「オタクに媚びすぎでは?」劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語 hormone29さんの映画レビュー(感想・評価)
オタクに媚びすぎでは?
前編・後編はアニメの総集編だったという情報から前の2作品を観ずに鑑賞。すると自分の知っているまどマギの続きとは違うことの連続で最初は「えっ前の2作品総集編じゃないの?パラレルワールド的な?」と少し戸惑いを覚えた。物語は進んでいき,自分の感じていた違和感は正常なものであることがわかる。じゃあこの現実と齟齬のある世界を作り出したのはだれか?ということをほむらが主人公となり明らかにしていく。
実はこの世界を創り出したのはキュウベェ含むインキュベーターであり暁美ほむら自身であった。暁美ほむらの濁りきったソウルジェムをこれ以上濁らせないように結界をはるインキュベーター達。暁美ほむらの抱える心の闇は増幅され,結界内で魔女になるに十分な良に達したとき暁美ほむらは魔女になるが結界内で守られているのでまどかの願い(円環の理)に導かれることもなく魔女のまま存在することになる。ではなぜそんなめんどくさい結界をインキュベーター達は創ったのか。それはほむらが魔女化することで魔女の魔法によりまどかが創り出され,概念化したまどかを操作するためであった。ほむらが結界を壊さずにこのまままどかのいる世界で魔女として生きることを選択すると踏んだキュウベェ。しかしほむらと魔法少女たちはこの魔女によって創られた結界を破壊することを選択する。
結界をこわしたほむらは円環の理によってまどかが迎えに来る。しかし,ほむらは円環の理に導かれることを拒み,逆にまどかの記憶部分だけを現実世界に引きづりおろす。愛の力で。それにより円環の理は完全なものではなくなった
叛逆の物語とは暁美ほむらが神である鹿目まどかに対する叛逆する物語であり,神に刃向う存在となったほむらは自身のことを悪魔と評する。
愛の力で魔女の上位,悪魔となったほむらは鹿目まどかを含む魔法少女たちと敵対することになるかもしれないがまどかがいるならそれでいい。だって愛だもん。とヤンデレ化する。
魔法少女まどか☆マギカは新しい物語を作りにくい物語であると思う。なぜならアニメの中で物語は一度完結するし,そもそもまどマギがなぜここまで評価が高い作品になったのかというと,うめてんてーのかわいいキャラデザであるアニメが「えっこんなに重い話なの?」「こんなにかわいいキュウベェ,ドクズやんけ!」という所に視聴者は驚き,興奮し,また絶望しかない展開を最後秀逸に回収するという所が評価の高いポイントだと思う。そのアニメの続編ということは魔法少女がどういう存在で,キュウベェがどういう存在かを視聴者が知っているにも関わらず,まどマギである以上さらに驚かせないといけない。これだけの前提条件があるということを加味すればストーリーはよく練られたものなのかもしれない。
しかし新しいキャラ・ナギサの存在意義がほとんど感じらなかったり,齟齬のある世界のナイトメア(魔獣)を全体で攻撃する所がなぜあの形にしたのかもよくわからない。それら含めて「なぁ。まどマギかわいいやろぉ?新キャラもかわいいやろぉ?」とオタクに媚びている感じを受け,不快だった。(実際に評価が高い人の話を聞くとそこの評価が高かったりするわけだが)
そのため,ほむらが愛の力で悪魔化するという話の根幹も,「お前らどうせ百合とか好きやろ?望みかなえたるでぇ」という風に意図しているように感じてしまう。そういうのは二次創作で結構です!
細かな部分にも工夫があり,一度観ただけでは気づききれない箇所があるようだが,それはDVDでいいや。