君と歩く世界のレビュー・感想・評価
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私に何ができる❓
過去に、レンタルで観ました💿
事故で両脚を失うことになるステファニーを演じたマリオン・コティヤールの演技が秀逸ですね🙂
動きも違和感なかったですし、病院のベッドで目覚めた時の自分の状態を見た時の取り乱し具合もリアルで。
色々あった後、事故現場に行って区切りをつける感じも雰囲気が出てました😀
アリを演じたマティアス・スーナールツも、不器用ながらも息子を大切に思っている父親を熱演🤔
ラスト近く、息子が危機に陥る場面では己の拳を顧みずに必死に助けようとします💪
色々平気で言ってしまう面もありますが、だからこそステファニーが立ち直るきっかけも作れたのではないでしょうか❓
マリオンのファンの方や、ヒューマンドラマ好きな方は是非🙂
少しずつ寄り添う二人
性質も全く違う男女が、いろんな出来事を経てやがて寄り添って行くストーリー。
両足を失ったステファニーが海で泳ぐシーン、ステファニーがシャチとコミュニケーションを取るシーンが秀逸。
無骨で野性的なアリをマティアス・スナールツが
好演。
二人が最後に唯一無二の関係になれてほっとした。
確かにR18な世界
マリオンコティヤールのファンとしては
見ずにはいられない映画だったわけで・・・
しかし、もしかして省略されちゃったのか
このストーリーの重要な起点となる事故の後の再会の場面で
なぜ彼に電話をしたのかが、いまひとつよくわからない・・・
その後、彼の魅力(不器用さ)にハマるのはよくわかる・・・
最後の子供のエピソードはなくても良かった気がする
最高のふたり、の男女バージョン。
障害者に対する余計な気遣いのない彼に好感を抱いたが、女と消えてバーに置き去りにされて腹立つ。でもどっちも彼。本能のままに行動するから、周りは傷つく。
一度壊れたものは、元にはもどらない。強い思いや流れた時間が、前より強くすることがある。両脚、ope?、父子の絆、男女愛、姉弟愛、骨、人生。
信頼が愛に変わる、その時間差
両脚を失い失意の底にあるシャチの調教師ステファニー。
劣悪な環境から息子を救い出し再出発を図ろうとするアリ。
絶望した女が素朴な男と出会い再生していく、そういうステレオタイプな物語を想像して観ると肩透かしと感じるかもしれない。
でも私はその意外な展開が面白かった。
ステファニーは事故以前に恋人と暮らしながらひとりでクラブに出掛けて男をその気にさせて楽しむなど何処か人間関係にドライなところがある。
一方、アリは幼い子どもに麻薬を運ばせるような母親の元に息子を置いておけないと考える良識はあるものの、実際息子にどう接していいのかわからず、乱暴に扱ってしまうこともある。女性関係もその場限りのものばかり。
そういう少々問題を抱えた二人が出会ったのだ。
ステファニーは世話を焼きすぎず、かといって突き放す訳でもなく、“対応可能”な男としてのアリの存在に安らぎを感じ、彼を信頼し、一対一の関係を望み始めるが、彼はまだ彼女の思いについて行くことが出来ない。
二人の信頼から愛情への変化には時間差があるのだ。
この時間差を強調するのが、南仏の眩い光の景色からフランス北部の雪景色への場面転換だったと思う。
前半の主人公がステファニーだとしたら、後半の主人公はアリ。
二人はお互いの存在によって、一歩を踏み出し、強さを獲得していく。
リアルの世界での感動
のめり込むように見れたわけではないですが、表現の方法が結構衝撃でした。主人公もヒロインも、映画っぽくすごい人物に描かれておらず、弱さやずるさをもった普通の人間として描かれています。観ていてぜんぜん同感できないというのが面白かったです。またそれらの人間としての問題点を克服して真実の愛にたどり着くような創作チックなドラマではないのもよかったです。
一人では生きていけないという、人間としてほんとうの恐れを知ったときに初めてわかる、そばにいてくれる人のありがたみ。それを愛と呼ぶことにするのは、私たちが現実でたどり着く結論に近いとおもいます。
私は結婚して2年以上たちますが、はじめの恋愛感情がなくなってきたとお互いに感じつつも一緒にいようと思うのは、やはりそういうことなんだと思います。
獣のような男
観てびっくりした。こんな映画だとは思わなんだ。
「女性向けのきらめく愛の感動作」って感じの宣伝に惑わされた方も多かったに違いない。実際はそんなにきれいな映画じゃない。
この監督、ジャンル的にはバイオレンス系、ノアール系だと思う。
やさぐれ感がリアルで、暴力シーンも派手さはないがパンチがずしっと重くボディに響く感じで、まさにガチな「ファイトクラブ」。
フェラーラの「バッド・ルーテナント」や、北野監督の「ソナチネ」などの、ひりつく感じに近い映像だった。
殴りたいから殴る、抱きたいから抱く、女だったら誰でもいい、そんな男が主人公。
獣みたいな生き方しかできない。獣なので、基本自分勝手、欲望の赴くまま、他人への同情心や責任感なんて持ち合わせていない。
そんな男だからか、両脚を失った女性とも嘘偽りなく自分勝手に向き合う。
可哀相な同情すべき女性としてではなく、自分の欲望に火をつける一人の女として。
だからこそ、女は救われたのではないか?
同情ではなく本能で自分を欲してくれる男の存在が、どん底から立ち直るきっかけとなったのではないか。
男が喧嘩をしているところに、女が義足で近づいていくシーンがいい。
それがとてもかっこいいのだ。痺れるほどいい女なのだ。
安っぽいヒューマニズムなぞ不要と言わんばかりの力強いシーンだった。
女は立ち直ることが出来たが、男は相変わらず獣のままで、だとすれば悲しい結末しか待ってないなあと、映画の後半はヒヤヒヤしながら観ていた。
最後の最後で、男が「見捨てないでくれ」と呻くシーンがいい。
獣のような男にも人間らしい悔恨や弱気が芽生えるところがいい。
女や家族から実直な愛を受けることで、自分にも大切な人がいたんだと気付くところがいい。
この映画は女の再生物語でもあり、男の再生物語だったのかと、その一言に痺れた。
アリが歩む世界。
原作を(例によって)まったく読んでおらず、
ポスター、チラシ、予告(ほとんど見なかったなぁ)のセットから
今作のあらすじを理解したつもりで観に行ってエッ?となった。
ほとんどの皆さまが、そう感じたとは思うけど…^^;
あとで調べてみたらこの作品、短編二つを監督が組み合わせ
一本の映画に仕上げちゃったのね。しかも脚色しまくり(爆)
M・コティヤールがシャチの調教師…というのは合ってるけど、
原作じゃ男だし、タイトルになっている短編の方には、彼女は
もちろん出てこない。そちらはまさに「ボクシング話」。というより
この作家さん、全編を通してボクシングの世界を描いてる感じ。
あぁそうでしたか^^;初めから分かっていればなぁー(爆)
マリオンの方がメインだと信じ込んで(さらには海や水族館系の)
美しい光景を想像に描いていると、泥水の中に突き落とされる^^;
暴力、セックス、貧困、障害、さらには子育ても加わり、どちらか
といえば、険しいケモノみちに取り残された感が強くなってくる。
決して分かり辛い話ではないので、訳が分からなくはならないが、
主人公の行動そのものが不信感、不安感、生々しさの総てなので
あーあー、またそっち行っちゃったよ(汗)みたいな、なんというか
総てが裏目に出る男の不安と不幸と欲望塗れの生活を見せられ
ているような気分になってくるのだ。決して心地良い作品ではない。
まぁ男性向きだと、いえるのかなぁ…。
ちなみにマリオンはキレイですよ^^; 両脚を失ってもすっぴんでも。
無理に絡めたと思われる脚本は、まず関係のない話に関係性を
持たせるため、二人を出逢わせ、事故に遭わせ、また出逢わせて、
男と女の関係へと進めていくのだけど、どう考えてもあの彼女が、
道端格闘技に燃える主人公を応援するとは思えず、むしろ心配して
やめさせる方に出るんじゃないかと、私には思えて仕方なかった。
自身が男遊びに興じていたとはいえ、やたらと暴力を振るわれたり、
血まみれになって車に戻ってくる男をお金の為にまた送り出すなんて
(さらに他の女とも自分とも、身体だけ?と思わせる性行為が多くて)
結婚?して子供まで作っておきながら、今さら女の扱いが分からない
なんて(だから妻とも別れたのか?)あり得るんだろうかと首を傾げる。
姉と義兄の恩情に感謝していたのは分かるが、まさかの違法行為で
姉を解雇に追い込み、自身はまるで逃亡?とも思われる突然失踪。
分からん、まったくもって分からんぞ!
どうしてアンタには、女・子供の気持ちが分からんのだ!?
しかし彼には強運がついている。誰も彼を恨んだり責めたりしない。
義兄の親切っぷりには涙が出るほど、あり得なさが満載だし~(爆)
アリ、いいかい?氷上に子供残して立ちションするのはアンタだけ!
ファイターとしては才能あっても、人間としてはまだまだのアリ。
チャンピオンベルトに彩られたラストの幸福が、どうしても私には
「チャンプ」みたいになるんじゃないかと、坊やの顔を見てしまった。
小説の方がもっと粗野だけど、あり得る日常を描いている気がする。
(脚の変化や義足歩行など彼女の回復ぶりはお見事。精神的にもね)
格闘場面がかっこいい
貧困や片親、両足切断といった人生の苦味と希望を体温の伝わるようなタッチで描いた映画だった。そんな文芸的な映画だと思っていたら思わず、路上格闘技、しかも賭博つきで描かれていてびっくりした。
どのようなシステムで賭けが行われているのか、もうちょっとじっくり見たかった。格闘場面は引いた目線で描かれる事が多く、この映画の本筋ではないのが残念だった。もっとそっちに寄せて燃える展開で描いたのが見たいと思った。しかしかっこいい場面だった。
主人公のおじさんは優しくて強くてかっこいいナイスガイで子供もいて非常に羨ましい。貧乏でフリーターのような暮らしをしているが、しょっちゅういろんな女とセックスしていて、ムエタイ王者でもあった。身近な存在のように描かれていたが、よくよく考えるととんでもない英雄でうらやむべき存在だった。
氷を割る場面は拳じゃなくて体重を乗せた足で割れよ~!と思った。若いから仕方がないのかもしれないが、息子をもっと可愛がって欲しかった。
しかし、両足を失ったり貧困に陥っても30代なら気力や体力で前向きにもなれるかもしれないが、40代ともなるとすっかりそんな自信がもてない。夜寝てもすぐ目が覚めてしまってすっきりできず、昼間眠くて仕方がないなど、満足に休養を得ることもできなくなったしまった。これから先よりしんどくなっていくと思うとつらくて仕方がない。最低限タフでないと生きるのがつらいということが痛感させられる映画でもあった。
『ソウル・サーファー』でも片腕を失った女の子が海で生命力や人生を取り戻す映画だった。この映画でも足を失って初めて海で泳ぐ場面が非常に感動的だった。自分や家族が体を欠損したら海に行ってみたいと思った。しかし元から海や水泳などに親しんでいる人だからこそかもしれないので、状況を見極めて実行したい。
成熟した関係。
荒くれ男と
心のどこかににぽっかりと穴が開いた(事件前も)女の交流が
心と体とその両方で描かれていく。
「付き合いましょうか?」
とか
「好きです」
とかで始まらない。とてもとてもあからさまな男女の形。
他の女と消えていく男と翌日の会話がよかった。
嫉妬というよりも、諭すように話す。
人間として足りないものが何か、男は少しずつ傷ついた彼女の表情でようやく知っていく。。。
たぶん日本的に言えば受け入れられない状況の場面がいっぱいあると思う。
出てくる女性はばんばん荒くれ男に体を開いてしまうし、男は頭の中は殴り合いと
女のことでなんだかいっぱいだし。
子どもに対しての態度などにもきっと眉をしかめる人が多いんじゃないかなと思えるシーンの連続だったけれど、
それが最後に大きな形として(そうなるであろう伏線もある)現れる。
人に対して細やかな優しさを持たなかった男は、
究極の状態を克服することにおいて、本当に大事なものを2つ手に入れた。
氷を拳で叩きながら、今までどんな男となぐり合っても得られなかったものを最後は手に入れる。
(しかしこのシーン、なんで足で氷を蹴らないんだ!と思ったのは私だけではなかろう!!)
子どもがとても自然でかわいい。
シャチとの再会のシーンでは涙。
肉体的な満足を得て、女性が前向きになるさまもわかりやすくてとてもよかった。
ありきたりな男女の関係ではないけれど、
こういう関係のほうが、ずうっと深い結びつきを得て、あからさまに人間くさいんだなと、うらやましくもなる。
ファイティングシーンも、最高に白熱。
だけど!最後のシーンは拍子抜けしてしまった。
ああするしかなかったのかな。
あまりに平凡な終わり方だったのが残念。
本当にラストだけが残念。。
あ~よかった!
お~どうなる?お~どうする?
話も終盤にさしかかり、なんだ、最後は、そこに持ってきたか?ボクシングのチヤンピオンに、返り咲きかよ?と思った矢先、冬の風景に。
雪、そり、池に張った氷の上で、親子が遊ぶ
ま?まさか?それやるか?やめて!それだけはやめて!いやな気分で家に帰りたくないよ、ハッピーエンドなんて、贅沢は言わないから、それだけはやめて!
心の叫びもむなしく、それ、やちゃった~!
監督、それ、やちゃった!けど、父さん、拳振り上げ、氷を割っちゃた!
拳も割れちゃったけど、心の中の何かも割れちゃて、何かが生まれたみたい。
ああ!よかった!
「ステファニーとシャチのガラス越しのシーン、結構感動したね」と、隣の席のお嫁ちゃんに、言ったら、お嫁ちゃんが言った、「どう猛と言われる、シャチの調教師から、今度は、この粗暴な男の調教師になったのね。」
お嫁ちゃん、恐るべし、俺らも調教されそう?もうされてる?
ちょっと気になったのは、父ちゃん(アリ)が、姉の家を出て行く前に見せた、涙、俺らはびっくりした、涙が出るんだ?この男にもと
だから、病院で、ステファニーからの電話で流す涙は、不要な気がした。
おいおい、氷が割れて、涙腺も割れちゃったのかよ?って。
「ジュテーム」の一言で、十分わかりまっさ。
あ~よかった!面白かった!
宣伝コピーに惑わされました。
原題の『De rouille et d'os』は、英語だと“Rust and Bone”。日本語では、“錆と骨”なんていう、何とも色気のないタイトルなんですよね。それが、邦題だと『君と歩く世界』となる不思議。まぁ、脚を失った女性が出ているので、判らなくはないです。
「両脚を失った女性の驚くべき再生と希望の物語」とか、「光指す方へ/一歩ずつ/ふたりで」とか、「両脚を失ったシャチの調教師ステファニー。ふたたび力強く歩み始める彼女の姿が胸を打つ、きらめく愛の感動作。」と言うコピーが、ポスターやパンフレットに氾濫していますが、ハッキリと率直に言って、そう言う言葉から想像されるような内容の物語ではありません。
主人公も、マリオン・コティヤール演じるステファニーじゃなくて、マティアス・スーナールツ演じるアリだと思います。それにしても、罪作りなコピーだ。マリオン・コティヤールが好きなんで見に行ったんですが、何だかなぁ。予想と全然違い過ぎ。でも、そういうことが判ってながら行くと、また違うように物語は見えるかもしれません。
ステファニーは両脚を失っているわけですが、その処理はCGで行われています。CGで処理されたとはわからないくらい自然。で、そのステファニーが両脚を失うことを示唆するかのように、ランニングする人々の脚元からの映像をつかったりしています。また、ステファニーが脚を失うのは事故なんですが、事故だけでは脚を失うようには思えないんですが、その後のステファニーの回想?の映像で、シャチを出すなど、映像の作り方は良いと思いました。
アリが、粗暴なのか、優しいのかよくわかりません(苦笑)。映画のコピー自体は、ステファニーの物語のように思えるコピーですが、実際の所は、映像の量といい、話の軸足と言い、アリが主人公なのでは?と思います。
第70回ゴールデングローブ賞「主演女優賞」「外国語映画賞」ノミネート。フランス版アカデミー賞と言われるセザール賞では、「作品賞」「監督賞」などの主要部門を含む9部門にノミネートされ、「編集賞」「脚色賞」「音楽賞」「新人男優賞」を受賞。第65回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門正式出品。
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