「映像作品が持つ無限の可能性」塀の中のジュリアス・シーザー レントさんの映画レビュー(感想・評価)
映像作品が持つ無限の可能性
本作で描かれていることはどこまでが虚構なのか、あるいはすべてはありのままの現実なのか。虚構と現実の境界線があいまいになるまさに映像作品の可能性を広げた作品。
刑務所内で演劇を通した厚生プログラムの下、囚人たちがジュリアスシーザーの戯曲を演じる。囚人たちは本物の囚人で彼らが演ずるのは当然役として演じてるわけだが、演技を練習している段階で彼らの心の内が吐露される場面が何度か描かれる。これはありのままの彼らの姿を映し出したものなのか、それともこれも彼らの演技によるものなのか。それが演技かどうかの境界がわからないまま映画は進んでいく。
すべては演技をしているだけなのか、それとも演じながら彼らの本音が漏れだしてる映像が記録されているのだろうか。
解説する資料なしでは判別がつかないよう意図的にそのように映画は作られている。自分が今見せられているのは果たして虚構なのか、ありのままの現実なのか。虚構と現実の境界線がわからないよう作られていてとても興味深い。
これこそが本作の一番の醍醐味なのだろう。観客はどこまでが虚構でどこまでが現実かもわからないままにその目の前で繰り広げられる映像にくぎ付けとなる。これこそが映画に求められているものではないだろうか。本作は映画の持つ能力の可能性を再認識させてくれる作品である
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