体温のレビュー・感想・評価
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本物の顔と體
リアルドールを車椅子に座らせ散歩する男性は、『ラースと、その彼女』(2007年公開、ライアン・ゴズリング主演)の主人公ラースだけではなかった。
今作はリアルドールとの幸せな日常から始まる。このパターンはだいたい悲しい展開になるのだ。
無表情の人形と、表情豊かな倫子の二役を演じた桜木凛(のちに改名して沼田早苗)さんの濡れ場は美しい。
主人公の熱烈な想いが伝わってくる描写も良かった。
本物の女性である倫子を愛したら、人形がニセモノにしか見えなくなる描写も上手い。
相手の體や外見だけではなく、中身つまり思考する脳や生命を維持する内臓など全てをまるごと愛おしく思い始め、そうなると、もうリアルドールに対しては本氣になれなくなる。しかし、人形ならではの良さというものに主人公は取り憑かれている。
人形の顔と體を分離して、顔のない體だけの人形で性欲を満たし、ラストは體のない顔とキスをするというのは、主人公の成長ではなく変化しただけに留まっているという悲しい結末なのだった。
レアすぎる監督の的
あの「終わらない青」の監督の第2回目の作品のようだ。
主人公倫太郎は、一般男性の妄想を肥大化させた人物だろうか?
表現の内容のどこかに男性の隠された思考の扉があるような気がする。
こここそが監督が指摘したかったのだろうと思った。
「おまえらも、こんなことばっかり考えてたことがあっただろう?」
ただし、引き加減で見れば恐ろしく倫太郎が気持ち悪く感じる。一般的には気持ち悪いしがないかもしれない。
物語的には、行き過ぎた性的嗜好の男が、自分にぴったりだと思う女性を見かけ遂にはその女性といい関係になるのだが、女性がダッチワイフの存在を知り気味悪がって消えるというもの。
男は倫子を見たときから、ダッチワイフの顔が倫子にしか見えなくなった。
そんな倫太郎でも、恋が成就するが、彼の性嗜好に女性が一瞬で褪めてしまう。
すべてが倫太郎の視点で描かれている。
最後は結局倫太郎にはダッチワイフしか残っていなかった。
人気のいない場所がダッチワイフとのデート場所だったが、首のないダッチワイフを車いすに乗せ街を歩く。
それは失恋の象徴であり、他人がどう思おうと知ったことじゃないという開き直り。
本当は踏切でダッチワイフを投げ捨てるつもりだったができなかった。なんせ6年物付き合いだ。
それが列車に石を投げる行為と同じ刑事罰になるのを恐れたのかどうかはわからないが、彼の叫びはどうにもできなくなってしまった喘ぎであるのは間違いないだろう。
この、いそうでいない。でもいるであろう人物の性癖ととどのつまりを描いてみたかったのだろう。
何とも形容しにくい作品だった。
ある意味、不気味で不恰好
たまたま見かけて気になって観た作品
何年も前に観た映画だけど作中で
倫太郎が倫子とセックスをするシーン
倫子は体調が悪く出血をしてしまう
倫太郎はその血液を倫子の頬を荒々しく触る
貪り尽くすようなキス、
とってもセクシーだった
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