「これぞ「行きて還りし物語」。少女の心が確かに変わる。」アルプスの少女ハイジ(1975) たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
これぞ「行きて還りし物語」。少女の心が確かに変わる。
1974年放送のテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』の第45話を、劇場公開用にブロー・アップ。
アルプスへやって来た足の不自由な少女クララをなんとか山の上のお花畑に連れて行ってあげようと、ハイジとペーターが頑張るというお話。
画面設定を担当したのは『パンダコパンダ』シリーズで原案・脚本・画面設定などを担当した、後にアニメ界の伝説となる男、宮崎駿。
本作は「東宝チャンピオンまつり」で公開された6本の内の一作。同時上映は『メカゴジラの逆襲』や『サザエさん』など。
アグネス・チャンのプロモ映画『アグネスからの贈り物』という珍品も同時に公開されている。うーん、カオス…。
『ハイジ』が放送されていたのは1974年の1月〜12月までなので、本作が劇場公開された時にはすでに完結している。
つまり全52話のうち、どのお話を上映しても良かったはず。
それなのに、何故この1話が選ばれたのだろう?
考えうるに、この第45話が25分という時間的制約の中で、見事な「行きて還りし物語」を成立させているからなのではないか。単純に1話の完成度が半端ない。
ペーターがクララを背負い山道を登ってゆく。
山の上の花畑で、クララは自分もハイジやペーターのように花畑を走り回りたいと思うようになる。
帰り道、ペーターは疲労困憊でふらふらになりながらもクララを山小屋まで送り届ける。
そしてクララは、みんなが一所懸命に花畑に連れて行ってくれたという嬉しさと、自分の足が不自由なせいでみんなに迷惑をかけたという情けなさで涙を流す。
これまでクララは周りの人が自分の身の回りの世話をしてくれるのが当然だと思っていたし、優しい少女だとはいえ自己中心的なところがあった。
そんな少女が、山の上へ行きそして帰ってくるというシンプルな行為を通して成長する。
物語の基本である「行きて還りし物語」を忠実になぞりながら、それが陳腐なものではない上質な少女の成長譚になっている。
しかもそれを25分という短い時間の中で表現しているというのは、やはり高畑勲の演出力は半端ではない。
主人公ハイジではなく、薄幸の美少女クララがフィーチャーされている1話が選ばれているというのはちょっと面白い。
アニメシリーズを観ていれば気付くが、本作の主人公はむしろクララ。
ハイジは登場時からキャラクター的に成長しきっている。ヤギの乳搾りが出来るようになったり、文字が読めるようになったりはするが、基本的な人格の成長の幅は少ない。
しかし、物語の中盤から登場するクララは、病気の克服や外界との接触など、成長する幅が大いに残されているキャラクターである。
裕福だが健康な肉体と自由を持ち得ていない、という複雑なキャラクターで、さらにその上美少女ということで、観客としてはどうしてもハイジよりもクララに感情移入しながら物語を楽しむことになる。
制作陣も、むしろクララに感情移入しながらこの物語を展開させていったのではないだろうか。
実は『アルプスの少女ハイジ』は、ハイジとの出会いを通して周囲の人間が成長していく、という物語なのです。
テレビアニメでありながら、一本の短編映画として完全に成立しているこの第45話。
大きな出来事が起こらなくても、大きなドラマを表現することは出来るのだ、という天才の技が冴えている。
『ハイジ』を観たことがないという人でも、この1話には感動すると思います🥲