「ナタリー・ポートマンとロキ・ファンへの媚び売りで成り立つ作品。」マイティ・ソー ダーク・ワールド kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
ナタリー・ポートマンとロキ・ファンへの媚び売りで成り立つ作品。
2014年2月中旬にTOHOシネマズ六本木ヒルズのスクリーン1にて3D版を鑑賞。
『アヴェンジャーズ』のヒットによって、勢いに乗る“マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース(MCU)”の“フェーズ2”作品における『アイアンマン3(2013年)』に続く第二弾にして、『マイティ・ソー』の3年ぶりの続編が本作『マイティ・ソー ダーク・ワールド』であり、監督はケネス・ブラナーから、本作が劇場公開作の初メガホンとなるアラン・テイラー監督に交代し、壮大な世界がより深まった作品となっています。
“アヴェンジャーズ”の一員としてニューヨークの戦いに参加し、義弟のロキ(トム・ヒドルストン)の陰謀を阻止し、アズガルドへ戻ったソー(クリス・ヘムズワース)は4人の仲間(ジェイミー・アレクサンダー、浅野忠信、レイ・スティーヴンソン、ザカリー・リーヴァイ)と共に9つの惑星の争いを終結させ、束の間の平和を取り戻したものの、地球では恋人のジェーン(ナタリー・ポートマン)が“エーテル”と呼ばれるエネルギーを吸収してしまい、それにより、遥か昔に宇宙を暗黒に変えようとしたダーク・エルフ軍が眠りから覚め、司令官のマレキス(クリストファー・エクルストン)がアズガルドへの侵攻を開始する(あらすじは以上)。
前作『マイティ・ソー』はアズガルドの壮大な世界とニュー・メキシコのこじんまりとした世界の両方で巻き起こる陰謀と“俺様ヒーロー”のソーを魅力的に描ききり、MCUのシリーズとしても、単体としても、とても楽しめただけに、本作には期待したかったのですが、『アイアンマン3』がつまらなかったので、期待度を思いっきり下げ、本作の日本上陸時の段階でアラン・テイラー監督が『ターミネーター:新起動/ジェニシス』の監督に抜擢されていただけに、「テイラー監督の手腕を確かめる」という気持ちで観てきました。それでも、本作は『アイアンマン3』よりもつまらない一作という印象を持ち、ただ、テイラー監督の演出だけを楽しむ作品にしかなりませんでした。
MCUの作品としては『アイアンマン3』よりも良かったです。同作では触れられなかった“シールド”は本作にも出てきませんが、危機的状況において、ダーシー(カット・デニングス)がシールドへ電話を掛けても、繋がらないという描写を盛り込んで、シールドのエージェントが動けない状況に置かれているという事が分かるだけでなく、ロキがキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)に変装して、キャップのカメオ出演を実現させ、『アヴェンジャーズ』でロキに操られた事による後遺症でセルヴィグ博士(ステラン・スカルスガルド)が奇行に走って、お笑い担当に徹し、ロキと対面したジェーンが「ニューヨークのお返しよ」といって平手打ちを彼に食らわせたりと、シリーズの要素を無理せずに見せてくれるというだけで、そういうのが無かった『アイアンマン3』と比べても、遥かに印象は良い作品で、明るい娯楽大作だった前作(『マイティ・ソー』)よりもトーンは暗めですが、これは悪くありません。
本作がつまらないのは『アイアンマン3』以上にネタ切れ感が満載で、過去に色々なアクションやSF映画で観たシーンの焼き直しに走り、大作映画におけるアイディアの枯渇を感じさせ、話も殆ど進展させておらず、主人公である筈のソーが存在感を発揮せず、ロキやジェーンの方が目立っていて、全体的に肩透かしを食らう作りになっている事です。ダーク・エルフ軍のアズガルドへの侵攻のシーンは『リディック(2004年)』のネクロモンガーによる“ヘリオン第一惑星”への最初の侵攻シーンに『スター・ウォーズ(1977年〜)』の戦闘機を駆使したアクション・シーンを足して2で割ったような感じで、マレキスを演じたクリストファー・エクルストンは『リディック』でロード・マーシャルに扮したコルム・フィオール(奇しくも、『マイティ・ソー』でヨトゥンヘルムのリーダーを演じていました)に顔が似ていて、衣装もそっくりなので、マレキスが登場する度に「何の映画、観てるんだっけ?」と疑問を感じたほどでした。そのマレキスや右腕たちが強くなく、存在感にも欠けるので、見掛け倒しの悪役にしかなっていないのが残念です。
ヒロインのジェーンは行動力のあるキャラとして描かれ、戦う術を持たないために、アズガルドへやって来て、そこで戦闘が始まっても、自らは戦えず、誰かに守ってもらう立場となっていて、ソーの母親(レネ・ルッソ)に守られますが、その姿は『スター・ウォーズ ファントム・メナス』におけるジェダイにピンチを救われるアミダラ女王と丸被りで、これも新鮮味は無く、ジェーンがやって来てからのアズガルドの世界は突然、独自な光景を失い、それも『スター・ウォーズ』での惑星ナブーの湖水地方にしか見えず、前作の公開前にオスカー女優となったナタリー・ポートマンに気を使っているのか、それとも、マーヴェルだけでなく、ルーカスフィルムを傘下に収めたディズニーが「私たちは“スター・ウォーズ”を作れるようになったんです」と嬉しさをアピールしているのかどうかは分かりませんが、こういうのは不要なヴィジュアルだと思います。『アヴェンジャーズ』では四大ヒーローと対峙し、強くはないけれど、悪役として君臨した事でファン層を拡大して、その人気はソーを上回るロキの出番が中盤から増えていて、『マイティ・ソー』としての安定感は増して、話も盛り上がりを見せる点は納得できますが、そこからはロキが出てこないと、急にパワーダウンし、ソーは一作目と『アヴェンジャーズ』によってキャラとして成長を遂げ、冷静沈着なヒーローとなり、俺様ぶりが消え失せてしまっていて、主役としての貫禄すら無くなっているので、本作は悪役も居なければ、主役も居らず、一作目では活躍していたソーの仲間たちも空気に等しく、描くべき話も無い(エーテルというアイテムが一作目のデストロイヤー程のインパクトを残さないという点でネタは無かったのでしょう)ので、本作の2時間は主にナタリー・ポートマンとトム・ヒドルストンのファンへ媚びて、MCUの世界観と設定を維持するために存在しているとしか思えません。
ただ、唯一、誉められる点はテイラー監督の切れ味の良い演出とテンポの良い編集であり、それによって、どうしようもない作品を2時間、飽きずに観られるようになっているので、テイラー監督の功績は大きいと言えます。でも、話がつまらない為に、この功績も無意味だったのでは無いでしょうか。