くちづけのレビュー・感想・評価
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貫地谷しほりさんが圧巻!
哀しすぎる愛
つらい
こうゆう結末しかなかったのだろうか。
私の叔父も知的障害がありますし、他人事ではないんだけどもやはり綺麗に描かれていて本当はもっと見せられないような部分もありますよ。
だけど、社会に訴えて、人の心に訴えかけている映画ですごく引き込まれました。
自分の心を改めなければいけないとたくさん感じました。
だけど、あの結末はあまりにも悲しすぎる。
そして地上波で見たからか、きっとカットされまくったのかなぁーと感じました。
発作のシーンは圧巻でした。貫地谷さん顔大好きだったけど、えんぎもこんなに上手だったなんてびっくり!
だけど、ミヤネさんの冒頭のニュースシーンは不要。なぜあそこで笑いを取りに行くのか。そこだけはどーしても納得いかない。
愛情いっぱい
堤幸彦監督で貫地谷しほり主演で知的障害の娘と父の話というのは分かってたけど、何となくスルーしていたこの作品。
機会があって見てみたら、今までスルーしていた事をメチャメチャ後悔するほど良かった!!
意味深な導入部。
知的障害者たちが共同で暮らすグループホーム“ひまわり荘”で、マコという女の子との結婚を待ち望む知的障害者のうーやん。
その直後のニュースで、マコが死亡したという…。
知的障害の娘マコを持つ漫画家の父・愛情いっぽんがひまわり荘を訪ねてくる所から始まる。
折しもひまわり荘は、うーやんの妹が結婚する事になって、てんやわんやの大騒ぎ。
挙げ句の果てにいっぽんがその婚約者に間違われ…。
元は舞台劇。
まるで舞台を見ているような演者たちの軽快なやり取りが楽しい。
住み込みで働く事になったいっぽん。
マコはすぐここの生活に馴染み、うーやんとも仲良くなる。
皆で助け合って、触れ合って、笑い合って、毎日楽しく。
知的障害の娘を抱え、新作漫画も書けないほど苦労してきたいっぽんにとって、ここでの生活は娘共々幸せの時だった…。
知的障害者への偏見。
お金の問題。
ホームレスになるか、冤罪で犯罪者になるか…行き場を失った知的障害者の顛末。
幾つもの厳しい現実。
ある秘密を抱えるいっぽんに、それらが重くのしかかり、苦しめる。
一人また一人、ひまわり荘を去っていく。灯火が消えていくように…。
ある理由から、娘を施設へ入れるいっぽん。
施設での生活に馴染めず、度々脱走するマコ。
もう行き場も帰る場所も無く、たった二人の父と娘。
これから娘は一人で生きていかなくてはならない。が、降りかかる現実問題…。
娘を想い、娘の為に、父は…。
実際にあった“小さな”事件が元ネタ。
貫地谷しほりが難役を見事に演じきっている。
愛らしく、また泣き叫ぶ発作は悲痛になるほど迫真。
この年の国内映画賞で、「さよなら渓谷」の真木よう子が主演女優賞をほぼ独占、ブルーリボン賞のみ貫地谷しほりを選出して意外な感じもしたが、確かに賞の一つをあげたくなる。
竹中直人もいつもの笑いを封印。ちょっとオーバー気味ではあるが、その分父親の愛情深さを体現。
平田満、麻生祐未、橋本愛、田畑智子、嶋田久作ら実力派が好演。
本作の立役者でうーやん役の宅間孝行も熱演しているが、ちょっと温度が違う…。
知的障害者を抱える厳しさ。
あの選択しかなかったのか。
きっと、誰か手を差し伸べてくれる人は居た筈。
でもそれは、誰にも迷惑をかけさせたくないという思いから。
それが分かっているから、あの末路には胸が締め付けられる。
が、父の事が大好きで、娘の事を何よりも愛していた父娘愛の姿は誰も忘れたりしない。
遺した新作漫画、スライド写真から溢れる。
心が苦しい
お涙頂戴だけではいけない。
舞台から作られた映画と言うだけあって、舞台を意識した作りになっています。私は舞台にあまり馴染みがないので新鮮でした。
途中、多少説明的になります。はっきりとしたテーマを掲げられ問題提起されるので、教材のように感じる部分があります。
物凄く明快に訴えかけてきます。
ところで、私は「泣ける」と言う触れ込みが好きではありません。
殊現実的で深刻な事柄に関しては、美談のように脚色した作品を、私達観客は無責任に涙して、「ああ、よく泣いた。」等と当事者の心情に想いを馳せることなく、見世物として楽しむだけではいけないのです。
障害者や病気は、「お涙頂戴」のエンターテイメントではない。
「泣け、笑え、そして、考えろ。」
ここまで言ってもらいたい。
誰が誰を裁けるか。
路頭に迷うかも知れない障害者の娘を、自ら手に掛けた愛ある殺人を、誰が裁けるのでしょう。
施設に預けたまま、面会に来ない、子を捨てたも同然の親と、どちらが罪なのでしょう。
かと言って、それさえも、責める権利を誰が持つのでしょう。
私には障害者の身内はいません。
その苦しみも悲しみも悔しさも喜びも理解することはできません。
障害者の親御さんがおっしゃるのを、よく耳にします。
「障害があるからと言って不幸ではない。」
「障害があることで、幸せに気付けた。」
このようなことを言えるようになるまでに、どれほどの涙を流したのでしょう。どれほど眠れない夜を過ごしたのでしょう。
このような結論にたどり着く方は、強いのです。強くならなければいけなかったのだと思います。
答えを見いだせず、我が子を愛せずに、「なぜうちの子が。」と嘆き続ける親御さんも多いことでしょう。
私に障害者の身内はいませんが、親や兄弟はいます。
将来、親が認知症になって介護を必要とする可能性があります。付きっきりでいなければならなくなる可能性があります。兄弟が事故で障害を持つ可能性があります。
誰もが、いっぽんと同じ道を辿る可能性を持っています。
そして必ず、ひまわり荘のような場所を必要とします。
仕事や、支援や、仲間や、理解者や、穏やかな生活や、守ってくれる場所を必要とします。
ひまわり荘は理想郷です。
でも、社会は、そうではないのです。
殆どの人が、知的障害者と接する機会がありません。偏見や誤解があるのも確かです。そして、悲しいことに、知的障害者による事件や知的障害者が巻き込まれる犯罪が多いのも、また事実なのです。
私自身、滅多に接することのないような重度の知的障害者に対して、上手に接する手段を知りません。
正直に申し上げますと、怖いとさえ思うこともあります。飲食店や交通機関の中で、大人の男の人が急に大声をあげたり、手足をばたつかせたりすることは、やはり付き添いの方がいらっしゃらなければ、周囲に不安を与えます。
何をしたら怒るのか、何を言えば傷つくのか、何を気をつければいいのか、何をしたら嬉しいのか、彼らの自分との「違い」を「個性」と捉えられるほど、慣れていないのです。未知であるが故に、人は「戸惑い」と「恐怖」を抱くのです。
この作品は、私を含め知的障害者と接する機会の少ない人に、彼等の様子をコミカルに描き、
「彼等との暮らしは大変だけれど、こどものようにピュアだから、笑えることがたくさんあるよ。」
と教えてくれるものでした。
そして、その反面、逃げ場の無い追い詰められた現実をも突きつけて来ました。
「泣けた」「悲しい話だった」で終わらせられない。
「もしも身近に」
「もしも自分が」
知的障害に限ったことではなく、
もしもハンディを背負ったら。ハンディを背負った人と出会ったら。
社会で生きていく上で。
社会のシステム。経済的な問題。
そして、家族であると言うことは。
本来なら、新聞の片隅で、殆ど誰の目にも留まることなく忘れ去られていく、辛く悲しい出来事。
舞台として、映画として、たくさんの人の目に触れる「形」になったからには、
「泣いた」だけでなく、「知った」と捉えなければいけないのだと思います。
知らなくても生きていける、知らない方が楽かもしれない、
けれど、知らなければいけないことを、この物語は知らせてくれます。
このような責任ある題材を映画として世に出したと言うことに、私は凄まじい気概のようなものを感じました。
現実に起こり得る結末
殺さなくても…他に手はあったはず…と思ったりしたけど、最終シーンの「もっと踏ん張れたんじゃねえか」というセリフで、他に手はあったけれど、その上でこの結果があるんだと気付いた。
一人きりじゃ生きていけない娘をもって、他に頼れる人もいず(本当に居なかったわけではないけれど)、トラウマもあるし、その上自分がもうすぐに死ぬという現実を突然突きつけられる。
その極限状態で、このような結論に至ることは不思議なことではないと思う。
娘を殺したのは身勝手なのか…
でも…
マコが生きていた場合、ひまわり荘の先生方に頼ってなんとか人生を全うできたのか…うーやんと結婚したら、完全に自立できるわけではないし結局うーやんの妹さんの負担がふえるのではないか…
障害者の人生を知らない私が考えてもわからないけど、考えさせられることは沢山ある。
手で絞殺されたのに事故、自殺の疑いってどんな状況?あとはミヤネさんのシーンいらない笑
俳優陣の熱演に胸を打たれる。
どうなのかなーー殺すってーーー
全編を通して、父目線でまこを想う父、愛情いっぽんさんに感情移入していけます。でも・・・実の子を殺してしまっていいのでしょうか? そこがハテナ・・・で・・・なんか悲しかった。結局、容疑者になってしまう父。 でも、自身も肝臓がんで亡くなる。心中といってもいいような結末。これは考え深い作品です。
ひまわり荘の日々は実にあったかく描かれてます。まこの暗い過去もひまわり荘で出会う人々によって、まこも楽しく生活できているところが、好感もてました。宅間孝行さん演じる うーやんがとっても良くって、まことうーやんが本当に印象的です。橋本愛さん演じるはるかちゃんもひまわり荘でしっかり存在力を示していて、知的障害者をサポートしていました。竹中直人さん演じる愛情いっぽんさんwww。とってもとってもいいお父さんなんです。まこを想い、まこに捧げてきた彼の人生、涙が溢れました。最後は、まさか主演の2人(まことおとうさん)が死んでしまっていない・・という、斬新な終わり方。そこを2人の過去の写真で振り返るというこの演出に最後まで涙が止まらなかった。まこがもし生きていたら、また違ったエンディングになっただろうに・・・ちょっとそっちも期待していたんですが・・最初から死んだという導入だったので、まさかお父さんが殺したなんて・・・そこは最後に驚かせられました。
死んで花実が咲くものか
いくら愛していても、殺しちゃならない。
美化したところで嫌なもの見ちゃった感が消えない。
なんというか、心中物なら最初から教えてほしかった。
文楽の心中物みたいな追いつめられまではきちんと描いてなくて、安易に死んだ感が満載。
これじゃ納得できない。
確かに障害者を巡っていろんな問題はあるし、知っている者なら事情は察することができる。
でも、一般の人が見るのにこういうのはすごく後味悪い。イメージが下がるだけ。
後半は星が一つの価値もない。
あ、俳優陣はかなりよかったです。
実際にああいう揉め事、たくさん起こります。
途中までは凄く凄くよかったのに。
玩具じゃないのよ
ずっと見たかったくちづけ、観ました。
う~ん、期待したほどじゃなかったなぁ。
どうしても納得できない点が多すぎる。「障害者だから」他の家のご飯を勝手に食べても謝れば許される、とか。違うでしょ?って思ってしまう。
特に結末がどうにも納得がいかない。まこほど意識がしっかりしていれば、きちんと結婚したい相手がいるならば、殺す必要なんてどこにもなかったじゃないか。全ていっぽんの我が儘でひとつの命を奪ってしまった、という印象。
基本的に子供より先に親が死ぬ。これは健常者も障害者も変わらない。親は自分が死んだあと、子供が生きて行けるようにすることが「子育て」の一番の目的でしょう?かわいそうでも甘やかすだけじゃなくてしっかり躾なければ、最終的に不幸になるのは子供なのだ。
と、ここまで書きましたが、周囲に障害を持った方がいないから、子供を持ったことがないからこその意見なのかもしれません。いつか数年後、自分が結婚して子供を産んだらあらためて観てみたい作品です。きっと印象も変わることでしょう。
もやもや
結末が予測できるだけに、日常パートが明るくあってもひたすら悲しい。役者の演技は泣かせるもので、話は考えさせるところがある。痴漢や暴行の問題が、適当に流されてしまったが、ここで更に深掘りされていたら更に重くなってしまっただろう。どうしても聖者の行進に被るところがある。
伝えたいメッセージはわかる
後味はそれぞれ、重い内容も軽い切り口
問題提起をしてはいるが、
舞台風で、ある建物内だけで話が進行していく。
テーマは良くて、直接のストーリーである、介護する家族の病気とか、障碍者の家族の結婚とか、という話以外にも、
障碍者への手当てが搾取される問題とか、家庭内でいじめられる話とか、冤罪にはめられがちとか、そういうのまで含めるといろんな話題を盛り込んで触れている…
はずなんだが、どうも話は短絡に終わってしまって、あまり共感できるところがなかったのだよ。
期待しているような感動も、やるせなさも、どうも湧いて来ずじまい。
演じている障碍者が、いかにも演じている風な障碍者だし、暗くなりすぎないよういろんなところにコミカル感を詰め込もうとしたために、
自分にとってはリアリティに欠けすぎてしまったのかもしれない。
しかし、これを見ることをきっかけに考えさせられることはたくさんあって、
犯罪者にならないために障碍者の娘を手に書けるなんて、健常者は下手な知的障碍者より頭が悪い。とか、
障碍者は障碍者を信用するが、健常者は健常者を信用しないのか。とか、
本当は健常者と呼ばれている人が、自分以外の人を助けることができないのなら、人と言う生き物は欠陥なんじゃないか。とか、
いろいろ思うところは出てくるはず。
明日は今日よりも少しでもみんなで幸せになれるといいよね。
誰も悪くないけど。
共依存せず自立させる。
人気劇団の戯曲を映画化した作品。
ということで、舞台はグループホーム内の場面のみで、
カメラはずっとその視点からそれぞれを捉えていく。
これは実際に起こった事件で、新聞の三面記事から
原作・脚本の宅間孝行が拾って書きあげた物らしい。
監督の堤幸彦はその舞台作品を巧く映画化したと思う。
主演の二人(竹中・貫地谷)をはじめ、難しい役柄を
俳優陣は時に面白可笑しく、時に悲しく、残酷な面まで
よく演じ分けていたと思う。今作が好きか嫌いかの是非
を問うのとは別に、ほとんどが泣けてしまう仕上がりだ。
観始めてすぐに思ったのは(おそらく映画好きは比べる)
J・リーが父親を演じた「海洋天堂」なのだが、
今作との違いはラストでの選択になる。父子ふたりの
限りなく切ない闘い(生きるための)は他国でも同じだった。
親は子を想い、子の未来を想い、大切に育てていく。
だけどそんな自分の余命がわずかだと知った時に、
果たしてこの子の面倒を誰に頼んでいいものだろうかと、
確かに親ならば考えてしまうのは当たり前だ。
しかし障害を抱えた子を産んで育てるからには、
それが絶対的に避けて通れない道であり、病気でなくとも
親が子よりも先に死んでいくのは当たり前の事実でもある。
世間に迷惑をかけるくらいなら、と思い悩んで無理心中を
図ろうとする親を当事者でない私が責めることはできない。
が、これでは共(狂)依存となり、どちらも自立が叶わない。
親は死ぬまでその子に対し自立できるよう精一杯の努力を
重ねるだろうが、もしその子が重度の障害を背負っていたら。
私だったら、とにかくその子の為に財産を作り残す!ことを
頑張り続けるだろうと思う。施設にも片っ端から声をかける。
何があっても無理心中なんて絶対に嫌。私は死んでも子供は
絶対に死なせたくない。惨めな境遇になど置きたくないけど、
(そんなのどこの親だった同じ気持ちだ)
親は自分が生きている間に精一杯のことをやっておくのだ。
その先はその子の運命。その子の未来はその子のもの。
マコが悲しい傷を背負いつつ、明るく生きているのが救いだ。
うーやんを好きになり、儚い幸せを満喫することすら叶った。
ホームのおかみさん(麻生祐未)はとても素晴らしいヒトだった。
ドクター(平田)もその娘(橋本)も本当に素敵なヒトたちである。
そんな人達に迷惑をかけたくない、いっぽんの遺志は分かるが、
マコなら、働きながら何とか暮らせたのではないか?と思う。
知的障害者が於かれた現実に悲観して(実際に驚くことばかり)
悪い方へ悪い方へと考えるいっぽんの姿勢が不幸を助長する。
おかみさんが「ここは自立支援をするところですから、仕事は
ちゃんと行かせるようにしませんとね。」といっぽんに促した
あのアドバイスは本当だと思った。親が子にしてやれることは
障害者であろうが健常者であろうが、「自立させる」ことである。
彼らを巡る様々な事実も非常に勉強になったが、
純粋に生きている彼らと、純粋に面倒をみようと思う人々が
互いに助け合って生きていける世の中にできないものだろうか。
うーやんの妹(田畑)が、一生独り身で彼の世話をすると宣言
したのち、ラストであの展開とは(共依存にはならず)嬉しかった。
大きな声でややオーバーな表現をする役者もいたが、
発作(パニック)を起こした時に手がつけられなくなるのは本当で、
だから周囲の助け(理解)が必要になることはリアルに描けている。
(とにかく貫地谷しほりが巧い。それだけにマコが恋しくなる)
愛車で映画鑑賞好き…
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