人形佐七捕物帖 鮮血の乳房
劇場公開日:1959年8月4日
解説
横溝正史の「やまぶき薬師」から、「まぼろし鷹」の金田光夫と、小宮一彦が共同で脚色、「東支那海の女傑」の小野田嘉幹が監督した捕物篇。撮影は「南部騒動 姐妃のお百」の友成達雄。
1959年製作/80分/日本
劇場公開日:1959年8月4日
ストーリー
苫舟に身をひそめて商売をしていた舟鏝頭お冬が、客の武士に乳房を匕首で刺され死んだ。人形佐七は、子分の辰と豆を従え、現場に急ぎ、聞込みを始めた。泉州堺の生れであることくらいしか分らなかったが、死体の守り袋の紐が切られてあり、お冬の手がその紐をしっかりと握っていたことが気にかかった。祭りの日、佐七は女スリを追っていく途中、不気味な男の死体にぶつかった。この男は与兵衛といい、十七年前、泉州堺で回船問屋をしていた渡海屋の一番番頭だった。渡海屋が抜け荷をやっていたことが発覚、島に流されていたのだが、その与兵衛がなぜ今頃島破りし、殺されたのか。与兵衛とお冬はともに泉州堺の生れなのだ。与兵衛が持っていた木札は、白狐教のお札だった。その頃、両国では松栄斎秋翠の奇術が人気を呼んでいた。佐七の目は、口上を述べている源蔵に止まった。この男を、与兵衛が殺された時現場附近で見かけたからだ。秋翠ことお秋は、髪結いの清吉を慕っていた。清吉には、お春という許婚がいた。源蔵がお秋に執心していた。白狐党の信者だった裕之進の妻お夏が殺された。渡海屋の四人姉妹が、ばらばらに生存しており、渡海屋の宝の秘密をにぎる絵図が、四人姉妹の守り袋にかくされていることが分った。それを知らせようと与兵衛が島を脱出したところを殺されたわけだ。佐七は裕之進の後をつけ、斬りつけられるが、町道場を開いている織部新八郎に助けられた。新八郎は、裕之進は昔の弟子で、これまでの事件も彼の仕業だろうと言った。お秋が舞台で殺された。守り袋を開いた佐七は、絵図面と一緒に「渡海屋銀兵衛二女お秋」と書いた紙片を見つけた。奉行所では、お秋の死体のそばに、清吉の櫛が落ちていたことから、清吉を捕えた。しかし、佐七は清吉が犯人だとは思えなかった。その日の清吉の足取りをたどると、謎の女が清吉を連れて歩き廻ったことが分った。その女は、お柳という長唄の師匠で、新八郎の妾だった。また、源蔵は渡海屋の競争相手だった回船問屋で、変名して、宝を狙っていた確証も握った。佐七は、白狐教を襲い、生神様に化けていた新八郎を捕えた。