「温もりの記憶」かぐや姫の物語 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
温もりの記憶
※いつも以上の長文注意です。
僕は昔から文系の授業は好きだったが、
中学の頃に習った古文は、僕からすればシステマチックに
解読するだけの暗号文みたいなもので、ずいぶんと退屈に
感じていたものだった。
『竹取物語』に関してもしかり。せいぜい『地位や名声に
目が眩むと駄目になりますよ』くらいのメッセージしか
受け取れない寓話としか思っていなかった。
ところが本作はどうだ。
導入部は原作と全く同じだし、話の大筋も変わっていない。
なのに、その合間合間を補完するだけで、あんなに味気なく
思えた物語が、ここまで心に迫る物語になるなんて。
* * *
水墨画のような柔らかなタッチで生き生きと描かれる
キャラクター・生き物・風景の数々。画は写実的とは
言い難いのに、どの人物も下手な実写映画以上に
人間臭くて身近な人々に感じられる。
社会的な幸せと娘の幸せを混合して少しずつ歪んでゆく父、
夫に付き従いながらも真に娘の幸せを理解していた母、
かぐや姫を“物”としてしか見られない、
欲深くて情けない男たち、
薙刀を置いて唄を歌ったまんまる侍女。
そしてもちろん、かぐや姫=“竹の子”。
彼女は昔の幸せだった頃を取り戻したかっただけだった。
自然の中を駆け巡り、父や母や友達と
毎日を笑って過ごしたいだけだった。
時代が異なっても、人が何を幸せと思うかに
大きな違いはないのかもしれない。
優しかった父母、不可思議な生き物、きれいな草花 、
共に野を駆けた友人、淡い恋心の記憶。
ラストシーン。
羽衣を着せられてそれら全てを忘れることが、
どうしてこんなにも悲しいのだろう?
僕らは『忘れる』ということを
どうして悲しいと感じるのだろう?
* * *
ここから先は以前『オブリビオン』のレビューで
書いた内容と多少似通ってしまうのだけれど……
『あなたが何を大切と思うか』という質問は
『あなたは何を憶えているか』という質問と
ほぼイコールだと思う。
記憶、記憶、記憶。
古い記憶を漁ってみる。
あなたはこれまでに、
何を醜いと感じ、何を美しいと感じたか。
何に喜びを感じ、何に罪悪感を抱いたか。
何を幸せと感じ、何を不幸せと感じたか。
それらの記憶全てが今のあなたを形作る。
だから、『幸福とは何か』なんて人それぞれ。
幸せに生きたいのなら、
幸せだった頃の記憶を辿って生きればいい。
誰かの押しつける幸せなんかには目もくれず、
自分の幸せだった記憶に従えばいい。
* * *
それだけでいいはず。
それだけでいいはずなのに。
“竹の子”と同じく、
身動きの取れなくなっている自分がいる。
親の期待や、親しい人々の想いや、
社会で生きていく為の決まり事や、
不条理なほどに容赦のない突然の災難や、
そんなこんなの色々なものに縛られて、
いつのまにか身動きが取れなくなっている。
なんだこれは?
重くて動きづらいあの十二単(じゅうにひとえ)
のようじゃないか。いつの間にこんなものを
着せられているんだろう、僕らは?
走っても走ってもしがらみから逃れることはできない。
あなたはこう感じたことはないだろうか。
世の中はいつから、こんなに悲しくて窮屈な場所になってしまったのだろう、と。
記憶の中の世界は、こんなに美しくて自由な場所なのに。
歳を取れば取るほどに、なぜだかこの世界は
擦り切れ色褪せ薄れていくかのようだ。そんな想いは、
かぐや姫の時代の人々から変わらないのだろうか。
* * *
“竹の子”の背負った罪と罰とは何だったのか考えてみる。
予告編から僕は、彼女が何かの罰で
月から地球に堕とされたのかと予想していたが、
実際は地球に降り立ったのは彼女自身の意思で、
月の人々はむしろ幸福になれるのならそれでも
構わないと考えていた様子だった。
思うに、ここでの“罪”とは、誰かから向けられたもの
ではなく、彼女自身の罪悪感を指していたのではないか。
終盤の彼女は「私の身勝手な振る舞いのせいで
皆が不幸になる」という想いに苛まれていた。
彼女にとっては自分の心に従うことが罪だったのだ。
ならばそれに対して自分で下せる罰とは? 自分の心を殺すことだ。
記憶を失って去ることは、周囲の人にとって彼女の死に等しい。
「私はここから逃げ出したいと月に願ってしまった。
すぐに後悔し、連れて帰らないでくれと願ったが、
彼らは聞き入れてくれなかった」
この言葉の意味が今は掴める気がする。
この世から抜け出したいと願うことは死を願うこと。
そして一度死んでしまえば、
いくら後悔しても取り返しは効かない。
罪悪感、そして自罰の意識。
彼女は自分で自分を裁いて、空へ消えてしまった。
* * *
救いがあるとすれば、だ。
死者が後悔するかどうかは分からないが、
“竹の子”には後悔する時間があった。
もう一度、自分の幸福を省みる時間が。
必死にこの場所に残らなければ幸福を再び紡ぐことは
できないし、自分がここに残ることが周囲の人間に
とっての幸福であるということに彼女は気付いたはず。
世の悲しみや怒りにがんじがらめにされながら、
それでも人は生きている。
それはきっと、幸せだった頃の記憶が
こう諭してくるからじゃないだろうか。
ここに踏み留まれ。冬を耐えればいつか春は巡ってくる。
生きるに値すると思えるものが、
この世にはまだ残っているはずじゃないか。
* * *
今一度、古い記憶を漁ってみる。
僕はこれまで何を憶えて生きてきただろう。
あの人、あの生き物、あの音、あの匂い、あの光景。
僕らが憶えている事にはきっと、僕ら自身にとって
憶えるに値するだけの価値があったのだ。
その記憶を大事にしながら生きれば、
世の中はもう少しだけ温かく色づいて見えるかもしれない。
〈2013.11.23鑑賞〉