獄門坂の決斗
劇場公開日:1960年9月20日
解説
新人西山栄士の脚本を、「南国太平記」の秋元隆夫が監督した推理時代劇。撮影は「次郎吉囃子 千両小判」の杉田正二。
1960年製作/73分/日本
劇場公開日:1960年9月20日
ストーリー
弁天長屋の住人捨松と助十の二人は、御殿駕篭から河に投げ込まれる女を見たため、数人の武士に襲われた。二人を救ったのは、同じ長屋に住む浪人・富士崎吟三郎だった。その曲者の一人は、鬼蔦菱の紋の木札を落していった。あくる朝、材木河岸に女の死体があがった。日本橋の両替屋、近江屋の娘おみのだった。「鬼蔦菱は藤堂家の賛之紋」とわかり吟三郎の命で、勘太、長次の探索がはじまった。近江屋は、藤堂家の国元御用林払下げを受けるため、姉娘のおみのを御殿に上げようとしたのだが、その死によって妹娘お幸を差出すことを側用人新城権太夫に頼みこんでいた。また御用商人長崎屋は、妹のおつたを藤堂家の当主高忠に差出し権太夫と結んで利権を一手に握ろうとしていた。が、高忠はおつたを好まず計画は進まなかった。そんな時、長屋に志津という御殿女中風の女が住みこんできた。権太夫から吟三郎暗殺の命を受けて来たのだが、いつしか吟三郎の男らしい態度に引かれていった。高忠に見染められたお幸は、竜光寺の本堂で住職玄幽から浄めの酒をうけ、血を吐いて絶命した。権太夫は長崎屋と組み、玄幽を手先に使って高忠に二十一歳卯年の女、つまりおつたを側室にしなければ生霊の崇りありと脅かしていた。吟三郎を邪魔とする権太夫一味は長屋を襲い、留守をしていたおりんを拉致していった。重傷を負った長次はこれを吟三郎に告げて死んだ。激怒した吟三郎は長屋の面々を連れて根岸の寮に乗り込んだ。一同の奮闘でおりんは救われ、権太夫一味は倒された。「富士崎こと隠し目付大須賀重兵衛」と名乗る吟三郎は、家老榊原主水正の忠誠に免じて乱行の高忠をニセ者と面罵し、高忠もその情ある計いに改悟を誓った。弁天長屋は今日も賑かだ。殊におりんの顔は輝いている。吟三郎が元通りこの長屋に住むことになったからだ。