小判鮫・前篇
劇場公開日:1948年
解説
新演伎プロダクション第一回作品。製作には「或る夜の殿様」の清川峰輔が当たる。脚本は往年「雪之丞変化(1963)」を書いた衣笠貞之助が「女優(1947)」に次いで執筆、これを監督する。「ぼんぼん」「女の一生(1949)」「花ひらく(1948)」を書いた八住利雄が共同執筆している。カメラは「新馬鹿時代」「酔いどれ天使」の伊藤武夫。音楽は「富士山頂(1948)」の早坂文雄である。「雪之丞変化(1963)」と同じく長谷川一夫の二役でC・A・Cの「幽霊曉に死す」に引続き出演「女優(1947)」の山田五十鈴が「或る夜の殿様」以来久々に共演する。新人長谷川裕見子(長谷川一夫のめいで本年二三歳)が初出演する。劇団から市川八百蔵、伊井友三郎、村田正雄が特別出演する他小堀誠(大映)山路義人の助演がある。撮影は京都太秦撮影所である。
1948年製作/日本
劇場公開日:1948年
ストーリー
逆巻く怒とうの離れ島--ここに無実の罪に泣く囚人が今日もこの世を去っていった。この島の役人大賀弥左衛門の一人息子百太郎は血の気の多い若者であったがこうした現実をまざまざと目にするにつれて憤激し、万兵衛という殺人罪をきせられて流刑になった一囚人にれんびんの目をさし向けきっと真犯人をただし、行方のわからない千太郎と言う息子も探し当てようと誓って江戸に向かった。万兵衛をわなに落とし入れた男、それは当時の長崎奉行土居斉人で、金に目がくらんで、万兵衛の商売敵唐津屋のいうままにぐるになって彼をこの世から葬ろうとしたのであった。鳥打に出掛けた万兵衛が射た弾が、あやまって人をあやめたと目撃を実証して出たのは番頭の伝助、三郎兵衛であった。彼等もまた共謀者であったのだ。--歳月が流れて、今は伝助は飛ぶ鳥をおとす勢い。五島屋ののれんを江戸にかかげていた。土居もまた要職にあり息女お蘭をお上に待らせあとは楽隠居とその日を楽しみにしていた。万兵衛の一人息子千太郎は、上方芝居中村紅雀を名乗って、その妙艶な肢体を誇っていた。そのお蘭が紅雀の芝居を見て、一目ぼれしたのだった、運命も常に奇なものである。軽業師のお七も紅雀に身も心も焼く一人であったから、ここに恋の葛とうが生ずる。江戸に出た百太郎--彼は躍起となって証人たるべき三郎兵衛を探しあぐねた、その三郎兵衛が今日も落ちぶれた様相に、五島屋に金の無心だった。わずらわしくなった五島屋は今は彼を斃そうと川に落とし入れた。 (後篇)恋故に狂ったお七が、父を捨てて紅雀のもとに走ったお蘭の事を注進した。一切を語って共力を誓った百太郎と紅雀--その紅雀のために百太郎はお蘭をかくまおうとしてお七の目にとまる。水上の二つの争い。お七は百太郎がお蘭をかくまった隠れ家を探し当てた。斉人はお上にささげる大事な娘をかどわかされたと落たんし、いよいよ古傷があばかれるしょうそうに五島屋が米の値上げを見通してした隠し米を、却って唐津屋に逆に待ちに安値りさせた。当然入るべき悪の道の果てなのであった。共謀はかくして表裏した。一方百太郎の必死の努力によってお七の手からお蘭を奪いかえせたものの「一目紅雀さまの」という可れんな言葉にほだされて中村座の千秋楽に供なった。斉人も娘の動勢を知って中村座に唐津屋とかけつける。今はただ復しゅうにいきりたつ五島屋も唐津屋を追って--。舞台はまさに終わらんとする時舞台裏に唐津屋を見出した五島屋は相重なって舞台の上に倒れた。驚いた群衆。それよりも斉人の瞠目。娘の手をとって小屋を出んとした時、き然と舞台に立った百太郎の姿。すべてを明かして大衆の前に裁きを求めるのであった。ほのぼのと明けそめる品川の波止場に「万兵衛さんをつれてもどってくるよ」と打振る百太郎の姿を、見送る紅雀、お蘭の姿が見えた。「あたしの負けだよ、いつまでも太夫と仲よくねえ」お七のさびしいはなむけの言葉だった。