「きっと人生観、世界観が変わる傑作!」魔女と呼ばれた少女 グランマムさんの映画レビュー(感想・評価)
きっと人生観、世界観が変わる傑作!
こんにちは。
グランマムの試写室情報です。
『魔女と呼ばれた少女』★★★半
アフリカ大陸の紛争問題は、国家間、部族間、宗教が異なる人々との間でも起きており、その実態は、あまりに複雑だ。
本作の主人公コモナの暮らすコンゴ民主共和国の隣に、コンゴという国がある…???この違いはなに???
と、ことさら左様にアフリカ問題に関して無知な者でも、そこに住む子どもたちが悲惨な状況に置かれていることは知っている。
大震災を経た日本でも、ここまで過酷な体験をした子どもはいないはずである。その理由は、冒頭のシーンから明らかだ。
映画は、貧しいが平穏な村の様子が、反政府軍の侵攻により、一瞬にして、凄惨な場面に変わるところから始まる。
奴らは子どもを拉致しにやってきたのだ。コモナは、両親を銃で殺すよう命じられる。
「お前が撃たなければ、俺らがナタで殺す。もっと苦しむんだぞ!さぁ、殺せ!」
子どもたちが脱走しても、帰る場所をなくすのが、奴らの狙いなのだ。
「コモナ、撃っていいよ。でないと、お前が殺される」
諦観したような表情で訴える両親。
号泣しながらも、コモナは引き金をひく…。
ここから、コモナの人生は変わってしまう。涙は瞳の奥に閉じ込めた。泣くと、兵士たちから怒鳴られ、殴られるのだ。食べ物も、ろくに与えられない。
コモナは、諦観したような無表情な子どもになった。銃を与えられ、
「これを親と思え!片時も離すな!」
と兵士としての過酷な訓練を受ける。樹液と呼ばれる薬物を飲まされ、心神耗弱状態で、実践に臨まされる毎日だ。
ある日、コモナは実践中に、死んだ筈の両親の亡霊と会う。
「コモナ!逃げろ!」
と合図される。以降、死と隣り合わせのゲリラ戦で、“敵の居場所が分かる”と噂になり、魔女として崇められるようになった。
亡霊たちに導かれながら、コモナは、生き残ってゆく。が、政府軍を蹴散らした時、コモナに想いを寄せるアルビノ(肌や髪、目の色などが白い人)の少年兵マジシャンから、
「逃げよう!お前も何れ殺される」
と聞き、2人で脱走を企てる。逃走後、結婚した2人は束の間の休息を得たものの、悲惨な運命が待ち受けていた…。
あまりのリアルな描写の連続に、打ちのめされてしまった。どうなるの?この子は、これからどうなるの???
能面のような無表情、子供らしさを失い、観念した表情のコモナだからこそ、胸を抉られる程の苦しみ、悲しみに、観客は否応なく同化してしまうのだ。
同じ地球に住みながら、子を持つ母でありながら、コモナのような子どもたちの過酷な現状に無関心であった自分に、本作を評価する資格があるのだろうか…。
だが、誰かが伝えなければいけない。そうした思いを、監督のキム・グエンは10年前に痛感し、製作に至ったという。
子どもの目線に立ち、一人称で描く。政治的、教育的な視点は排した、との意図は、十分に伝わる。
ドキュメンタリーのようでありながら、叙情性に飛んだ神秘的な物語だ。ストリートで見出したという、コモナ役の少女のなんたる自然な演技!
狂気に血走った目、諦観し感情を押し殺した顔、初恋のマジシャンへ向ける可憐な仕草…etc.…。
他の若い俳優たちも素人のせいか、目の光りがプリミティブなのだ。カメラの前でも自意識を感じさせない演技。
これらを引き出したグエン監督の力量は素晴らしい!の一言だ。
そして、時には暴力と汚辱にまみれた森や湖などの自然界が、神秘の楽園に変わり、希望の予兆まで感じさせる、目眩く映像の喚起力。
映画を“娯楽”と決めている人は多いだろう。もちろん、それは間違っていない。娯楽の定義は様々だと思うが、本作のような世界観、人生観が覆る映画は、観た人の一生の宝物になるはずだ。
題材は重いが、決して暗い映画ではない。ぜひ劇場に足を運び、コモナと出会ってほしい。
3月9日から、シネマート新宿で公開されます。