赤いカンナの花咲けば
劇場公開日:1955年8月7日
解説
清水信夫の脚本から「ゴジラの逆襲」の小田基義が監督に当る。撮影は伊藤英男、音楽は「アツカマ氏とオヤカマ氏」の古関裕而の担当である。出演者は「母水仙」の松島トモ子、「母性日記」の小畑やすし、市川春代、「おしどり道中」の三条美紀、「月に飛ぶ雁」の有田稔など。
1955年製作/80分/日本
原題または英題:A Song of Memory
配給:東宝
劇場公開日:1955年8月7日
ストーリー
兄妹だと思っていた健太とトモ子は、そうでないことを母房子の口からきいてびっくりした。トモ子は、房子夫婦が満州から引き揚げて来る時、見知らぬ若い女性から託された赤ん坊の成長した姿だったのだ。感じやすい子供心に痛手を負ったトモ子は、或日つまらないことから家をとび出してしまった。房子はトモ子の姿を求めて探し廻っている間に汽車にはねられ、トモ子と生みの母のたった一つのつながりとして母の上着のボタンがしまってあることを云い残して死んだ。孤児となった二人。健太は房子の姉たきのところへ、トモ子は東京の伯父直助の家へと別々に引きとられる。直助の一人娘弓子は、英語を勉強する金を貯えていたが、トモ子は弓子のためにお金儲けをしようと、夜毎銀座に花売りに出た。その胸にはいつも母の形見のボタンが輝いていた。その頃、生みの母矢代早苗は、津川英語会の教師として教壇に立ちながらトモ子の行方を探していた。早苗の弟和夫は放送記者で、探訪録音を受け持っているが、そのための助力を惜しまなかった。或る日、真鶴にいる健太の許にトモ子からの手紙がとどき、日曜日のノド自慢コンクールに出るからきいてくれということである。その日、半日を探し疲れた早苗と和夫が喫茶店で言葉もなく坐っていると、昔満州で流行った“赤いカンナの花咲けば”をトモ子が歌うのがきこえた。二人は直ぐに放送局へかけつけ、トモ子は母に暖く抱かれた。