「ドイツ人とユダヤ人が固い絆で結ばれていたというあり得ない設定を成立させて戦争の不条理が浮かび上がる」命をつなぐバイオリン 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
ドイツ人とユダヤ人が固い絆で結ばれていたというあり得ない設定を成立させて戦争の不条理が浮かび上がる
今日浅草公会堂で上映会がありまして、『命をつなぐバイオリン』というドイツ映画を見てきました。主人公はユダヤ系のソ連人の少年アブラーシャ。アブラーシャは天才的なバイオリン奏者。その名声はスターリンにも伝わり彼の面前で演奏するばかりか、冷戦下のアメリカからカーネギーホールでの演奏の打診があるなど、かなりの弾き手だったのです。まぁ、アブラーシャの演奏が凄いのは、自分たちの党の社会主義体制が素晴らしいからだと宣伝の道具にしてしまおうとするところはいかにもソ連らしいとは思えました。
そんなアブラーシャの運命が変わっていくのは、突然ナチスドイツが不可侵条約を破って、アブラーシャたちが暮らすウクライナにも侵攻してきてから。
街を占領したナチスドイツは、早速ユダヤ人狩りを始めます。アブラーシャの一家は、いつもバイオリンの練習を一緒にしていたドイツ人の少女ハンナの一家の協力で、一端は逃亡に成功するものの、すぐ見つかってしまい、ガス室へ送られてしまいます。
唯一、演奏の才能を見込まれた少年だけは、戦地に巡回してきたナチス総統の御前演奏に抜擢されて延命します。けれども、演奏で1箇所でも間違えば、ガス室行きという非常な条件がついていたのです。まさに『命をかけたバイオリン』でした。
ナチスからの逃亡シーンやラストの演奏シーンで、凄く緊迫感を盛り上げる演出が秀逸でドキドキ、ハラハラさせられました。
特に、少年のピアノ伴奏を担当した、同じユダヤ人でアブラーシャとともに神童と騒がれたラリッサが、プレッシャーと恐怖で途中で演奏できなくところでは、ドキッ!としました。これでアブラーシャの命も風前の灯火かと思うと、余計に緊迫感を煽られました。
この作品を、ユダヤ人迫害ものとして括ることは簡単でしょう。けれども、本作のユニークな視点は、単にドイツ人vsユダヤ人をステレオタイプで描くのでなく、ドイツ人とユダヤ人が固い絆で結ばれていたというあり得ない設定を成立させているところが面白いと思います。しかも開戦を通じてドイツ人とユダヤ人の立場が逆転してしまうという対比が、より鮮明に戦争の非条理を浮かび上がらせたのでした。
当初ドイツ軍が近づく中で、地元でドイツビールの醸造所を経営していたハンナの一家は、ソビエトの秘密警察に命を狙われて、アブラーシャの一家が匿います。ところが、ドイツ軍が占領してからは、今度はハンナの一家が、アブラーシャの一家とラリッサを匿うのです。戦争をきっかけに、無二の親友同士だったドイツ人一家とユダヤ人一家が、敵味方に引き裂かれてしまうのは見ていてもやるせなかったです。一家を逃がす醸造所のドイツ人スタッフに、「教条的なナチスもボンシェビキ(ソ連共産党)も嫌いだ、俺はとっちにも抵抗することを決めたんだ」と言わしめる台詞に、監督がいいたかった主張が込められていると思います。
また音楽を通じて出会ったアブラーシャとラリッサとハンナの三人の神童たちが、練習以外にも、湖のほとりで無邪気に語り合い、絆を固く深めていくところも感動的。三人の絆が強い分、その絆を奪われていく後半が、より深く悲しみに包まれていくのでした。
そして、その余韻が深いため、ラストで一人生き延びてしまい老人となってしまったハンナが、アブラーシャやラリッサを回想して悲しむ気持ちにも共感できました。そこで起こる奇跡には、きっと感動されることでしょう。
ところでクラッシック愛好家の人なら、アブラーシャの演奏が凄いというところに注目されるでしょう。アブラーシャ役は、エリン・コレフという12歳の時にカーネギーホールでデビューした天才児が演じていたのでした。まさにエリン・コレフは、アブラーシャそのものといっていいでしょう。
それに加えて、オーディオCD並みの高音質と的確な録音テクニックを駆使していますので、コンサートシーンでは臨場感たっぷりにエリン・コレフの演奏を楽しむことができました。ハンガリー狂想曲などで見せるエリン・コレフの指使いの早さは、人間業とは思えないほどの超絶テクニックをスクリーンで堪能することができたのです。