馬鹿が戦車でやって来るのレビュー・感想・評価
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虐められた男が暴発する様を見て笑えるか?
1964年(昭和29年)公開の娯楽映画です。主役サブ役にハナ肇、弟兵六役に犬塚弘とクレイジーキャッツのメンバーがキャスティングされています。釣り客と会話する船頭(東野英治郎)が本作の語り部役を担います。
舞台は架空の小さな農村、日永村。少年戦車兵帰りのサブは40前後の独身男。難聴の母親と言葉が不自由な弟の3人で村はずれに暮らしています。サブの家は村一番の貧乏で、村になにか問題があると全てサブの一家のせいにされるという、村人たちから一段見下されているような家族です。
あばら家のようなサブ一家とは対象的に、立派な門構えの豪邸には業突く張りの元地主、仁右衛門(花沢徳衛)が住んでいます。仁右衛門は元々自分の小作人だったサブの父に、戦後の農地解放政策で土地の一部を譲り渡した過去の経緯があります。仁右衛門はその土地を金で買い戻そうと持ちかけますが、サブはきっぱりと拒否します。
仁右衛門には病弱な娘、紀子(岩下志麻)がいます。紀子は顔も心も美しい女性の設定であり、他の村人たちのようにサブや兵六をバカにしたりしません。それどころか親しげに接してくれます。紀子は父の非礼な振る舞いを詫び、サブを自身の床上げ祝(全快祝)の席に招きます。
美人の紀子に優しくされて舞い上がったサブは散髪し、一張羅を着込み、宴席へ乗り込みますが、他の招待客たちから「お前のようなやつが来る席ではない」とたしなめられてしまいます。
バカにされたサブは大激怒。大暴れし、留置所へ入れられてしまいます。サブを救うという名目で村会議員の市之進(菅井一郎)はサブの母を騙し、土地を担保に金を貸し付けます。
出所してその顛末を知ったサブはまた大激怒。今度は納屋に隠していた戦車に乗り込み村中を破壊して回ります。その騒動の最中、弟の兵六が高所から転落して事故死。サブは戦車と弟の亡骸を海に沈め、母と二人で村を出ていきます。一方紀子は自分の主治医だった青年医師と新生活を始めた様子を描写し映画は終わります。
本作の物語の構造は一言で言えば「いじめの構造」です。弱いものがさらに弱いものをいじめて笑うという、実にいやらしい田舎の縮図を見せられてげんなりさせられます。周囲からのいじめに耐えられなくなった一人の男が暴発して武器を持って暴れるという事件を見て、笑えるでしょうか。いくらハナ肇が演じようと、どんなに戦車で村を破壊しようとも、痛快でもないしなんのカタルシスも得られません。サブは不器用で乱暴者ではあっても「馬鹿」ではありません。
本作の原作者であり音楽担当の團伊玖磨は男爵家庭に生まれた超エリート。監督で脚本の山田洋次は東大法学部卒の超エリート。二人の超エリートたちが作った娯楽映画は今の時代に、もうそぐわなくなってしまいました。もしサブが大暴れしてこんな超エリートたちをぶん殴っていれば痛快でしたが、彼は「馬鹿」にされたまま村を去るしかありませんでした。
エイプリルフールのジョークだったと言って
クレイジーキャッツのリーダー、ハナ肇主演のドラマ。
見る前はタイトルから反戦映画という印象をずっと懐いていたが、とんだ思い違い。
舞台は戦後の寒村・日永村。因習と偏見ではじき出される家族の悲喜劇を描く。
コメディー映画の要素もメッセージ性も、何もかも中途半端な感じ。作品の印象を簡潔にまとめれば、「半」社会派ドラマというところか。
元少年戦車兵のサブ一家を見下す地主の仁右衛門を、左翼政党の熱烈な支持者だった花沢徳衛がここぞとばかりに(?)憎々しげに熱演。
当時23歳だった岩下志麻演じる紀子が可憐。
ハナが率いるクレイジーキャッツからは犬塚弘と谷啓も出演。他の共演者も黄門様になる前の東野英治郎や、『日本昔ばなし』で有名になるずっと前の常田冨士男など多彩。ほかにも黒沢作品常連の渡辺篤の姿も。
BS松竹東急にて初視聴。
本作が放映された翌日、6月30日での同局の放送終了が発表。
マニアックなチョイスの映画を随分と楽しませてもらってきたので、自分のような無料放送派(いわゆるケチ)の映画ファンとしてはさみしい限り。
一部メディアによれば、リモコンチャンネルを獲得できずに知名度が上がらず、広告収入も苦戦していたとのこと(自分も最初の一年ぐらいは無料放送だと知らなかった)。
だったらWOWOWや時代劇専門チャンネルみたいに他局での宣伝を初期投下したり、もっと経費の掛からない方法として系列劇場での映画上映前に宣伝をしたりということをなぜできなかったのかと悔やまれる。
広告収入が上がらないのなら、開き直って松竹製作の新作映画や歌舞伎公演の予告を大量投下してもよかったのにと思う。
放送終了が発表されたのが4月1日。
どうかエイプリルフールのジョークであって欲しい。
山田洋次が古い日本人の悪き風潮を炙り出す。
☆☆☆(本編) ☆☆☆☆(プロローグ&エピローグ) たった1人が暴...
☆☆☆(本編)
☆☆☆☆(プロローグ&エピローグ)
たった1人が暴走しただけでも、国が国としてちゃんと機能していない情弱な国は、一気に崩壊する恐れを秘めている。
正直なところ、この監督が描くコメディーは。あの大人気シリーズ以外はちょっと苦手かなあ〜。
先日、同じくここで観た大島渚の『太陽の墓場』は、同じ様なバイタリティー溢れる作品だった。
大島のコメディー演出も少し苦手だが。その主張であり、演出力の力強さには目を見張ったが。今回その 〝 粘っこさ 〟には、ちょっとだけウンザリとしてしまった。
但し、映画の締め方は素晴らしいと感じたのは事実。
岩下志麻の美しさにはクラクラと眩暈が_:(´ཀ`」 ∠):
2020年9月20日 シネマブルースタジオ
話せば分からんのか?この連中は…
時代背景も含めて、ここまでオーバーではなくとも、終戦15年経った頃はこんな風情だったのかと想像する。
テレビも電話も出てこない。駐在さんの自転車が原動機付いてるみたいで悪路をしゃあああっと走っていくのを見るとこんなもんあったんだと軽い驚きがあった。
作中の人物たちは貧乏人の貧しさが心まで貧しく、より貧しいサブ一家をバカにしている様は観ていて気持ちのよいものではない。
サブの一家を散々バカにしていながら、村のもの達もこぞってバカばかりしかいない。
サブも昔から仲が悪いのか?友人も全く居ない様子だけどそれなりに“サブは大変”と言う認識はあった様子なのにそこに折り合いもつけられず、あの態度では、村のものからは係わり合いになるのを避けられるのは仕方ない。
議員の市之進が小狡くサブの一家から畑を奪い取った流れはいつの時代も変わらない。
今だって奪う側がルールを作って合法的に奪っているだけだ。
奪われる側も弱いから仕方ない…と諦めてる世界で、反旗を翻す事も容易に出来ない。
この当時は暴力的な革命も“アリ”とされた風潮もあったのだろうから、元少年タンク兵が騙され、バカにされた末の“逆噴射”、タンクで村の気に入らない奴等に突進を繰り返すと言うサブに共感する気持ちも湧いたのかもしれない。
この作品を山田洋次監督作品として面白いと紹介する映画雑誌を昔からよくみかけたので観賞したが、滑稽な悲劇であり、サブのタンクによる騒動で暴き出された村の姿で人々は多少改まるかと思いきやそうならないと言うどうにも変わらない残念さがこの作品のキモなのだと思う。
サブが残したタンクの轍からとなり町への道は出来たものの、人の心情は変わらず、綺麗なお嬢様(岩下志麻)は町医者と結婚…知的障がいの平六と畑を失ったサブは母親と何処かに消えたと語られるのが切ない。
何一つ笑えない。
この監督の本音な映画。ヒューマニズムの欠片もない。無教養、貧困を笑い者にする。差別用語を平気で使う。
お嬢様に対して、庶民を『肥やし』と比喩する。そして、お嬢様は教養ある『医者』と恋に落ち、無教養の『馬鹿』が恋に破れ、ヤケをおこし、人生を駄目にする。ネタバレになるが、あの『○○はつらいよ』の予定調和なネタ。そして、あの映画のネタ元は、ここにある。
何一つ笑えない。
差別。ねたみ。ひがみ。暴力。陰口。偽善。それを笑い者にする。何が面白いのか?
『○○はつらいよ』はこう言った映画である。50作も続けるなんて、日本の恥だ。アイロニーとして描いているとしても、それで差別が払拭される訳ではない。
何回か見たが、親父の好きな映画だった。もう、見たくなかったが、親父の月命日だったので、もう一度見た。もう、二度と見ないだろう。
死んだキャラクターが、ご存命なのが唯一の救い。
松竹映画の流れは山◯洋次監督ではなくて、
小津安二郎監督である事は忘れては駄目であり、この映画は寧ろ東宝系じゃないだろうか?東宝の植○等さんの無責○シリーズをリスペクトしていると思うけどね。
良いか悪いかは別にしてね。
何も見る物がなかったので、ハノイからホーチミンへ向かう寝台車で消し忘れのAmazon「?」を見る。2025年 4月3日
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