物語が公開予定で有る事や、あの名作「キャリー」のリメイク作品の公開が間近に迫っている事も有り、最近サイコスリラー映画がまた多数注目を博して来ているように思うのだ。
そんな時に、日頃は観る機会が少ない、ノルウェーや、スウェーデン映画を観るチャンスが出来たと言うのも、また映画ファンにとっては、嬉しい展開の始まりかも知れない。
これは、神経過敏になり少しずつ壊れていく人間の恐さが巧く描かれていて恐かったよ。
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