「カルト集団は信じても救われる事は無い」マーサ、あるいはマーシー・メイ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
カルト集団は信じても救われる事は無い
カルト宗教団体の洗脳に侵されて、ごく普通の常識的な考え方を喪失してしまった人間の恐さと弱さとを見事に浮き彫りに描いたスリラー映画に鳥肌がたった。
この物語は、主人公のマーサがカルト集団と言う特殊なその世界に2年間もの長い間身を置く事で、世間一般の生活から隔離された、彼女はカルト教団の集団生活を強いられる事で出来上がっていく、それ迄に彼女が培ってきた人間的な社会常識の崩壊がどう構築されていくのか、そして物事の尺度がどのようにして、少しずつ壊れてゆくのか、その人間のプロセスを丁寧に描き、その結果として、全く社会的な適応能力を失ってしまった彼女の内面はどのように変化したのかと言う、彼女の心の世界観を描き出す事で、単にマーサのみならず、どのようにして人は洗脳されてゆき、その洗脳がどのように人の心を蝕み、人の心のみならず、その人の人生総てを狂わし、その人の家族の人生までをも、いかに破壊していくのかを、マーサのカルト集団脱走後の彼女の2週間に及ぶ姉夫妻との生活を描く事を通して、マーサの壊れた心の闇を描き尽くしてゆく本作は正にサイコスリラーと言える作品で、ヒッチコックのサイコスリラーよりもよほど、こちらの作品の方がリアルで恐いのだ。
人間ばかりでは無く、どんな生き物であっても、日常の小さな一つの何かの動作を繰り返し行う事で出来上がる、条件反射と言う性質は、何も行動ばかりに、その影響を及ぼす物では無いので、繰り返し行われる異常な行動の押し付けは、やがては、その人の無意識下へと自然と浸透してゆき、傍目には異常と映る行為であっても、繰り返しを通して、人はその異常さに馴れ親しまされる事で、その異常な行動や出来事を異常と捉えられなくなる精神的な病気を誘発してしまう恐さがここにはある。
日本でも昨年はサリン事件で日本を恐怖に包んだカルト集団に属していた為に指名手配になっていた人々が、17年振りに逮捕されたが、このカルト集団に属してしまった人々も、エリート青年達が多数いたので、常識的に考えると、エリート達が何故道を踏み外したのかとよく問題視される事があるが、そこには、洗脳と言う巧で、卑怯極まりないプロセスが出来上がっていたが故に、彼らは取り返しの付かない大きな過ちを犯し、見ず知らずの多くの人々の死を招き、人生を破壊するに至ってしまったのだ。誠に哀しい事件で有る。
この様なカルト集団によるテロや、自爆テロを見聞きすると、遠く自分とは全く無縁の世界と考えがちで有るけれども、本作を観てしまうと、必ずしも他人事では済まされない恐怖がここには存在している。心の弱い人や、寂しさに付け込む恐さが此処には有る。
洗脳体験そのものが、人の日常の繰り返しに組み込まれ、生活が変化させられてゆくプロセスを経る事で、洗脳がやがてその人の人格を形成する事を描いている本作は、同時に誰の人生にでも容易に同様の事態が起こり得る事柄を含んでいる、非常な恐怖を憶える作品だ。これは生き物が繰り返す動作を学習する事で起きる、無意識の領域への負の働きかけの影響を描いている作品だが、是非私達は良い習慣を繰り返す事で、良い無意識界を育てたいものだと考える。その当りは「クラウドアトラス」に是非とも期待したいね!