「A」のレビュー・感想・評価
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ドキュメンタリーとして面白かった。
オウム真理教、自ら調べなりしなければ現在その名前が耳に入ることはほとんど無い。 もうサリン事件から30年近くも経つんだなぁ。同じ時代を生きたけれど、この映画で取り上げている頃は、わたしは大学生でテレビを見る暇もほとんど無く自分の生活でいっぱいだった。 そのため、大まかな事件については名前なども知っていてそれで把握していたつもりになっていたが、今回この映画を興味本位で観て、ん??と思う事が多かった。知らない事が多かった事に気がついた。 途中映像を止めてわからないことは調べながら観た。 改めてすごいな…とんねるずの番組とか出てたんだっけ…。 信者はもちろん洗脳されていたと思うけど、当時の世の中ではテレビにも出て本当の宗教家だと印象を世の中の人に広めたマスコミにも問題あるんでは…。 この映画を観ると、犯罪の実行犯では無い荒木さんとかその他の信者の人達は、性格も割と大人しく、悪い事はしていないし、純粋に信仰を全うしていて、オウム信者全体が悪いわけでは無い、それを排除しようとする世の中にも疑問が…みたいな論争になってしまいそうだ。 でも、自分の隣の部屋にもしオウム真理教がアジトを作ったら、どうだろう? 荒木さんはたまたま広報だったから実行犯にならなかっただけで、もし実行犯と同じポジションについていて、麻原から指示を受けていたら? 洗脳した方が悪いのか?洗脳される側には何も問題無いのか? 確かに警察のやり方や、過剰な反応のマスコミや近隣住民、報道されない事実について疑問を感じる部分がある。荒木さん含めて被害者となる場面もあった。 でも、実際に大量殺人という犯罪を犯した教祖を信じるというこの集団に関して共感出来る部分は何ひとつ無かった。
思いのほか見入ってしまった
テレビ局より小型のカメラだろうし古い映像で退屈かと思ったが、思いのほか見入ってしまった。私にとってオウム真理教の一連の事件は宗教に対する印象に大きく影響していると感じた。 作品は主に広報部を撮影しており、事件の当事者は登場せず、事件の内容については説明されない。閉鎖や移転に追い込まれていく施設の映像は大きな部室のように感じた。 教団が大きくなっていく過程で信者にとって教祖はどういう存在だったのだろうか。仏教のロジックで身の振り方を説明するのがとてつもなく上手だったのか、盛り上げ上手なイベンターだったのか。 事件が明らかになっていく過程で、信者たちは教義を従来通り信仰するのか、自身の中で何らか折り合いをつけていくのか気になった。映る人々は脱会せずに継続している人ばかりだろうからなにかロジックがあるのかもう戻るところがないのか。 強制的に連行しようとする警官や、一方的な意見を相手のためでもあるかのように投げかける市民、家族を後継者にしてしまう教団、なんだかなぁと思うけれど、似たようなことは今もこれからも繰り返されていくのだろう。 新聞やテレビの取材と揉める一方で長期間内部に入り込み、インタビューができているのは信頼が醸成されていたのだろうと思う。そのためオウムよりの作品に見えるし編集により監督の思想も反映されているだろうが、それでも貴重な記録だと思った。
荒木浩さん30年後何してますか?あれから30年。AGAMAI
内容は、1995年に起きた地下鉄サリン事件の加害者宗教教団オウム真理教の事件後に、広報副部長・荒木浩氏に寄り添い教団内部から外部を覗き見る構造で最終的に一般的な疑問を投げかける話。印象的な台詞は『教団が地下鉄サリン事件に関わった事を今ならどう思うか?』との問いに『それを認めれば全て認めて信仰が揺らぐ・・・』最後のモリタツの問いに対する煩悶の無言が、認めたくない感情を表している面白い纏め方だなと感じた。あれだけ排他的な教団に入り込み信頼関係を築けるコミュニケーション能力の高さを良く自覚しているなと感心した。印象的な局面では『やましぃ事しているのですか?×8(警察)』からの外掛け浴びせ倒しで一本✋直ぐに自分は被害者であるとの猿芝居。本当に笑える。客観的に見れば滑稽としか言いようがない演技に恐ろしさすら覚えたが、当たり前に見る警察の対応に悲壮感すら覚えたので印象に残った。印象的な情景は、荒木浩に密着した映像で、体重の増減が激しく、体調管理が行き届かず水虫など精神衛生上良くない事が痛々しい程分かり教団の教えの環境が気に掛かった。モリツネの質問で30年後どうなってると思いますか?との答えが無言で、約25年後のドキュメンタリー映画アガナイの本人見ると痩せ衰えて目には正気なく教団に帰依している姿を見れたので時間だけ過ぎた今何を感じているのかにも気にかかる。結果、ドキュメンタリーと言いつつも主観的に作られ、主観によって見られる認識による評価は決して真実の多角的様相すら見えないのだと感じた。このドキュメンタリーに関わるもう一人が『ゆきゆきて神軍』の監督。それから3年後の話『A2』も見てみようと思う。当時自分は19歳よく覚えていたので昔を懐かしんでみた。マハポーシャの看板が見えたのは少し嬉しかった。
徹底してひたすら「人間」を撮り続けた作品
地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教の内部に入り、幹部や信者らと素の人間関係を築きながら撮影されたドキュメンタリー。当時の広報副部長荒木氏への密着という形で構成されている。 本作を観るにあたって、重要な観点はふたつあると思う。ひとつは、監督である森達也はそもそも、ドキュメンタリーをどのように捉えているか理解する点、そして、その上で、私はこの作品を通じて何を感じ、得たのかという点である。 森達也はルポライターとしてもたくさんの作品を残しているが、ドキュメンタリーを「見る側」「作る側」も「公正中立な客観的記録」として捉えている現状を「錯誤」であると一蹴する。小気味いいほどに笑い飛ばす。 この辺は、同氏の「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」(角川文庫)や「極私的メディア論」(創出版)に詳しいので多くは書かないが、ある表現者が被写体にファインダーを、カメラを向けた時点でそれはすでに客観的ではない。大枠では、ドラマもドキュメンタリーもそんなに変わらない、という論調だ。 さらに言えば、そもそも表現行為に公正中立・客観的などありえないと看破する。確かに、日常生活の中に「カメラ」が入ることの異化効果は甚大だ。その時点で被写体はいつもとは違う情態にある。それを客観的記録、と呼ぶのには無理があると私も思う。 その意味で本作はあくまで森達也という一人称が極めて主観的に、意図的に膨大な映像の中から切り取った作品といえる。 さて、140分弱の作品を見終わって、私は何を感じたのか。 結論から書くと、情けなくて、恥ずかしくて涙が出た。映画を観て、感動でも、憤りでもない、情けなくて涙を流したのは初めてだ。この作品はオウム側から社会側を写している。殺人集団、カルト、テロ、薄気味悪い、弱い人間の集団、現実からの逃避行動、マインドコントロール。社会側ではオウムをこんなように捉えていた。 もちろんオウムの罪は重い。それは当然、法治に則りあらゆる側面から徹底的に裁かれるべきである。そして事件の記憶冷めやらぬなかで、教団施設付近の地域住民が必要以上に防衛行動を取るのも理解できる。 問題はマスコミである。例えば日本テレビとフジテレビが森達也のカメラの前で小競り合いを続けている。どっちのカメラが先だ、いや、こっちのが先だ、と延々と。路上で。そして、教団内部からみた報道の煽情的論調は常軌を逸脱している。限りなく誤報に近い報道も多くあるようだ。 当時の私はその報道を全て鵜呑みし、オウム真理教を100%危険な殺人集団と断じていた。さらには、こういった一連の流れが、彼らをより一層、終末思想へ追い立てるのではないかとの危機感も持っていた。つまり、社会側の映像要素ひとつひとつが、作中でオウムを責め立てるマスコミ、住民、警察、評論家たちのことばのひとつひとつが、剥き出しの怒りの表情そのものが、過剰な防衛反応それ自体が、私だ。当時の私をそのまま映し出している。 そしてその様は、あまりに醜い。 *** 一番印象に残っているシーン。 教団とのやり取りがうまいこといったのだろうか、他局を差し置いてNHKの取材班だけが単独で教団の施設内に入って、麻原の初公判について信者にインタビューする場面がある。もちろん教団広報立会いのもとの、オフィシャルな取材。作品中では数分程度の場面だ。 森達也のカメラはその取材風景までも収めているのだが、NHKの担当女性ディレクターの表情が筆舌に尽くしがたい、苦悩に満ちた表情を呈している。 恐らくは許可された内容での取材を実行するために、彼女は出来る限りの知力と想像力と表現力をもって、オウム信者への理解を、共感を示そうとしたのだろう。あのNHKの、しかも当時のオウムの担当ディレクターなのだから、さぞかし優秀な方なのだと思う。 しかし、どうしても出てしまう。 オウムは殺人集団、カルト教団であると考えてしまう恐怖が、思考が、偏見が、反発が。顔に、表情に、目線の揺れに、佇まいに、声に。 インタビューを受けた信者は小さく冷静な声で、「すみません、そういうご質問では、私がどんな風に答えても誤解を与えてしまうと思うのですが・・・」その指摘に、隠し切れなかったバツの悪さと、ここで取材が頓挫してしまうことへの恐れとがない交ぜになった、モリタツが書籍でよく使う「煩悶」と呼ぶに相応しい女性ディレクターの表情が映像として記録されている。 この表情が私を惹きつけてやまない。 彼女はそれでも、当時の、世の中的にも、当日の現場的にも、あの状況のなかで、何とかオウム側の立場に立って考えてみようとした。結果的にできなかったとしても、考えてみるということに対して自覚的だったという点において、賞賛に値する。当時の私にはその自覚は皆無だった。 そして、その自覚に人間の人間たる豊かさが潜んでいるのだと痛烈に感じた。この作品では、教団信者が、罵詈雑言でなじり付ける周辺の外部にはない人間の豊かさを持っているように描かれている。 そう、モリタツは本作で徹底してひたすらに「人間」を表現し続けた。ここまでリアルな「人間」を描いた作品もないと思う。なかなか置いてあるところも少ないが、珠玉の名作。
屁理屈だらけ
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は集う場所を追われ転々とする。 教団内部に入り込み密着映像を世に送り出す映画。ジャーナリズムの原点と言える。 カメラに映し出される、いろいろな組織・集団に属する人々の屁理屈合戦がすごい。 そして教団側の屁理屈が一枚上手。 教団にとって都合の悪い真実を突きつけられても、教義と教祖に救いを求める若者達は自ら曲解を生み出し自動的にダークサイド物語に帰順する。この様子がすさまじい。 映像を撮るため教団に密着し、教団側から外にカメラを向ける事でいわゆる「普通」側の世の中の変態ぶりを炙り出す。かといってしかし教団の危険性を払拭するメッセージを含ませる訳でもなく、淡々と危険思想ぶりを世に暴露する。映像作家として本当にしたたかだ。 今週の気付いた事:危険じゃない人はいない。
美形童顔と感動的な主題歌。楽しめたが。
社会に未来に絶望し、あの新興宗教に帰依した青年の目を通して見る絶望的な日本。 二時間のドアップに耐える美形童顔と感動的な主題歌で正調青春映画に成ったこと自体が、見せ方次第でどうにでもなるというマスコミ批判のアイロニーか。 楽しめたが。
「オウム出てけ!オウム出てけ!」
なんとも言えない。ここに出てくる彼らは、少なくとも純粋。どんな脅迫も攻撃も、それは彼らにとって「修行」でしかないんだから。まいっちゃうよなあ。 だけど、事件は事実であり、その名を名乗り続ける以上、その責は負わねばならない。そこをウヤムヤにしては世間は許さないのだよ。でもね、そうは言っても、追い出してばかりじゃ、彼等だって地下に潜るしかあるまいね。世間と教団、相容れぬ価値観同士、妥協点さえ見いだせないのが実情。 しかしこの森監督、よくぞここまで映像を残してくれたものだ。片方に肩入れしない姿勢、それが信頼になったのだろう。
ごもっとも
入学した大学のエリートに絶望して退学した話、殺生する仕事が辛かった、戦争がなくならない、愛する人がいると死別が辛い。彼らの言ってる事は凄くごもっともな事なのですが、時代が時代だったらオウム真理教ではなく、政治参加や社会貢献をする人達だったのかもしれない、残念だと思いました。 私は麻原彰晃の話も教えも全く知りませんが、繊細な彼らには何か響くものがあったんでしょう。しかし、オウム真理教が人を殺した事については、頭を思考停止させて考えないようにしている様に見えました。また、彼らに警戒されずに打ち解けていた森監督を観ていると、やっぱり凄いと思ってしまいました。
荒木浩という人と、マスコミと警察・・・
オウムにハマりそうな雰囲気が非常に伝わってきたし、信者はごく普通の若者というところがよく分かる。同時に、そこに潜む異常性や危うさがひしひしと伝わってくるので、相当見入った。 オウムの中によくもまああれほどまでに溶け込んでいるものだと感心するばかり。あれほどの事件を引き起こしたオウムという存在を否定することは必然で、マスコミが暴力的にカメラを向ける気持ちも分からないでもない。しかし、森監督は固定観念で否定することなくカメラを向けていて、オウムの内情や状況が比較的よく理解できると、いかにマスコミや警察が強権をふるって世の中の情報を作り出そうとしているのかがよく分かる。 オウムは決して肯定できないけれど、あんな独自のコミュニティーに参加できる快楽のようなところを感じてしまった自分がいた。 荒木広報部長を見ていると、本当に魅力的な人物なんだけど、最終的に尊師に帰結するところが非常に疑問で解決できない難問のように感じた。
オウムの荒木広報部長の密着ドキュメント。 一番騒がれている時に、教...
オウムの荒木広報部長の密着ドキュメント。 一番騒がれている時に、教団内部に入り撮影できた監督はすごすぎる。 道場の中での生活や、個人としての荒木さんにインタビューもあって、教団からの視点で社会との関わりを見れたのは新鮮だった。 これを見ていて、報道の仕方やマスコミへの不信感も高まった。 スクープしようとするあまりに自分たちの主張をごり押しする姿は見苦しかった。 それは警察も同じ。よく別件逮捕して本件逮捕するってのを聞くけど、あまりに理不尽な方法で別件をでっちあげるのは人権無視としか言えない。 オウム側に人たちは、サリン事件などの殺人事件を肯定も否定もしないような態度が一番印象的である。 (殺人が)あったんでしょうかねぇ・・・みたいな。 認めると自分や教団を否定することになるし、否認すると集中砲火を浴びるのは明らかであるし。それを分かっていての反応なのだろう。 マインドコントロールも他人事にみている点も気になった。
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