「大人の側の都合」メイジーの瞳 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
大人の側の都合
スザンナとピールの夫婦には、メイジーに対する愛情のあり・なしの問題なのではなく、子育てへの関心のあり・なしの問題なのでもなく、その仕事柄(という物理的な状況)から、もともと子育てには、向いていなかったように、評論子には思われてなりませんでした。
つまり、妻(メイジーの母親)としてのスザンナは、歌手としてツアーで家を空けることも多いようで、しかもスポンサーなどの手前「家庭の都合」などで、勝手にツアーのスケジュールを変えたりすることも、もともと難しかったのだろうと思います。
一方の夫(メイジーの父親)・ピールも、美術商として、仕事柄、客先とあらば外国にも出かけて対応しなければならないという立場でしょうから、娘・メイジーと、いつもいつも一つ屋根の下で暮らすということも、叶わないことだったのだろうと思います。
しかし、それらはいずれにしても「大人の側の都合」。
いつの世にも夫婦の「大人の都合」から、影響(被害)をもろに受けてしまう幼い子供はいるものだという思いを禁じ得ないのが、評論子の偽らざる思い―本作を観終わっての、評論子の感想でした。
(むしろ、リンカーンとマーゴとの関係性(…というほどの深い関係性のある二人でもないのですけれども)には、メイジーだけでなく、観ている評論子も、たぶんに癒されました。)
本作の場合、スザンナにしてもピールにしても、決してメイジーに愛情がないわけではないことが、これまた、本作の切ないところだと、評論子は思います。
(スザンナやピールによるネグレクトの話でもしあったとすれば、コトは本当に単純な話でした。)
スザンナにしても、何とかしてメイジーをツアーに連れていけないか腐心しますし(単に不器用だけなのかも知れませんが、いささか自分勝手で、強引なやり方であることは、ひとまず措くとして)、外国の顧客のところに出向くため、空港に向かうタクシーに乗り込んだピールがメイジーを見たときの視線の切なさを、評論子は忘れられません。
本作は、別作品『綴り字のシーズン』がよかったスコット・マクギー監督ほかの手になる一本として鑑賞することにしたものでした。
同作と同様に、本作も、幼少の女の子にスポットを当て、その揺れ動く心情を見事に描いているという点では、本作も、同作に勝るとも劣らない佳作だったと思います。
<映画のことば>
あなたが生まれるまで、こんな愛を知らなかった。
あなたが私に教えてくれたのよ。
子供は3歳までに、親に恩返しを済ませるとも言われるそうですけれども。
子供を授かることの幸せは(時代の昨今や)洋の東西を問わないようです。