嵐が丘(1988)のレビュー・感想・評価
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日本映画は死んだ
写真も演技も低レベルで緩衝領域に至ってない。
なぜ日本映画はダメになったのか?
理由はいろいろ語られているが、私は「排他的になってしまったこと」――それが最大の要因ではないかと思っている。
ちょうどその頃、私は東京で、有名な脚本家の先生のもとで脚本を学んでいた。講座が終わった後、グループで。ご指導いただいた三年間のあいだには、いくつか光る作品も生まれた。だが、そうした作品は例外なく、コンクールの一次選考で落とされた。
不思議に思い、「なぜですか?」と先生に尋ねてみた。すると、先生はこう言った。
「面白い奴を見つけたら、一次で落とします。」
つまり、才能のある人間は排除されるということだ。コネも後ろ盾もない“本物”は、既存のプロと、その繋がっている若手にとって脅威でしかない。だから最初から入れない。
そうして、才能のある者たちは映画界から閉め出された。結果、日本映画は力を失い、静かに滅びていった。
残念なことではあるが、希望がないわけではない。舞台から三谷幸喜が登場した。漫画や小説の世界は、まだ門戸が開かれている。外から面白いものが入ってくる構造があるから。
だが一方で、日本のテレビドラマに出てくるタレントたちの演技――あれはもう、見るに耐えない。あまりにもレベルが低すぎて、最初から見る気すら起きないのだ。
荒野を彷徨う鬼気迫る松田優作のヒースクリフ
エミリー・ブロンテの原作を日本の室町時代に翻案した作品で、松田優作がヒースクリフに当たる鬼丸役を熱演しています。神社の宮司に引き取られた少年と宮司の娘との生死を越えた愛憎のドラマで、原作は読んでいないけど日本の時代劇にすんなりと入ってくる脚色の腕前がいいですね。冒頭、霧深い荒涼とした大地に建っているお社や鳥居のシーンは、黒澤明の『蜘蛛巣城』を彷彿とします。ドラマが始まってからも、能のような登場人物の所作や台詞回しにおいても影響があるように感じました。ファムファタルの絹が死んでから鬼丸が段々と狂気を帯びてきて、暴走する愛情の末に彼女の墓まで暴いてしまう展開はショッキングです。吉田監督は、能の静寂さと鬼丸の狂気からくるエロスとグロの生々しさを対比しながら破滅まで導いていきます。役者では、松田優作の荒々しい魅力もさることながら、田中裕子のクールビューティーの下に隠された表情の怖さが際立っていました。
松田優作に乳をもみくちゃにされている石田えりの視線はおかしかった...
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