汚れなき祈りのレビュー・感想・評価
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罪深いのはどちらか?
多分に思い込みだが、厳格で狂信的な修道院が罪なき若い女性を監禁し理不尽にも悪魔祓いの儀式で死なせてしまった事件だと決めつけて観始めたので、まったく想像と違う展開に少々面食らった。
信仰の自由が認められるなら、天使や悪魔を信じることも自由、悪魔祓いの儀式もまた然り。
無神論者の人間からみれば、アリーナに必要なのは、病院での治療でありカウンセリングだが、彼女を救うために彼等が持っている方法は悪魔祓いの儀式だけだったのだ。
彼等の無知や不寛容を責めるのは簡単だ。
修道院にとってアリーナの訪問は“災い”でしかなく、彼女には出て行って欲しかった。
しかし、病院にも里親の家にも彼女の居場所はなく、混乱した彼女を受け入れたのは修道院だけだった。
社会の無関心がアリーナを追い詰めたのだ。
『4ヶ月、3週と2日』と同様、物語の根底には女(女の子)同士の共依存関係がある。
孤児院で育ったアリーナとヴォイキツァ。
二人が何故別々の道(ひとりはドイツ、ひとりは修道院)を行くことになったのか、アリーナにドイツで何があったのかは分からないが、年月の経過の中で二人の関係に変化があったことは明らかだ。
しかし、アリーナはそれを認めることが出来なかった。
二人はあまりに違う環境の中で生きてきた。
この溝を埋めることは簡単ではない。
無知や不寛容が悪いのか?
それとも無関心が悪いのか?
恐らくどちらも悪い。
しかし、両者が歩み寄り、解決の道を見出すこともまた難しい。
汚れなき祈り
汚れなき祈りは、汚れがないゆえに、世間知らずである。
汚れない祈りの為に人が死んだら、それは神のせいか?
それとも祈りの結果人が死んだことを罪として咎める現代社会がおかしいのでしょうか。
冬国の生活は憂鬱そうです。町には色がなく、雪や吐く息の白ばかり目立ちます。
電気もとおっていない修道院では前時代の奇跡が信じられている。
奇跡は祈りと日々の献身から生まれる。
現代人からすると思い込みなそれも、この修道院では確かなものだと信じられています。
離人感あふれる画面の憂鬱さが説得力を持ち、『人里から離れた修道院では超人的な奇跡が信じられている』という描写に違和感がない。
サウスパークを思い出しました。
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