ゼロ・ダーク・サーティのレビュー・感想・評価
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怪物と戦う者は自分も怪物にならないよう注意せよ。 深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込む。
良かった。
ビン・ラディンの情報を得るため行われる捕虜への虐待。
虐待を繰り返すことによる加虐者側の心の疲弊。
誰のため、何のためにこんな事を続けなくてはいけないのか。
関係する人々は皆、暗黒面に引き込まれていく。
また本作で良かったのは終盤にある一連の突入~鎮圧のシーン。
CIA局員である主人公が場所を突き止めて…という話の場合、往々にしてあるのが連絡でミッション成功を知るパターン。
そこで雄大な音楽が流れ皆が手を握り肩を組む。
本作はそんな安っぽい展開にはなっていません。
特殊部隊の突入~鎮圧を丁寧に描いています。
その映像を見て思うこと。
訓練された組織の凄まじさ。
そして憎しみの連鎖は結局止まらないということ。
最後、主人公に対して投げられる或る質問も感慨深かったです。
主人公であるサラと米国という国全体が被る瞬間でした。
157分と比較的長時間の分類に位置付けられる本作。
中盤で中弛みが無いと言うと嘘にはなりますが、
終盤の戦闘シーンを観るだけでも元は取れると思います。
オススメです。
終わりなき戦い
ビンラディン殺害という、まだ十分な冷却期間があったとは言えない事件を映像化するにあたっては、相当の批判も覚悟しただろうし、脚本執筆も神経を擦り減らす仕事だったであろうことは容易に想像がつく。
CIAをはじめとする各国の諜報機関が総出でその行方を追っていたビンラディン。
その映像化作品ということで、派手な活劇を期待した人も多かっただろうが、残念ながらそれを期待した人は肩透かしを食らっただろう。
捕虜への尋問、情報収集、情報分析、懐柔、買収、根回し、説得…。
ビンラディンとアルカイダナンバー3との連絡員“アブ・アフメド”を特定するまでの過程は忍耐に次ぐ忍耐。
正に、忍耐が執念を醸成したと言っても過言ではない。
二時間半超という尺は確かに短くはないが、この長尺やジリジリするような展開が、マヤをはじめとするCIA局員の焦燥感を観る側が共有すること容易にしている。
もしも、これをテンポのいい活劇に仕立てていたら、この焦燥感は到底共有出来なかったに違いない。
製作側の意図は、この事件を題材にしてエンターテイメント作品を作ることではなく、この作戦がどういうものだったかを伝える、ドキュメンタリーに近いものを作ることではなかっただろうか?
当時、ビンラディン殺害のニュースに沸くアメリカ国内の様子には、何とも言えない複雑な違和感を感じたが、すべてが終わった後にマヤが流す涙にもまた複雑な思いが感じられた。
アメリカにはビンラディンを野放しにするという選択肢はなかった。
しかし、ビンラディンがいなくなってもテロリストは存在し続け、テロ事件も起きる。
戦いは終わらないのだ。
あくまでもフィクション
マヤが置かれている状況や、彼女がすごくのめり込んでいく流れはわかる。もっと注文をつけると、もっと人格が壊れてしまいそうな感じで行き過ぎになっても良かったのでは。実際にいる人を描くのではなくて、あくまでもフィクションとしてみたい。というのも、戦争で一方の立場の視点から描く場合、フィクションの枠を出られないから。視点が偏るのをわかっていて、どうして映画にする必要がのか、それが伝わってこなかった。まかりとおっている拷問。上のものの許可が下りないなど、事情はわかってくるけど、マヤという女性の視点が中途半端に客観的にしようとして、マヤ個人が見えなかった。
気を抜けない危うさがリアル
こんな殺伐とした国が実際にあると思うと恐ろしいですね。
いつ自分、もしくは同僚が殺されるか、人質になるかわからない。こういう仕事をよく続けられるものです。作中にもありましたが、もう精神はボロボロでたまらないんじゃないでしょうか。
突入の映像は息が詰まるほどリアルでまさに記録映像のようでした。
街の誰が敵かわからない、いつ誰が裏切るかわからない、自分の命を犠牲にしてまで目的を果たそうとする組織。
恐ろしいことばかりですが、一番恐ろしいのはまだ問題は片付いていないということだと思います。
非映画的な映画
東日本大震災から二ヶ月後に決行され、日本でも報じられたビンラディン殺害。
今の10代は9.11がどういったものだったのかわからないのが普通で、この映画を観て“理解しろ”というのは無理難題に近い。
だから知らない人は観る前に少し知識として入れておくといい。
映画としての出来は率直に言えば悪い。
なぜなら、全編通して映画的な時間配分を無視して作られてるからだ。
冒頭の拷問シーンしかりアブアフメド追跡過程も、カットして短くすることは出来たはずだ。なぜそれをやらなかったのか。
それは監督自らが記録として残し伝えたいからと語っている。
事実かどうか明確ではないものを伝えるというのも甚だおかしな話ではあるが、彼等の緻密なリサーチによって作られたこの映画には、本来必要なものが全く描かれておらず、ただひたすらに起こった出来事を描いている。
この映画には感情が無い。
主人公のマヤは紆余曲折ありつつも、アメリカの敵とされるビンラディン追跡にひた進む、悪く言えばマシーンだ。
そんなマヤに観ている人は感情移入出来るはずがない。この映画は本当に歴史を辿っているだけだ。
戦争は、いち意見で語ることは不可能であり、今後の歴史においても、社会に生きている以上解決出来る問題ではない。
必ず意見のバックグラウンドが邪魔をする。現実問題としてこれは仕方がないことだ。
それらの意見を全て飲み込む作品を作るとして、1番なのは結果だけを描くことだ。
起きた事以外を描かない。
この映画に関しては、この無感情なストーリーが「記録」として相応しいものになっているということ。
実際に抗議などが出た問題作ではあるが、描くことを禁止するというのは「記録」として残す意図とは真逆の存在になってしまう。
そういった意味で、この映画の非映画的な部分が存在している。
しかし映画としてラストシーンは必要である。
言わずもがな、最後はビンラディンが殺害される。ここで終わったら観ている人は何を思うか。
納得や理不尽感といった気持ちで終わってしまうだろう。果たしてそれでいいのだろうか。
「記録」として残す以上、今現在、現状も伝えるべきではないのか。
劇中のマヤは、言うなれば当時のアメリカ国民の代弁者だ。
同朋を殺された国民は怒り、ビンラディン殺害が行われた日には喜び笑い、そのことに疑念を抱いた者は叩かれた。
だが、事が終わり、何が始まったのか。
テロは消えたのか。
戦争はなくなったのか。
10年という長い年月を経て成し遂げ、得たのはなんだったのか。
この映画のラストシーンは、そのことについて問い掛けた秀逸なものだった。
ただひたすらにビンラディンを追い求めたマヤと国民。
成し遂げた先のマヤ(国民)は、一体どこへ向かうのか。
映画を観て、考える。それが出来る映画。
娯楽を超えた、事実を伝えようとする監督の気迫が物語る深いものを感じ取れた
面白い面白くないという娯楽的判断を超えるなにかを受け取ったような気がした 監督もそういう思いから一般的には最後に映す、事実に基づくという注意書きを始めに持ってきたのではないだろうか。
米国が受けた壮絶な悲劇 対するテロリストは祖国で身を潜め生きながらえる 報復を誓い、それに全てを費やしてきたCIAの女性、その当事者が語り、ハートロッカーで史上初のオスカー受賞となった女性監督が表現する。これは両者が女性であったことで成し得たのではと思える
現地でビンラディンの最期を見届けた彼女と、同性とし通じ合えたからこそ娯楽を超えた信念がドキュメンタリーのような世界観を表現できたのではないかと
はじめは新人CIAでパキスタン入りした彼女だが、希望していたわけでもなく信念もなにもなかった それが日に日に現地の危険と隣り合わせの生活、常にテロを意識し、その主犯が潜むだろうその地で世界の安全と祖国の報復の為に、捕虜を拉致し、拷問虐待を目の当たりにし尋問を繰り返す そうした中で自然と強くなり、責任感ある姿勢で臨むようになる 彼女の内面の変化や成長、事実に基づくテロ事件の裏で行われているCIAの作戦や内部での葛藤 それをこんな簡潔にうまくまとめる監督の力が素晴らしい
長い期間をかけ、徐々に外堀を固めるように主犯格に迫るが、幹部を捕らえるほどに周囲が危険になり、目的を同じにした仲間が殺され自身も狙われ、仕事としてビンラディンを追うというノルマから、私怨にも似た思いが絶対にビンラディンを殺す、と彼女を突き動かしていく アルカイダがいかに狡猾で悲惨なテロリストかということが非常によくわかり、その中心に身を置くことがどれほど怖いことかは計り知れない
クライマックスのビンラディン邸を奇襲するシーンは、現実感があり緊迫した状況が感じ取れ、ラストのビンラディンの遺体を確認するシーンは、12年の言葉では表せない達成感と、共に虚無感が伝わり鳥肌が立った 姑息で残酷なテロという絶対悪に対し、小数精鋭でまさしく必死に長期間諜報活動をしてきた忍耐と頭脳、気迫の勝利であることは間違いなく、彼女をはじめ祖国の安全を守る人たちが裏で血の滲む努力をしていることを深く心に留めたい またこれを映像として表現してくれたビグロー監督に感謝する
期待してたが…
ハートロッカーがリアルに作られていた分少し期待していたが、思っていたより迫力が少なくて残念だった。
でも、ビンラディンを捕まえるまでの作戦や状況がわかり、建物に入ってからドキドキしてました。ドキドキがもう少しあれば良かったかなー。
手に汗握る緊張感
ドキュメンタリー風に見せながらしっかりストーリーを作り、山場や見所があるところは流石キャスリン・ビグロー。
見せ方が上手い。
最初から最後まで緊張の糸が切れない針詰められた空気を2時間超続けながら飽きさせないのは凄い。
ただ、アカデミーを意識しすぎた感は否めない。
凄まじいまでの女の執念・・・
マヤの活躍には感服したけど、彼女自身は達成感より虚しさの方が胸に去来したんじゃないかな? ビンラディンが指示したことは、確かに異常で許されるべきことではない。でも、拷問もそうだけど、あの解決法が正しかったのかと問われれば、私は”No!”と言わざるを得ない。収監して、裁判にかけるとしたら、またテロが頻発するかもしれないし、奪還に燃えて、攻撃が激しくなるかもしれない。だから、あの方法しかなかったんだと言われれば、否定はできない。マヤが理詰めで協力者をあぶりだしていく過程は、興味深かった。周囲の理解を得ようとするよりも、まず己の論理を信じて行動したマヤはすごい。誰にでも真似できることではない。そのことに深く心を打たれた。
良く出来上がっていた。
ジェシカ・チャスティンの演技が上手く、素晴らしかった。
最後の最後の涙のシーンは、ちょっと感動した。
キャサリン・ビグロー監督のリサーチ力、演出力はさすがだった。
ウサマ・ビンラディンを暗殺するまでの、証言がすごくしっかりしていて、リアリティ感抜群で面白かった。
指揮をとっていたのが、男性でわなく女性だったことに驚いた。
またキャサリン・ビグロー監督には、リアリティのある映画を撮り続けてほしいと思った。
アメリカの正義なんて何処にも無い
実際にあったビンラディン暗殺計画を描いた衝撃作。
監督は「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグロー。
骨太でスリリングな演出は健在。
「ハート・ロッカー」はオスカーを受賞した秀作だが、実は、個人的にあまり好きではない。
勿論、ビグローの演出、緊迫感溢れる展開などは圧倒されるが、そのヒリヒリするほどのリアリティが見る者を寄せ付けず、結局最後まで乗れなかった。
なので、本作も見る前は抵抗あったのだが…
非常に見応えあった。
扱った題材や拷問シーンが問題視されるなど確かにハードな内容だが、「ハート・ロッカー」よりエンタメ性を感じた。
CIAが標的を追う展開はスパイ映画のようでグイグイ引き込まれ、知られざる史実は興味深い。
加えて、映画のクオリティの高さは保証付き。
そして、作品の源と言っても過言ではないのが、主演のジェシカ・チャスティン。
この存在感、パワフルな演技は、これぞ主演女優。正直、本作を気に入った要因かもしれない。
冒頭、拷問にも目をそらしていたマヤが、やがて狂気にも似た執念に取り憑かれていく様は恐ろしくもある。重た過ぎる任務は、それこそ麻薬そのものだ。
彼女のラストカットは印象に残る。
あの涙は何の涙か。
全てが終わり、任務という麻薬から解放された彼女の今後は…?
非道なテロを起こした首謀者を捕まえる。
テロには屈しないアメリカの正義のようでもあるが、拷問、精神がボロボロになるまでの執念、正義という名の報復など、理想である正義は何処にも無い。
これは、アメリカの闇である。
リアリティと緊迫感がたまらない!
内容が難しかったらどうしよう、、と思いつつ見に行ってみたが、わかりやすく、また、実際に知っているあの事件が基となっているということから、すごくイメージしやすかった。ゆっくりだが、着実にビンラディンを追い詰めていく様は非常にリアリティがあった。そして最後の銃撃戦は、ものすごい緊迫感で映画館で見る価値があると感じた。長さは長いが、その価値はあるかと思う。
アメリカの人には、刺さる内容かな?
2月23日、TOHOシネマ錦糸町で鑑賞。
それなりに期待して見たが、それに反して、基本的に「アメリカ万歳、イスラムは悪」のメッセージがある、と感じる。
「アルゴ」が米帝に対峙するイスラムを滑稽に描いて成功しているのに対して、本作は徹底して戦う姿を描く。
米国にめちゃくちゃにされたという点では、日本も被害者である。
その意識がある人間には、世界の正義の保安官面をしたような作品は受け入れない。
オスカーで主要賞を与えなかった(音響編集賞を「007 スカイフォール」と共同受賞)、米アカデミー委員の「見識」に賛同。
緊迫感があってよかった
正直ちょっとドキュメンタリー的なのかな?と思ったけれど、
常に緊張感が漂い、退屈しなかった。
主演女優が確かにとてもよかった。
ただ、拷問シーンなどがあり、まわりで中年女性が帰っていった。
米の一部の勢力による、ある種のプロパガンダ。
9.11の首謀者といわれるオサマ・ビン・ラディン。彼を追い詰め、殺害に至るまでを、事実を下に描いた作品。微に入り細に入り描かれているので、機密の漏洩を疑われ大問題になったといわれる作品。
私は陰謀論者じゃ無いですが、この手の作品って、ある意味世論誘導的な意味合いあると思うんですよね。もっともこの作品の場合は、あまり露骨な誘導を感じることは無かったので、そういう意味では、世論誘導の意図は低かったということなのかもしれませんね。
淡々とと言うか、時々刻々とと言うか、物語は進んでいくので、映画としては単調な印象を受けるかもしれません。時間も、150分超えと長いですしね。リアルに徹したためか、日本人には理解し難い内容かもしれません。
演出に欠けている?
実話に忠実なのかどうか知りませんが、思ったより盛り上がりませんでした。
主人公に対する感情移入も殆ど出来ません。
オサマビンラディンは国家にとっての極悪人かも知れませんが、裁判にもかけずに周りの人間も巻き込んで殺してしまったのは、考えさせられます。
ビン・ラディン殺害までの緊迫の10年間
昨今の世界で起きた事件の中でも、最大の驚きを持って迎えられたのが「ビン・ラディン殺害」であろう。元々ビン・ラディンの捜索に四苦八苦するCIAを描くつもりだったらしいが、この一報を聞いて急遽脚本を変えたらしい。正直そのニュースを聞いたときは「どうなることやら」と思っていたが、それは私の完全な思い違いであった。
まず映画は9.11のときに様々な人の間で交わされた電話のコラージュからスタートする。画面は真っ暗のまま、人々の恐怖を音声のみで描き切っている。このシーンに代表されるように、「ゼロ・ダーク・サーティ」は全編を通して音響効果が素晴らしい出来映えだ。爆破のシーンも、電話の盗聴も、終盤の作戦決行時も「音」が映画の持つ異常なまでの緊迫感を生んでいる。
CIAによる捕虜の拷問シーンも前半では盛りだくさんだ。容赦ない水責めに合わせたり、陰部を露出させたまま首輪をつけて狭い箱の中に閉じ込める。オバマがあれほど捕虜への拷問を禁止すると言っていたのもうなずける、凄まじい描写だ。
ビン・ラディン殺害に成功したCIAを、ただ賛美するだけに終わらないゆえんはここにある。このシーンだけでなく、CIAに批判が飛んで拷問を取りやめた後半でも、「拷問」がいかに有効な手段かを暗示する台詞が登場する。極悪非道のテロリストを洗いざらい見つけ出すために、極悪非道な手段をとるのだ。いかに「大義」というものが不安定なのかを指し示している。
こういったシーンの冷酷さが際立つのは、"The Killer"と呼ばれるマヤを演じたジェシカ・チャンスティンによるところが大きい。今まで彼女が出演した映画をいくつか見たが、毎回まったく異なる役柄に完璧になり切る。今回も例外ではない。捕まえたアルカイダの幹部を尋問する時でも欲しい情報を吐かなければ、傍にいる男性の軍人に殴るよう促す。人間がする行動とは思えないことを繰り返し、精神が疲弊していく様は時折描かれるが、それでも申し訳程度だ。ひたすら全面に押し出されるのは、ビン・ラディン捜索のためなら何をすることも厭わないマヤの冷酷さと異常な執着心だ。
キャスリン・ビグローは「ハート・ロッカー」でもそうだったが、戦時下などの異常な状況における「麻痺した」人間を描くのがとても上手い。拷問を加えた後は優雅にコーヒーをすすっている。こういった場面が今回ではより強調されているが、それに伴い「ハート・ロッカー」のときよりも、個々の人間の内部の描写に欠けているとも感じた。
というのも、主人公のマヤには最後まで感情移入できない。いくら9.11の主犯であるからとはいえ、彼女のビン・ラディンへの執着心は異常としか言いようが無い。なにしろ上司にすら「気でも狂ったか」と言われる始末なのだ。劇中の人物が理解できないことを観客が理解できるはずが無い。憎悪にも似たその感情をもう少し丁寧に描けば、ラストシーンもより深みが増したのではないだろうか。
その他の人物も同様だ。すべての人物が「ネプチューン・スピア作戦」実行までの駒に過ぎず、それまでに感じる葛藤などは「ほぼ」見えてこない。「ほぼ」というのは、作戦決行時に一兵士が困惑した表情を見せるシーンがあるからだ。だがそんな彼もコードネームで呼ばれる特殊部隊の1人でしかなく、あまりにも大きな事件の影に埋もれてしまっている。
さらに「ビン・ラディン殺害」に対する監督なりの考えも一切見えてこない。いや、オリバー・ストーンのように自分の考えをゴリゴリ押し付けてくるのもどうかと思うが、「ゼロ・ダーク・サーティ」は一定の筋道ですら見せない。
そもそもキャスリン・ビグローは社会派映画監督ではない。彼女は一流のアクション映画監督だ。自分の得意分野を理解しているからこそ、テロリズムにおけるイデオロギーを映画に込めるのではなく、作戦決行までの張り裂けそうな緊迫感を描く方を選んだのだ。
だがこんなにタイムリーな題材を用いているのだから、何か「一つの答え」を提示することはできなかったのか。「ゼロ・ダーク・サーティ」が映画史に残ることは間違いないのだから、もう少し大胆なアプローチもを取っても良かったのではないだろうか。
しかし先ほども言及した通り、キャスリン・ビグローは最高のアクション・サスペンス監督だ。テロリストによる自爆テロの場面はあまりのことに見ているこちらも息を呑む。会議室のシーンでさえも、(ビン・ラディンの潜伏先を発見してからは、あまりにもじれったいが)捜索に必死になるCIAたちの対決が見られる。ほとんど戦闘シーンは無いが、2時間半の上映時間で飽きがくることはまったくない。
そして何と言っても、終盤の作戦決行のシーン。彼女の手腕が遺憾なく発揮された、手に汗握ること間違いなしの名場面だ。通常のカメラと緑色の暗視カメラに切り替えることで、闇夜に浮かぶ特殊部隊の不気味な姿が一層不安感を煽る。銃撃が開始されても、むやみやたらに撃つことは無い。標的を確実に、かつ静かに仕留め、倒れたその体にも銃弾を撃ち込む。冷静さと残酷さを兼ね備えた、リアリティあふれる場面だ。
おそらくアルカイダに関連した映画はこれからも製作されることだろう。しかし、事件後わずか1年半後に公開された点、それでも最高のクオリティを保っている点でこの映画は歴史に名を刻むだろう。必見の作品である。
(13年3月12日鑑賞)
「ていうかそういえばいつイラク戦争終わったっけ?」
戦争が終わると映画が作られる。
「ていうかそういえばいつイラク戦争終わったっけ?」っていう人達に向けてのメッセージ映画っぽい。
見終われば、確かに戦争終わったんだっていう感想を抱かせる。
こんな悲惨さは終わったんだ!だから新しい所へ歩んでいけるんだ我々は!
という思想に満ちてる=プロパガンダ映画に近いのかなー、と。
主人公をアメリカと重ね合わせて、主人公の真っ白な未来=アメリカのこれからみたいな隠喩で終演。
この主人公の趣味や過去が全く描写されない『職場以外に存在しない』かのような独特の主人公像は、見る人(アメリカ人)の意識の投影であるからです。『主人公をあえて描写しない』手法をとり、自己投影をさせようとする方法は『グリーンゾーン』にもありました。
次回作は今回の戦争で親を殺された人達が育って復讐戦争後かもね、期待しましょう^^
メッセージが押し付けがましいように感じるけどそれは当該事件を遠巻きに見ていた外人だからか、
当事者のアメリカ人だったら思う所あるかもしれないし、
バシバシ心を打つかも知れない。
だけど僕、アメリカ人じゃないし特に心に響かなかったです。
拷問が嫌いじゃなければ見るといいです。
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