「重くて 煩くて 長い。のに?だから?だとしても。」わたしはロランス asicaさんの映画レビュー(感想・評価)
重くて 煩くて 長い。のに?だから?だとしても。
この映画について言えばLGBTQについてよりも、監督の手腕趣向センスに話題は集中しているように思う。
もちろん 自分は女性なのだ と気づいたロランスが 「女性なんだから女性の格好をしたい」とカミングアウトして後の二人の心の痛み苦しみそして葛藤を描く事が目的のそれ なのだけれど。
数年前、安富歩 という東大の経済学者が 女装して暮らすのだと宣言し 実行した。
彼の自覚は 自分は女性である。そして男に興味を持った事はない。好きになる相手は女性のみ。つまり自分はトランスジェンダーのレズビアンであると自己分析している。
女装ではない 自分は女なんだからそれまでの男装をやめる、というのが正しい。彼はそう宣言した。
ロランスの状況とかなり近い。違うのは見栄えだけ。
実際の方であって女優俳優業の方じゃないので当たり前だけど。
受け取り手の私が、この作品に入り込むのにいくつかのハードルがあった。
どうしてもこの安富さんの顔がチラついた事。
(彼は現在 独身で ロランスのような葛藤が見うけられない)
ずっとラテン系の言語で怒鳴りあうこと。
スペイン語とポルトガル語はもちろんだけれど、フランス語もラテン系言語で これで始終 怒鳴り合ってるのが
それが心の痛みから来るのであっても ちょっとうるさい。
心の表現を映像に置き換える技法。
洋服が空を舞う、
心に雨が降ったような衝撃を 実際 室内に熱帯雨林の雨季くらいの規模の豪雨もしくは滝のような水 を降らせる。
二人の会話を ものすごい接近したカメラワークで
交互に撮る。
天才と言われる映画監督が 自由な発想で映画を撮る。
そこになぜかえもいわれぬ違和感を感じてしまい諸手をあげて 天才!と言えない何かがあった。
しかし 結局 そのハードルを乗り越え
見終わった今 彼ら二人の心の痛さが ひしひしと蘇る。
ロランスの物語は 20世紀末の10年間。
(今から30年前、随分世の中は変わった)
舞台はカナダ(最初フランスなのかと勘違いしてた)
心が痛い
心が痛みをともなって叫ばずにいられない
彼を愛している 息子より。
言ってしまって自分に愕然とする女。
どうしようもなく持て余す心。
ロランスの側でなく
彼を愛し しかしそれを貫くには辛すぎる彼女の側
二人で逃避行した先で会ったトランスジェンダーの恋人たちに会った後
彼の姿なんて関係ないすべてを愛しているといった事に対し
だったら相手が豚のように醜くても同じことを言う?言うわけがない!
そう叫ぶ彼女(そう 二人はいつも叫んでいる)の言葉には 真実味を感じる。
この映画のトランスジェンダーの彼は
葛藤がありつつも 自分の思いを貫こうとして実行し、生きる。
彼女は そんな彼を もう自分が嫌になるくらい愛している。
私の人生をあなたが壊すのか
そう言いながら
彼が自分に 時を経てもなお 心を向けていることに
心底 全身全霊で 打ち震える。
私の視点は ずっと 彼女の側であった。
最後に この映画を薦めてくださいました きりんさんに謝辞を申し上げます。
確実に私の血液の中に染み込む作品でございました。
そう言えば。
中央高速は東名よりも比較的使う頻度が高いのですが、桃の花の季節にはまだ行った事がありません。新緑もしくは深緑そして落葉の季節には、たまに行きます。来年は桃の花の時期に行けるといいなあ。でも今年のように雪の少ない年は稀でしょうね。
きりんさん
ありがとうございます。
大して何もしてないんですが、病気の者を置いて一人で娯楽目的に出掛けるって言うわけにはいかない程度です。
時期も時期ですし 閉鎖空間には敏感になりますね。そうなると映画界にはどこもかしこもガラガラで興行的に厳しい風潮かもしれないですね。
是非 見守ってもらいたい!
よろしくお願いします。
やっぱりね。
どなたかお具合悪いのかな・・と思っていました。
いろいろわかりました、了解です。何もお助けできませんが遠くから応援しています。
心がホッとするような映画を見つけて楽しんでくださいね。
たくさん寝て、ビタミンCも摂ってください。
きりん
要因かなと、思いますが。(ほらもう打ち込めない)
長く配達してくれる郵便屋さんとクロネコヤマトか佐川のお兄さんとかは親しくしていますが、行くお店なんてスーパーかショッピングセンター。友人すら郊外に越して行きました。外食もあまりせず自宅で二つの娘家族と大騒動で済ませている有り様。私の静かな老後はいつ来るのだろう!夫は定年とともに大病発覚で病気療養中。この映画サイトが今のささやかな楽しみです。笑笑
きりんさん
ありがとうございます。
そう言われて、頂くとか辞退する以前にそんな付き合いのあるお店なんてあったっけと思って思い巡らせてもひとつもない事に気づき、あー東京ってそんな町だわって思ってる所です。何もasicaでなく本名ですらでも、ないなあって。踏み込んだ付き合いのあるお店も30年以上も住んでたらあっても良さそうなものなのに、候補となるようなお店って次々となくなって行きました。下町に属する地域なんですけどねー。JRの沿線である事が
甲斐路では
けぶる雨さへ 桃の色
きりん
信州から東京を目指して中央道高速を走りますと、山梨県内 一宮御坂インターを過ぎたあたりの右の斜面が桃の畑です。息を呑むような桃源郷が広がります。朝まだ早い霧雨の光景です。
おひな祭りの日に嬉しいお便りありがとうございました。
「字数の問題」ですよね。わかります、これ困るんですよね!
ところが以前は僕も仕方なく勘で半分くらいずつ、これくらいならOKかなー?と二度に分けて送信していたのですが、何故だか理由はわからないのです、同じスマホからそのままでかなりの長文がいけるようになってしまいました。不思議です(笑)
外出が出来なくなっておられる由、了解しました。人生は怒涛です。映画で世界を旅しましょうね。
お礼の小さなプレゼントですが、仮名=asica で送っても預かってくれるような知り合いのお店などあれば住所をここへ。
今回 オススメ頂いたわけですが
まったく忖度なしで感想書きました。思ったままを書くことがお勧め頂いた事に対する正しい礼儀と思ったので。
なので いろいろ視点が違うからこそ楽しいと言っていただけてとても嬉しく思っています。
今後とも宜しくお願い致します^_^
現在 家庭内事情により滅多に映画館に出かけられないのですが配信で見られる物は是非共有させて頂き感想を述べ合えると嬉しいなと思っています。
きりんさん
こちらこそ お勧めいただきありがとうございます。
ちょうど配信されていたので見ることが出来て良かったです。
過渡期 と言うのは なるほど〜ですね。この先の未来にどの様になっていくのか興味ありますがいくら頑張っても50年先は見られないな〜。「女」自認者がそれまでの抑圧を爆発させるかのように華美な女装に走るわけですが この映画でも彼女よりも念入りに着飾るのを見ていると孔雀のオスを思い出しました。
168分も!
僕の勝手なオススメを聞き入れて映画を観て下さったasica さん、ありがとうございました。
労力と貴重なお時間を取らせてしまって
m(_ _)mです。
・・身内を別にしてこちらからの推薦を「ほいきた了解~♪」と受け入れてくれた存在はasica さんが生涯初めてなのです。スマホを手に、小さくない感動を覚えています。
おっしゃる通り、叫び続けるやかましい映画だったでしょう?(笑) ドラン監督のあれが今の表現の形なのですね。技法としては斎藤工(blank13)も初期の是枝裕和(歩いても歩いても)もそうですが、若い監督の蓄えてきたアイデアの“怒涛の放出”という感をもちました。
また、LGBTQ を映画でどう表現するかは、当事者も映画製作者側も、そして観る私たちの側も過渡期なのでしょう。
「女」自認者が女装にチャレンジする事自体も少し考えてみればしなくても構わない行為なのかもしれません。これも過渡期なのかもしれません。
先日レズビアンの女の子がただの脇役でストーリーに関連なく出てきた映画を見、僕にとってそれはそれは新鮮で最先端の映画と映りました。隠されていたものが声を上げ始めた時機だから、濃淡取り混ぜてこの題材を映画にするのも過渡期です。
それにしても
映画は舞台と同じく総合芸術ですね。
観る人間によって着目点が異なってくるので、こうやって感想を述べ合うのがとても楽しいです。
asica さんありがとうございました。
無理を言ったお礼にちょっとしたプレゼントをしたい気分ですが・・連絡方法がありませんねー。
局止め、営業所止めなどお渡しできる方法があればお知らせください。
こちらこそ感謝を込めて。
きりん