講道館に陽は上る

劇場公開日:

解説

「青蛇風呂」の吉田哲郎の脚本を「遊太郎巷談」の田坂勝彦が監督した柔道映画。撮影も「遊太郎巷談」の杉山公平。

1959年製作/82分/日本
原題または英題:Essay on Conflict
劇場公開日:1959年4月8日

ストーリー

馬場隆は揚心流柔術石丸昌之助道場の小天狗とうたわれていた。殺人ボクサー、ブラック・ロックと柔術家との試合を見に行った。思わずリングにかけ上り、ロックを倒した。兄弟子の源三郎から軽挙をいさめられた。酒をあおり、通りがかりの白瀬園子をからかった。白瀬家出入りの男・曽根五郎がかけつけ、投げられた。隆は自信をなくした。師昌之助とその娘お光がはげました。昌之助は娘の婿にと見込んでいた。源三郎は隆に嫉妬している。--五郎は白瀬家の作業員をしながら講道館に通っていた。園子は彼が好きなのだ。隆がやってきて、二人は対戦した。隆はやはり投げ飛ばされた。昌之助がひそかにこれを見ていた。隆は彼から破門を言い渡された。仕方なく、五郎に今後を相談し、講道館に入門させてもらった。五郎の妹加代が隆の面倒を見た。やがて、隆は若手随一の腕になり、四段に昇段した。昌之助は涙を流して喜んだ。隆の才を惜しみ、わざと破門して、講道館柔道を学ばせたというわけである。天神流の道場開きに他流試合がある。代表が隆ときき、昌之助は柔術の代表を自ら買って出た。大外刈で昌之助が敗れた。父の心はお光だけが知る。源三郎は昌之助をバ倒した。昌之助は試合後、体を悪くした。隆はそれをきくと置手紙をして、姿を消した。警視庁柔道大会がきた。古流柔術から源三郎がたち、講道館は、五郎をたてた。隆の居所がわかった。隆は横浜で例の柔術と拳闘の興行に出て、昌之助の療養費を送っていたのだ。五郎は横浜へ行き、隆をリングからひき降した。興行主の郷田は柔術の庇護者だったから、子分どもに五郎を傷つけろと命じた。五郎は刃を腕に受けた。彼は隆に身代りに出場してくれと頼み、脱出させた。試合開始直前、隆は警視庁に着き、源三郎と相対した。ちょっと危く見えたが、源三郎を羽目板にたたきつけた。--控室でお光が待っていた。

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