「ハードロック」琵琶法師 山鹿良之 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)
ハードロック
先週、国立劇場の文楽公演で、義太夫を見ながら思った。これこそ日本の“ハードロック”であると。
そして、「説経節」ひと筋70年の、山鹿(やましか)良之の語りにも、そういう強烈なところがあった。
文楽は今では昇格して“伝統芸能”として扱われているが、「説経節」は根本的に野卑な“民衆芸能”らしい。
もとは仏教説話がはじまりだが、遊行(ゆぎょう)の下級宗教家などによって、“不浄”なものがたくさん取り込まれて文学化したという。
実際の演者は、「下層の乞食、賎民のたぐい」であり(※)、その意味で、瞽女(ごぜ)さんの“門付け芸”に類する芸能だったのだ。
「説経節」は琵琶で語るとは限らない。例えば「若松若太夫」は、三味線を使う。
琵琶にもいろいろな種類があり、薄い撥(ばち)で華麗に弾きこなすテクニシャンもいるようだ。
しかし山鹿翁は、すでに表面の塗装が剥げている年季の入った4弦琵琶を、分厚い撥(ばち)を使ってバンバン鳴らす。
お世辞にも上手いとは言えないし、そもそも弦のチューニングが合っているかも怪しい。
そして語りは、半分くらい何を言っているのか聞き取れない。
若い時はもっと上手くて滑舌が良かったのかもしれないが、この映画撮影時の91歳の山鹿翁の語りには、なにやら“異形”の香りさえ濃厚にただよっている。
とはいえ、頭はフル回転のようだ。
山鹿翁は、400種・200時間を超える「説経節」のレパートリーを持つ。本作で演じられる「小栗判官」だけで、6時間あるのだ。
目が見えないから、すべて口承を通じて記憶していることになる。20歳をすぎてから師匠について始めたそうだから、すごい能力だ。
ただし、「説経節」は丸暗記されたテキストの棒読みではないという(※)。聴衆を前に、即興的に節(フシ)を付けて語るらしい。
この点でも、同じ“民衆芸能”である、瞽女(ごぜ)さんの歌やイタコの語りと共通点があるとのことである。
それが可能なのは、語句に“決まり文句”や“同語・同音・同義語の反復”があるためらしいが、山鹿良之の語りにも当てはまるかは、自分には分からなかった。
映画は、山鹿翁が熊本県南関町小原で一人暮らしをする映像を中心に、藤沢市の遊行寺に詣でる姿、浅草「木馬亭」での公演などで構成される。
その合間に、「説経節」の「小栗判官」のストーリーが、17世紀の岩佐又兵衛の工房作の絵巻の一部を映しながら紹介される。
山鹿翁は、週一回ヘルパーさんに手伝ってもらうだけで、食事の用意もすべて自分で行って生活していたらしい。
4歳で失明し、右目だけうっすら明かりが分かる程度なので、朝の“勤行”でろうそくの火を付けたり、燭台に載せるだけでも、かなり時間がかかっている。
隣家での“かまどの神”を鎮める儀式の映像は、厳密には“やらせ”であるが、少し前まで実際に行われていた行事の“再現ドキュメンタリー”であるという。
山鹿良之という、地方在住の知る人ぞ知る無名の芸能者にスポットを当てた、30年前に制作された本作品は、いろいろと興味深かった。
厳しい時代を生き抜いてきた、山鹿翁の言葉使いやオーラは、今日なかなか見ることのできないものだろう。
自分は「説経節」が何かすら知らなかったので、良い機会になった。
岩佐又兵衛工房の絵巻も、おどろおどろしくて楽しい。
そして何より、日本の“民衆芸能”のハードロックな姿に感銘を受けた。
(※)「説経節」(平凡社 東洋文庫243)