ヒロシマ一九六六
解説
以前、大映の助監督で、今度独立プロ「新制作集団」を設立した白井更生の、第一回監督作品。「その夜は忘れない」のシナリオを執筆、「二四時間の情事」のチーフ助監督をつとめた白井更生が、シナリオを執筆し監督した実話に基く、ドキュメント・ドラマ。撮影は、新人金井勝が担当した。
1966年製作/日本
ストーリー
一九六六年、広島。平和公園で、みやげものの屋台を並べる、被爆者の一人川村しのは、何か落ち着きがなかった。それというのも、娘真弓の入社試験の発表が追っていたからだ。「芸備工業」は、被爆の後遺症で死んだ夫が勤めていた大会社で、この会社に真弓が合格すれば、原爆病の恐怖に戦きながらも、二十年間頑張り通したしのは、安らかに死んでいけると信じていた。そして父の悲惨な記憶から逃れようと、上の娘恵子が家出した今、頼るすべは真弓だけだった。矢も盾もたまらなくなったしのは、亡夫の友人、「芸備工業」牧田経理部長を訪ねた。必死なしのの願いも空しく、牧田はしのを冷くあしらった。真弓の担任の松本先生が、大会社は片親の子供は採用しなくて、決して真弓の成績が悪かったのではないと励ますが、しのの気持は閉ざすばかりだった。--一方、ベトナム戦で負傷したアメリカ兵を扱う佐世保病院に勤める、青年医師田岡一夫と、広島原爆病院の女医内山淳子が広島の雑踏の中を歩いていた。将来を誓った二人だったが、安保闘争の挫折から二人の愛に亀裂が生じていた。田岡は、時々淳子のもとを訪れ、互いに満たされぬ一夜の交歓にひたり、そそくさと佐世保に帰る、そんな状態がもう長く続いていた。--すっかり働く意欲をなくしたしのは、原爆病だから国が面倒みてくれるとふてくされ、床を離れようともしなかった。数日後に漸く床を離れたしのは、真弓と共に亡夫の眠る木次に墓参りにいった。田舎の澄んだ空気は、しのに再び活力を与えた。真弓も零細企業だが、町工場に就職できたし、川村母娘に明るさが蘇った。そんなある日、しのは真弓の運転する自転車に乗せてもらった。自転車が平和公園の前を通る時、突然しのの脳裡に原爆の閃光が現れ、自転車から転げ落ちた。しのは、心身ともに限界にきていた。驚いた真弓は恵子に援助を頼んだか、恵子は涙を浮かべながらも、かたくなに拒否するのだった。母に代わり、屋台をひいて家路を急ぐ真弓、背後に、電光ニュースが、正月休戦を終え再開したベトナム戦争の激しさを伝えていた。