見ないで頂戴お月さま
劇場公開日:1954年
解説
「名探偵アジャパー氏」の中田竜雄が脚本を書き、「弥次喜多 金比羅道中」の脚本を書いた中川順夫が第一回劇映画として演出に当る歌謡曲喜劇。撮影は「あぶない年頃」の東健、音楽は西出次郎の担当。出演者は「こんなアベック見たことない」の神楽坂はん子、「うれし恥かし看板娘」の森川信、「真白き富士の嶺(1954)」の岡村文子、「伝七捕物帖 刺青女難」の山田周平、「陽気な探偵」の有田稔、「うれし恥かし看板娘」の塩沢登代路など。
1954年製作/日本
配給:東宝
劇場公開日:1954年
ストーリー
春廼家の抱え芸妓小はんは、花川戸の鼻緒問屋の若旦那新二郎に云い寄られて弱っていた。ある日のこと、小はんは満員バスにゆられたはずみに、前に座っていた青年の膝の上に倒れてしまい、その青年の持っていた卵の包みをつぶしてしまった。怒る青年に、彼女は「文句があるならバス会社の社長に言って頂戴」と反撃した。これは実はバス会社社長の夏山金平の一人息子昭彦だった。昭彦は父の社長に、乗客のサービスを改善すべきだと散々文句を云った。ところがある夜、大学時代の友人達と柳橋の「酔月」で酒をのんだ昭彦が、裏の川端で風に吹かれていると、新二郎の口説きを脱れた小はんが離れ座敷から飛び出してきた。この夜の出会いから二人の中は急速に進展した。これを知った夏山社長と綾子夫人は頭を痛め、小はんに手を切らせるため、十万円の小切手と小はんの住所を書いた手帖の切れっぱしとを秘書の影山に渡したが、その裏には社長の二号である秀奴の所番地が記してあり、影山は間違って秀奴のところへ行ってしまった。秀奴はやや面喰ったが、夏山社長をうるさく思っていたので喜んで手切金を受けとり、その夜何も知らずにやって来た社長との間に一悶着起こす。翌日社長に大目玉を喰らった影山は、昭彦を大阪に出張させ、その間に小はんを呼び、昭彦が近く鶴亀金融の令嬢と結婚することになっていると告げた。失望した小はんは、昭彦との恋を諦め、新二郎と塩原へ行く誘いを承知した。帰京した昭彦は、それを知って驚き、直ぐに塩原へ行った。折しも秀奴と仲直りした夏山社長も塩原へ行き、而も偶然小はん達と隣りの部屋に泊った。そこへ昭彦と、柳眉を逆立てた綾子夫人とがやって来たので、事件はこんがらかるが、結局昭彦と小はんの誤解はとけて結ばれ、社長と夫人もまるく納まり、新二郎と秀奴はもののはずみで結ばれた。