終戦のエンペラーのレビュー・感想・評価
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「ラストエンペラー」の後にも「エンペラー」がいらっしゃる事を日本人...
「ラストエンペラー」の後にも「エンペラー」がいらっしゃる事を日本人は知らない人が多い。
こうして生まれた…
平和な日本。どこまで史実に忠実なのかは分からないが、天皇を罰しなかったことは今日の日本に繋がっている。罰していたら、どうなっていたのだろう。通訳との交流やロマンス要素もあり、映画としてはまとまっていた。しかし、戦後間もない中、うどん屋のような居酒屋って本当にあったのだろうか。ラストサムライもそうだが、日本人的思想、天皇のことを丁寧に描いている珍しいアメリカ映画。
日本人の真髄に迫る
TELASAで鑑賞(字幕)。
太平洋戦争における天皇の戦争責任の有無を調べるGHQ将校が、次第に日本人の精神性に踏み込み、天皇の処分の是非について決断するまでが、ハリウッド映画にしては珍しく正統派な日本描写と共に描かれていました。
本音と建前を前提とした日本人の民族性を丹念に捉えているな、と…。本作は本来、日本人の手によってつくられるべきものだったのではないかと思いました。それほど日本人の真髄を真摯な眼差しで描写していました。
その日本人の精神の根底にあるのが、天皇と云う存在。もしもあの時、天皇に戦争責任有りとして断罪していれば、今日の日本は無かったかもしれず。フェラーズ准将、もといマッカーサーの決断は間違っていなかったと思います。
天皇を決して断罪すること無く、ひたすら国民の平和を希求され、惨状にお心を痛め、戦争を終わらせるために決断を下された、ひとりの人間として描いてくれたからこそ、ラストのマッカーサーとの会談シーンでグッと来ました。
日本のいちばん長い日(1967)を見てから これを見ると 負けた側...
日本のいちばん長い日(1967)を見てから これを見ると 負けた側と勝った側の差が…唖然とする。
マッカーサーにしろ 所詮 日本占領は仕事 一緒にくっついて来た日本通は恋人探し…ラストサムライロマンスかよ!そんなもんだろう。
東京を焼きつくした街に来たって 平気
せいぜい 天皇が自らの命乞いではなく 国民の命乞いに来たのに 驚く程度か…
このアメリカ人監督に岡本喜八の作品を 見せてやりたい。
しかし、白人男と日本女の恋でもいれないと 駄目なのかね~
う〜やっぱり米国寄り
まあ、仕方のないことだがアメリカ視点なところが鼻につきます。
例えば日本がアメリカ人を憎むように教育・喧伝されてるように描かれてますが、これはお互い様でしょ。
当時、アメリカだって開戦のずっと前から日本を憎むようにプロパガンダをガンガン展開していたわけだし。
また、あたかもアメリカが日本を復興させようとする正義面で描かれていますが、これは反共の防波堤作りと、日本をアメリカの市場に取り込むための政策だからねえ。
が、終盤の昭和天皇とマッカーサーの対面のシーンは感動します。
「降伏しろ」と言わずに、降伏を命じたのです。
映画「終戦のエンペラー」(ピーター・ウェーバー監督)から。
天皇が、第二次世界大戦に関わったかどうか、マッカーサーから
その調査を依頼された主人公は、いろいろなことを調べ、
一度、自分なりの結論付けをして報告書を書く。
「国の統治者として戦争責任を回避できない」、
その理由は「無罪にする根拠がみつからない」。
しかし最後には「有罪にする理由がないからです」と変え、
「疑わしきは罰せず」、この方針を貫いた形となった。
面白い視点だな、とメモをしたが、この映画を思い出すには、
ちょっとインパクトが弱い気がした。
そこで選んだのは、冒頭に表現されていた「降伏」について。
天皇が日本国民に向けて発した「耐え難きを耐えよ」は、
「『降伏しろ』と言わずに、降伏を命じたのです」ということ。
へぇ、そういう意味があったのかと感じて、これを機会に、
「玉音放送」で読まれた、昭和天皇による終戦の詔書
(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)を読み直した。
「朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て、
万世の爲に太平を開かむと欲す」の一部である。
以前、ある方の講演で聞いた、安岡正篤先生と
終戦の詔勅のエピソードとはじめて繋がった瞬間である。
終戦のイメージとして、この「玉音放送」を聴く国民の姿が残るが、
この「耐え難きを耐えよ」という部分を「降伏する」と解釈した。
今、戦争の映画が、感動ドラマのようにもてはやされるが、
これを機会に、第二次世界大戦(大東亜戦争)について、
自分たち国の歴史を調べるきっかけになって欲しい。
そしてこの戦争の意義、敗戦(終戦)の意味を、正しく理解したい。
印象に残ったセリフ
劇中で、アメリカやフランス、イギリスはずっと侵略戦争を行ってきた。
日本はそれに習っただけなのに、何故ここまでされなくてはならなかったのか?
日本が侵略したフィリピンはアメリカが侵略した国、マレーシアはイギリスが侵略した国
なぜ日本が同じ事をすると敵対されるのか?
と、質問する場面があった。
その通りである!
本来ならば、日本が作らなければいけない
第二次大戦直後、GHQ統治下の日本を舞台に、実在の米将校が昭和天皇の戦争責任を調査する姿を描いた歴史ドラマ。
ハリウッドでも、ここまでがっつりGHQ統治下の日本にスポットを当てた映画は初めてだとか。まあハリウッドからすれば、一つの歴史の裏側程度だろうが、日本人からすれば、興味津々。知ってるようで知らない歴史の裏側。その時何があり、日本は再出発したのか…?
日本人プロデューサーが関わっており(物語に絡む夏八木勲演じる宮内次官・関屋貞三郎の孫)、時代考証・日本描写に違和感は無い。それこそ、「ウルヴァリン:SAMURAI」「47RONIN」とは雲泥の差。史実なのだから正確で当たり前なのだけど、まず好感を持った。
内容も、お堅い歴史の話をサスペンスタッチで描いており、なかなか楽しめる。
天皇の戦争責任に迫る。ハリウッドだから作れたのであって、日本では到底無理だろう。
日本は映画で天皇を描く事はタブーとされている。が、タブーなだけであって、禁止されている訳ではない。アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」もそうだが、本来ならば、日本が作らなければいけない映画だと常々思っている。
本作も、何も天皇を侮辱したり、罰そうとする内容ではない。天皇の描かれ方も、戦争の責任は全て自分一人にあると進言し、日本の将来を案じ、マッカーサーとの会見を受け入れる、良識ある人物として描かれていた。現人神にあらず、平和人ヒロヒト。
確かにデリケートな題材だが、日本映画が、真っ正面から取り組まなければいけない。
日本で終戦映画を作ると、敗戦の焼け野原から立ち上がる庶民の姿がほとんどで、米軍もパンパン(死語)と遊ぶだけのあまりいい印象で描かれない事が多い。
勿論、それは事実だが、その点、本作の視点は新しい。
日本の再出発に尽力した米将校が居た。歴史に埋もれた功績と真実は忘れてはならない。
見応えあった内容の中で、日本人女性とのロマンスは取って付けた感アリ。初音映莉子の美しさは否めないが。
それにしても、桃井かおりって日本を舞台にした外国映画によく出るなぁ〜。
映画館ではじめての洋画
洋画を初めて映画館でみた。
まぁ、そんなことあまり関係はないことだが
とにかく良作。
アメリカ軍に属しながら
日本にゆかりをもつ人物からの視点で
歴史を学ばせてもらった感じ
通訳の高橋さんとの関係でも
あの時代の厳しさを学ばせてもらった
なぜか涙が。。。。
トミーリージョーンズがマッカサー役ということで、興味半分で鑑賞をしたものの、最後の最後に涙。陛下とマッカーサーとの握手ののち、記念撮影、そして。。。
深々と頭を下げる陛下、そのこころを感じて、神妙になるマッカサーの姿を通じて、戦後、日本が平和であることを保証することになった瞬間だった。
傍流である准将のロマンスは、エンターテインメントとしては、必要だったのかもしれないが、これにはいろいろな意見があるだろうが、非常に日本人のこころなかにある、そこはかとないものを上手に表現しているなぁと感じた。
1人でも多くの日本人が見るべき名作
今の日本が存在する象徴的なシーン、有名な昭和天皇がマッカーサーを訪ねた歴史的会見、世界でも例を見ない大和朝廷建国以来、同血族の天皇を中心に古2000年以上の国家(2位のデンマークですら千数十年)が終焉の危機を逃れた会見である。
(ちなみにアメリカ合衆国は南北戦争で統一した以降150周年、ロシア連邦はソビエト崩壊の後たったの22年。中国4000年は真っ赤のウソで現在の中華人民共和国という独裁国家成立以降わずか64年)
マッカーサーは当初、歴史上の敗戦国家の『Emperor』にありがちな天皇が戦争犯罪者として起訴されないよう命乞いに来るものだと思い込んでいたが、『責任は全て私にある。私の一身はどうなろうと一向に構わない。貴方にお任せする。しかしどうか国民が生活に困り、飢えさせないよう連合国の援助をお願いしたい。』...と真摯に崇高に仰せられた言葉に『私は初めて神の如き帝王を見た。』と茫然となって天皇と国民の絆の強さを理解し、天皇を戦争犯罪人からの除外を決断したシーン。迫真の撮影シーンの裏付けもあって大粒の涙がいくつも零れた。
この映画のテーマ。
天皇は対米英蘭の開始を決定する御前会議でお詠になさられた戦争に反対し、平和を望む「よもの海~」を2度も朗読なさられて明確に開戦反対の意思表示をなさられた。
大日本帝国憲法下における確立された慣行によると、政府と統帥部が決定した国策について、天皇はこれを覆す機能はない。しかし、このご発言によって開戦決定が一旦白紙に戻る。天皇が政府と統帥部が決定した国策を覆したのは日本憲政史上において唯一無二の事態らしい。
近衛内閣が総辞職した後も昭和天皇は東条英機を総理に任命するに当たり、対米英蘭開戦の回避に全力を尽くす事を命じ、東条も腐心したが、アメリカから暗黒のハル・ノートを突き付けられた。
天皇は史実が示す通りまったくの無罪である。
ハリウッドが先の大戦を描く時、映画『パールハーバー』で日本軍が民間人を攻撃していたという有り得ないシーンを描いたり、日本人を野蛮な国民として描く事は多かったが、このように史実に忠実に日本に目を向けだした事は素晴らしい。
先日、アメリカで人気絶大のキャロライン・ケネディ(JFKの長女)が米駐日大使に起用の発表が流れた。久しぶりの強いリーダーの誕生にアメリカがアジアでの日本の存在感に明らかに変化が起こっているものに通じるように思える。
それと最後に、劇場には若いカップルがほとんどという事もとても嬉しかった。何かが変わりだしている。
刺激は少ないかな
まず、驚いたのは日本人の私が観て、違和感をあまり感じさせない作りだった事。
単純な戦争映画を求めて本作を観るとがっかりするであろう。
私は8月9日深夜の御前会議から14日の宮城事件を経ての玉音放送という流れを知った上で観ていたので、あまり歴史的事実に驚きはなかった。
しかし、陛下が自らのお言葉で、この戦争の責任は私にあって、日本には無いと仰せられた事は本作をもって初めて知った。
陛下とマッカーサー元帥との会見のシーンは、涙が止まらなかった。
そのシーン以外は、あっさりと描かれており、娯楽映画としては刺激に欠けるかなという印象。
もう少しスパイスを効かせても良かったかな・・・と。
日本人ならば、知っておくべき歴史的事実を比較的ニュートラルに描かれている点と、陛下役を見事に演じられた片岡孝太郎さんに星5つです。
消化不良…
「象徴天皇」「戦争の主導責任」
社会科では語られながらも、なんだかよくわからない…そんな風に考えていましたが、「天皇」という重み、多くの重圧に屈せず最後の決断をされたことによる、終戦至った歴史、その間にあった陸軍との軋轢…日本が過去になぜ軍事国家で、有名な玉音放送がいかに重たい意味をもったか…戦争を知らない私たちには図りえない真実を客観的にあらためたテーマは秀逸だと思います。
ただし!!フェラーズの恋愛事情が映画に期待したい部分を大きくそらしてくれて、本当に残念…。フェラーズ自身が解き明かしていく部分では必要だったのかも知れませんが…。
個人的には初音さんはめちゃくちゃファンになりました。ただ、興味深い歴史サスペンスという側面をごっそり薄くしてまう描写が本当に残念でした。
マッカーサーと天皇陛下の写真に感慨を覚えるはずのラストなのになぁ…
の性格が曖昧
まずは缶コーヒーから。
日本人ほど曖昧に描かれる人種はいないんじゃないかと思う。
その曖昧さをいい加減だとか、ハッキリしないと判断するのは
国民性の違いで白黒つけたがる米国人には理解できないところ。
天皇制が理解できないのは普通に考えて当たり前のことなのに、
なぜ常に自国目線で物事を判断しないと気が済まないんだろう。
私達日本人だって、やたら内紛を繰り広げている某国における
信教の聖なる領域なんてまったく理解できない。そんな立場で
他国のことに干渉して審判を下す権利なんてどこにあるのか。
「やれ戦争だ」と介入し正義(どっちが?)の味方面する戦勝国が
本当に素晴らしいとは正直思えない。
関係ない話かもしれないが、
洋画を字幕で観ようなんていう意識を持つのは日本人くらいで、
何でもかんでも母国語に吹替えて
流暢な言語を操る世界民族が当然だと思っていたら分からない。
日本人が戦後に大きな復興を遂げたのは、
強い精神力で常に前進するように鍛えられた民族だからである。
間違った歴史や転嫁責任など、未だに取り上げられることの多い
様々な問題をわざわざ表面化して、今さら断罪などしていない。
肝心なのは、二度とその過ちを繰り返さないこと。
誤解に屈する原因を自ら作らないこと。国民を犠牲にしないこと。
二度に渡る投下被害が齎したのは戦争の終結だけではないのだ。
今作は奈良橋陽子さん(関屋宮内次官の孫)率いる日本人部隊^^;が、
大いに活躍を見せた作品だったと思う。
あまり出来がいいとは思わないが(失礼)親日派の准将にスポットを
当てて、より理解できるよう(できてないけど)描かれたのが新鮮。
実際にはなかったロマンスや、フィクションも多い今作だが、
要所要所を重厚な役回りで名役者が演じていたので観応えはある。
あまりに歴史認識を深く掘り下げると、ドラマ性が失われるので
このバランスで良かったのね…と思いつつも前半は長くて疲れた。
最大の見せ場はもちろん会談でのクライマックス。
責任云々を宣い、自己の躍進に余念がないマッカーサーを驚かせた
天皇陛下の人となり(当時は神だったか)
演じた二人はかなり忠実に再現していたようだ。
それにしても宇宙人である(違うか)ジョーンズ氏、この日観たのは
妻に迫られる夫とマッカーサーの二役だった^^;役者って大変ねぇ。
彼が元帥に似ているとは全く思えなかったが、
(インタビューでその部分を真摯に応える彼にますます好感触)
彼ほど日本人を理解できている宇宙人はいないので、ハマり役。
主人公の准将を演じたM・フォックスも凛々しく繊細で良かった。
キャスティングは奈良橋節炸裂で、とってもナイスな選出だった。
(こういう作品を観て日本人を考える。夏休みの宿題には重いかしら)
歴史的価値ある映画
アメリカ人監督のハリウッド映画のようでしたが、日本人がプロデューサーでした。
プロデューサーの奈良橋陽子さんは、この映画の登場人物である関屋貞三郎(昭和天皇の側近)のお孫さんのようです。
この映画のメインテーマは、『真の戦争責任者を探せ!そして天皇陛下の戦争責任はあるのか?』といった内容でした。
映画化したいお気持ちは解りますが、ちょっと、最初から、プロデューサーという立場上、不公平感を感じました。
歴史考証の程度は解りませんが、今まで作り辛かった歴史的価値のある映画だと思います。
この映画は、字幕の出るアメリカ映画ですが、実質、日本人の沢山出る日本映画です。
主人公の准将役の俳優さんは、いかにも、ジェントルマンといった感じで良かったです。
天皇陛下の御前会議での、ポツダム宣言受諾の御英断と、マッカーサーとの会談のお言葉には感動しました。
それにしても、天皇陛下が録音された玉音放送用のレコードを放送前夜、陸軍の兵、1000人ぐらいが、皇居から奪おうとしたという話が信じられませんでした。
アメリカ人監督で、ここまで天皇と日本人の関係を的確に描けるものであろうかと驚きました。
てっきりマッカーサー元帥を主人公にした終戦秘話かと思いきや、彼の軍事秘書官で日本通のボナー・フェラーズ准将が軸になって、フェラーズの視点から日本的精神そのものが説き明かされる展開でした。
物語を進める上で、軸となるフェラーズが背負ったミッションとは、誰が本当の戦争責任者か10日間で糾明すること。そんなフェラーズに立ちはだかったのは、日本的な空気の支配という実に曖昧な意志決定の流れでした。明かに昭和天皇陛下は元首であり、軍の最高責任者であるにも関わらず、その臣下のものたちの聴取を進めていくなかで、いかに昭和天皇陛下は、人民を愛おしみ、平和を愛し、戦争に反対であったかという証言ばかり。一方アメリカ本国では、天皇の戦争責任について、断罪せよという意見が圧倒的ななか、本国の意見どうり天皇を軍事法廷の罪人として出頭させたら日本国内はパニックになるという実際を痛感していたフェラーズは、本国との板挟みになりながらも、天皇の戦争責任回避に向けて、日本人の考え方そのものの理解へと傾いていくのでした。そして、旧知の軍人である鹿島大将が語る「本音と建前を持つ日本人の忠誠心」について、関心を強めていきます。
鹿島が語る「忠誠心の源は信奉で、それを理解すればすべてわかる」との言葉の意味は、掘り下げて解説はされません。けれどもクライマックスのマッカーサーと天皇の対面シーンの一瞬で、その神髄を明かにした演出には感激しました。
証人が口を閉ざしたり、自殺していくという困難が続く中、「天皇陛下に会うしかない」というマッカーサーの判断が下されたのでした。
マッカーサーを前にした陛下は、「全ては朕の不徳にある」と全責任を負う覚悟をお示しになられたでした。そのお言葉のなんと徳高き、汚れなく、無私の心境なのでしょうか。対面しているマッカーサーの表情が、ガラリと変わるのですね。それはフェラーズから報告のあった「信奉」の意味を一瞬で悟ったような表情でした。その後の態度は、彼がその信奉者にすら一瞬でなったことが、観客にも伝わってくるのです。
ハリウッド映画で、アメリカ人監督で、ここまで天皇と日本人の関係を的確に描けるものであろうかと驚きました。邦画ならきっと腰が引けて、お茶を濁してしまうところでしょう。それほどに本作の考察は適切で、説得力があったのです。
ここまでのフェラーズの探索は、いささか体屈に感じる場面もありました。けれども、全てはこの圧倒的に感動する対面シーンに向けた伏線に過ぎなかったわけです。その価値がわかる人にとって本作は、歴史に残る一本となることでしょう。
それにしてもフェラーズの目を通して、愚直なまでに戦前戦中の日本と向き合っている視点は特筆に値します。そんな彼でも日本に着任した当初は、頭で日本を理解しているつもりでしかなかったのです。それはちょうど今のわれわれ日本人の天皇に対する感覚に近いものといえるのではないでしょうか。多くの国民は、戦後の平和憲法のもと、象徴とされた天皇に対して、「信奉」の意味も希薄となり、半ば自ら封印してしまっているのが現状です。
それが本作を見ることで、フェラーズとともに当時の陛下に対する臣下の篤い思いに触れてゆくことになります。きっと、封印してある思いを揺さぶられてしまうことでしょう。
この思いは、戦後長らく『天皇制』とレッテルを張られて、悪しきものとして封印されてきました。けれども日本神道の魂を持つものとして言わせていただければ、高天原を指針として、日本の国体に降ろされている高貴なる徳の力、武士道精神というものは世界に誇れるものなのです。戦後70年たって堕落したといわれている日本人でも、震災で略奪行為がなかったことが世界中で驚きとともに注目されました。それくらい高天原が天皇家を経由して降ろしている日本的精神というものは、心清き、徳高き、誇り高きものなのです。だから、よその国に出かけて略奪したり、慰安婦にしたり、必要以上に人を殺したりする民族ではないのです。そんな悪しきイメージは、原爆や大空襲で民間人を大量に殺戮したことに対する欧米の弁解にしかすぎません。あんなひどいことをした軍国・国粋主義の野蛮人には原爆を落とさざるを得なかったという黄色人種への蔑視しかなかったのです。
いわれなき自虐史観を押しつけられたままでは、先の大東亜戦争で亡くなられた約三百万人の英霊の魂は、不成仏霊として靖国神社を彷徨うしかないのが実情です。脱線が長くなり間は盾が、そうした魂の供養のためにも、国の代表たる総理が参拝に出かけることは意義あることだと思います。
本作は、岡本嗣郎のノンフィクション小説を原作として概ね史実に沿って展開されていますが、その一方でフィクションとして膨らみを与えている部分がなかなか異色なのです。それは、フェラーズの探索を縦軸に置きながらも、横軸にはフェラーズは学生時代に恋仲だった日本人女性アヤとのラブストーリーが綴られること。ハリウッドが得意とする“異国のラブロマンスもの”の興味深い変化形といってもいいでしょう。
アヤの存在によって、フェラーズがどうして日本人の心情に深く立ち入って行こうとしたのか、その原点にあるものが際立ってくるのです。フェラーズとアヤの恋愛シーン自体はベタで型通りのものなのかも知れません。しかし、縦軸のみの歴史の追及劇だけでは、愛するアヤの国・日本を理解しようと必死したフェラーズの思いが伝わってこなかったと思います。ましてや、お堅い歴史再現ドラマにあって、当時人物のラブストーリーが織り込まれながら語られるというのは、観客が感情移入するうえで、うまい演出だと思うのです。
歴史に興味がない人には、本作のような歴史再現ドラマは受け付けがたいかもしれません。何しろ派手なアクションがあるわけではないですしね。でも「ロード・オブ・ザ・リング」3部作でアカデミー賞美術賞を受賞したグラント・メイジャーさんが手がけた美術は、一見の価値はあると思います。丁寧に時代考証を重ねた背景セットは、カメラが引いても、ワイドに当時の状況が描かれていて、本当に凄いのです。特に焼け跡に拡がる荒涼とした風景は、東日本震災の映像も使われているそうです。『少年H』と同様に、本作もまた終戦直後を描くことで、震災に遭った人達に復興の希望を感じて欲しいことが織り込まれている作品でした。
出演者としては、最近亡くなった夏八木勲が演じる宮内次官・関屋貞三郎が、とても印象に残りました。フェラーズから天皇の戦争責任について問われた関屋は、直接的には答えず、天皇が開戦前に詠んだ平和を望む意味の歌を自ら詠むことで、責任はないと伝えようとします。関屋はその場にはいない天皇陛下に向かって一礼し、朗々と詠み上げます。その礼の姿勢は美しく、声は清らかで、聞いているだけで胸が熱くなりました。
もちろんマッカーサー元帥を演じたジョーンズも素晴らしい演技でした。当初似ていないという理由でオファーを頑なに断っていたそうです。でも自分がマッカーサーなんだという信念で押し通した結果、顔は似ていないのにマッカーサーに思えてしまうという力業を画面に見せ付けてくれました。
出番は少ないものの昭和天皇役の片岡孝太郎のなりきり度も凄かったです。陛下を演じるなど畏れ多くて、さぞかし勇気がいったことでしょう。そんな重要な役柄を、対面するジョーンズを圧倒するくらいの気迫で見事に演じきったと思います。このときの場面を彩る音楽も、引きのカメラワークもよかったです。
その他アヤ役に抜擢された初音映莉子も、まるで白百合のような可憐さを見せ付けて、フェラーズの日本に対する思慕の思いを引き立ててくれました。
まあまあ面白かった
印象を選ぶのに考えてしまった。特に何が面白いのか分からない映画だった。日本人として天皇陛下が戦犯にされるなんて冗談じゃないと思って見ていたのだが、それほどそこがスリリングなわけでもなく、淡々と解決していた。玉音放送がレコードの再生だったと分かってびっくりした。それを守ろうと木戸さんが頑張っていたところなど面白かった。
GHQがとても皇室に配慮して占領政策をしていて、皇室の権威は守られていたことも勉強になった。天皇陛下とマッカーサーが会う場面は大変おごそかでよかった。
圧倒的だったのは焼け野原の東京の美術だった。日本を描いているのに日本映画ではあり得ないレベルの表現で素晴らしかった。
感動しました。
この夏観た映画の3つ目。
風立ちぬ、真夏の方程式、終戦のエンペラーと観ました。
ジャンルが全然違うので比べようがないですが、私は「終戦のエンペラー」に一番感動しました。
日本人として、必ず観てほしい作品です。
米国映画なので、恋愛要素が入るのはしょうがないのですが、
その他の当時の日本の描き方が全く異色なく描かれているので
素晴らしいと感じました。
感動したのは、
8月9日の御前会議で天皇陛下が聖断を下したシーンと、マッカーサーとの会話のシーンです。昭和天皇は最後の最後まで平和を望まれていたこと、国民と国家のことを考えていたこと。それがしっかり描かれていて感動しました。
日本の学校教育では、戦争がなぜ起こったのか、戦争はどうして終わったのか教えられません。
教えられることといえば
日本は侵略に侵略を重ね、真珠湾を攻撃し、アメリカの反撃にあい、原発をおとされて降伏した。戦争は悲惨だ、戦争は二度としてはいけない。
くらいでしょう。
歴史認識は人によって大きく異なるので、学校教育の中では、事実のみを扱わざるを得ないのは分かりますが、本当に日本人として知らなければいけないのは、この作品に描かれている昭和の時代の人物史であり、西洋の人間が理解しきれなかった、そして壊すことのできなかった、日本人独特の価値観だと思います。
とにかく、この夏一人でも多くの日本人がこれを観て、過去の日本人が命がけで守ったこの日本のことを思い、終戦の日に「二度と戦争はしない」と感じてほしいと思います。
中立でよくできている
終戦のエンペラーを観てきた。中立的でよくできていた。ネタバレになるかもしれないので見たい人だけ参考にしてもらえれば嬉しいです。
簡単にいうと天皇に戦争責任があるかどうかがこの映画の軸です。それを調べる上で問題になるのはアメリカと日本の価値観やコミュニケーションの仕方の違うこと。だけど、最後はある共通点でわかりあえる瞬間が来ます。
知っていて得するかもしれないのは大きく分けて三つ。
1.歴史的背景
終戦間際、アメリカ側は戦争責任としてエンペラー(天皇)を処刑してピリオドを打つという考えが主流だった。それはイラク戦争とかでもそう。一方で、天皇陛下が戦後各地を巡幸されている最中暗殺されなかったように日本では存続する声の方が強かったと思う。
2.恥の文化vs. 罪の文化
日本のように恥の文化であれば、恥かどうかは他人が決める事なので周囲の反応が大切。これは名誉も同じ。一方でアメリカのように罪の文化であれば自分の行動が正しいかどうか自分に問いかけることになる。どっちの文化がダメってことはなく、人によってはどっちの価値観をもっている。
3.アメリカ独自の倫理観
欧米という言葉があるけどヨーロッパとアメリカでは価値観が違うところがある。これは魔女狩りの話で例えるとわかりやすいかもしれない。ヨーロッパでは魔女かどうか疑われて、当の本人がそうじゃないと否定すれば無罪。アメリカでは逆に否定すると有罪。実際にそうでなくても認めれば更正の余地があるとして無罪。これはピューリタンの価値観でピュア(純粋)であることを重んずるため。
たぶんこの三つを知っているとよりわかりやすくなるかもしれない。基本的に一方の考え方を押し付けたり、ステレオタイプがないようにみえたのでそういう意味では中立的にできていたと思う。
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