チャタレー夫人は日本にもいた

劇場公開日:

解説

文芸春秋所載の川口松太郎の原作を「怪盗火の玉小僧」の八柱利雄が脚色し、「十代の性典」の島耕二が監督した。「秘密(1952)」の高橋通夫、「サラリーマン喧嘩三代記」の大森盛太郎がそれぞれ撮影、音楽を担当している。「姫君と浪人」の岡謙二、「喧嘩笠(1953)」の轟夕起子、「怒れ三平」の若尾文子、他に字野重吉、宮崎準、芥川篭子、有馬圭子などが出演。

1953年製作/89分/日本
劇場公開日:1953年4月15日

ストーリー

鬼才酒井恭平の遺作展で高島家出品にかかる元中将高島之通の令嬢咲子の肖像画がもっとも世評をかった。しかしその画は咲子じしんの手で切り裂かれ、陳列目録からすがたを消す。咲子の慮外な行為は酒井の墓にまいる母朋子をかいま見ての激情のしわざだった。その夜、朋子は二十年来の秘密を咲子にうちあけた。--大正期。金沢師団配属の少佐高島は北陸大演習参加中、火薬事故で大腿部を負傷、以来朋子との間に児をもうけることをあきらめねばならなかった。朋子は若さゆえの悩みも抑え不幸な高島にいよいよ献身的にかしずいた。高島は昇進をつづけ、やがて陸軍次官となる。その記念にも、と肖像を依頼した若い画家が酒井である。肖像の出来やら人柄やらが気に入った高島は、爾後酒井の面倒を何くれとみるようになるが、酒井の恋情と抑えつめた彼女じしんの年来の不満が、とある夜、朋子に生涯一度のあやまちを犯させ、しかもその結果、彼女は妊娠した。一時は激昂した高島もやがて静かなあきらめに沈み、朋子を容したばかりか、生れくるその子を正式にわが子として認知する。咲子はこうして生れ、そだった。太平洋戦争を経て、高島も、また朋子を慕うあまり一生独身をつらぬいた酒井も死んだ。--はなしを聴いて咲子は母の結婚の不幸とくるしみを理解した。彼女が母の心からな祝福をうけて嫁いでゆく日、高島家の洋間には傷痕を巧みに補修した咲子の例の肖像画が懸けられた。

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