劇場公開日 2013年10月26日

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ハンナ・アーレントのレビュー・感想・評価

全46件中、41~46件目を表示

4.5従順な小市民

2013年12月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

「命令に従順な小役人でしかなかった」
アウシュビッツでユダヤ人を大量虐殺したナチスドイツの高官アイヒマンについて、ハンナ・アーレントはこう評した。それに対して平凡な奴に同胞は殺されたというのか。そんなはずはない、悪魔に殺されたのだ。イスラエルの人たちは叫んだ。

その気持ちはわかる。ハンナ自身、一歩間違えればガス棟に入れられたかわからないのだから。でも、アイヒマンは人間性を失っていた、いや、失うようにしていた。人間として考えないようにしていたのだ。
遠くから聴こえてくる、神なる言葉、善なる言葉を聴かないように耳をふさいでいたのだ。他の人ならその言葉を聴くことができたのか?
いや、閉ざされた空間、限られた世界のなかでは、誰も目の前のことだけしか見なくなる。そう、戦争に送られた人は、ただ自分の前にいる敵しか見えない。それを単なる物体として撃ち殺すしかなくなるのだ。

いまの日本の官僚についても同じことが言えるのではないか。
官僚は組織に従順だ。自分の省庁、先輩たちの継続を大切にする。そうすることが自分の出世に直結するとすれば、その世界に逆らうということの方がむずかしいと言えるだろう。
でも、このことは僕たちにも言えることだ。原発はイヤだと思っても、いまは景気のほうが大切だ。特定秘密法案、情報は大事かもしれないが、今日のお金の方がもっと大切だと感じてしまう僕たちがいる。
でも、遠い言葉、善なる言葉はなんといっているか、聴くことも重要なことだ。
秘密法案が最悪なのは、僕らに考える材料を奪ってしまう可能性が高いということなのだ。国家によって個人の考える自由が奪われてしまう。
そんなバカなことと思っていても、いつの日か、戦争に巻き込まれてしまう可能性をもっている。そんな再現があるかもしれないのだ。

ハンナ・アーレントは悪というものをとことん考えた。
悪とは自分自身のなかにある。善も自分自身のなかにいる。それはくりかえしやってくるものなのだ。だから、そんな悪の状況に陥らないように、常に考えなければならないと教えてくれる映画だったと思う

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xtc4241

3.51人の哲学者として悪を捉える

2013年12月9日
iPhoneアプリから投稿

悲しい

知的

高校の社会の授業で習った程度の予備知識だったが、ナチズムを経験した人だと覚えていたので、背景は良くわかった。

ナチス戦犯アイヒマンは、抑留経験のある彼女にとっては憎むべき存在。そのアイヒマン裁判の傍聴をした彼女は、アイヒマンを単に命令に従ったに平凡な人物にすぎないと評価する。また抑留キャンプのユダヤ人指導者たちの中にナチスに協力的な者がいたことが裁判で実証され、そのことを彼女は批判した。これらの傍聴記録は大きな波紋を呼び、彼女はユダヤ人コミュニティを敵に回す。

圧巻は自分の記事について大学で行った彼女のスピーチ。この中で彼女はユダヤ人としてよりも哲学者として、この裁判を理解していきたいという自分の姿勢を明らかにした。同胞を多く虐殺されたという感情に支配されるのではなく自分の哲学者としての姿勢を明らかにしたのだ。

その彼女はアイヒマンを平凡なるが故に指示に従った「凡庸の悪」と表現していたが、その彼女のスピーチを聞いたあとは、ナチスとオウム真理教の事件が重なって見えた。

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Massimo Tonoriano

4.5アイヒマンがいる限りアウシュビッツは終わらない、それはつまり……

2013年12月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

興奮

知的

 アイヒマン裁判を大胆に解釈した知の巨人ではなく、身近な問題における政治の、そして思想的な立場を明確に示すとき、避け難く生じる周囲との軋轢に葛藤する一人の女性、この作品に登場するハンナ・アーレントはそう描かれていた。作中でユダヤ人迫害に関しては述懐のみにとどめられ(もしかしたら予算の関係かもしれませんが)、哲学界のトラウマともいえるハイデガーのナチス礼賛が前知識のある文系へのサービス程度での比重でしか登場しなかったのは、物語の焦点がまさにそこだったからであろう。そしてこの映画はそうであるからこそ、まさしく今、この国で見られるべき作品なのである。

 物語の冒頭では、ハンナの周りにいたのは議論と人間関係は別問題だと割り切れる程に教養の高い人々だった。彼らの関係はハンナの友人の一人である米国人メアリ・マッカーシーが彼らの白熱した独語での議論に戸惑いを覚えながらも、議論の終わりにはまた談笑できるようなものだったのだが、ハンナがアイヒマン裁判を傍聴し雑誌“ニューヨーカー”に論文を掲載した後からそれは崩れてしまう。あまりにも彼らにとってセンシティブだったアイヒマン裁判を、感情抜きに分析したハンナに対しユダヤ人の友人達は「冷酷で傲慢な女」「君の友人アイヒマン」と言い放ち攻撃し始めるのである。政治的な発言をする時、友は離れ場合によっては家庭すらも壊れてしまうことさえある、たとえそれが崇高であり意義のあるものであってもだ。自らが所属していたユダヤ人コミュニティを敵に回してまで発言し続けたハンナには、3・11以前は「飲みの席で政治と宗教(あと野球)の話題は出してはならない」と言われてきたものの、ツイッターなどのSNSを中心としてその禁忌されていたものが積極的に話されるようになってきたこの国の現在を生きる人々にとって強く共感するものがあり、だからこそこの映画が東京ではただ一館、岩波ホールでの上映であるにも関わらず連日の満席を記録しているのではないだろうか。

 もちろん、それ以上に優れた政治哲学者としてのハンナ・アーレントの描写も忘れてはならない。「思考する」という、どうにも映画的には退屈になりがちな行動を、煙草を持ち出すことによってハンナの「思考の運動」を白煙で卓越に表現している監督・マルガレーテ・フォン・トロッタの演出手腕も見事なものである。ラストの8分間の講義はハンナの煙草のスタートダッシュから始まり(普段の講義では、ハンナは時間を決めて途中で吸うようにしていた)、一気にアイヒマン裁判の、アウシュビッツの、そしてホロコーストにおける悪の陳腐さを看破せしめるのである。論敵達が睨みつける中、まるで対向車線で繰り広げられるカーチェイスのように固唾を飲み込ませる程の躍動感に溢れた講義は、観客に思考へと促す熱い爪痕を残さずにはいられない。※

 振り返るにハンナに降りかかったのはひたすらな不幸だったのだろうか。いや、まだ彼女には米国人作家メアリ・マッカーシーとの友情が残されていたはずだ。議論嫌いであるにも関わらず、毅然とハンナの非難者に立ち向かうメアリの存在は、もしその立場故に自分の前から去る人間がいたとしても、真に良き友人は残り得るのだという、この物語の一つにして最大の救いだといえるだろう。

※岩波ホールのパンフを買えばシナリオがついてくるので講義の内容をいつでも再読できますよ。

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13番目の猿

4.0毅然とした態度の裏に

2013年12月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

まず、超満員の劇場にビックリ!しかも年齢層が高い!アーレントの思想に触れてきた人たちなんだろうな〜と思いながら、鑑賞しました。
作品は断トツ今年度ベストの味わい深い作品でした。ヒーロー然とした偉人伝にすることなく、彼女の人間味もきちんと描くことで、より彼女の態度や言葉が毅然としたものに感じることができました。
邦画にもこのような作品が出てこないかな…

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shige12

3.0作品の出来よりも…

2013年11月28日
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鑑賞方法:映画館

知的

岩波ホールが連日の満席!ということで、観てみました。
映画作品としての出来うんぬんよりも、この映画を通して、実際にハンナ・アーレントがアイヒマン裁判の傍聴を通して主張していたことを知ることができたのが良かったです。アイヒマンが人としての善悪の判断を拒絶して組織の意思決定を貫いたことが問題なのだという部分、サラリーマンとして生きる身には考えさせられました。

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しゅんでる

4.0政治哲学者の生涯

2013年11月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

ハンナ・アーレントの生涯を描いた映画である。物語で鍵になるのは、師ハイデッカー、アイヒマン問題そして夫ハインリヒであろう。大学で「思索する」ことを学んだ彼女は人間性を決して失わず常に闘っている様が映像から伝わった。それは旧友との決別を予想できたとしても「本質的に何が問題なのか?」という彼女の探究心が孤独な思索を貫かせたように思う。どんなに彼女が孤立しても味方であり続けるハインリヒや友人のメアリーの心の通い方などの描き方も興味深かった。ともあれ、アーレントというとてつもなく大きな足跡を残した政治的哲学者が映画を通してその人間性を垣間見られたのは大きな収穫であった。

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ジュゴン