ガンダーラのレビュー・感想・評価
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フランス人が思い描いたアンチ・クライストなユートピア
生き物すべてが平和に共存する理想郷ガンダーラ。突然、機械兵士(メタルマン)の襲撃を受け、石化光線で追い詰められる。
ガンダーラの中枢ジャスパーの指導者たちは若者シルバン(シル)を派遣して危機の打開をはかるが…。
フランス人SF作家ジャン=ピエール・アンドルボンの原作小説を、同じくフランスの映像作家ルネ・ラルーが自身三作目の長編アニメとして映画化。
未開化で牧歌的なユートピアに見えるガンダーラには、実は遺伝子操作を繰り返し、その結果誕生した異形の人間を失敗作として秘密裏に遺棄してきた過去が。今回の騒動も、かつて自分たちが開発しながら肥大化して手に負えなくなり、放置した人工知能メタモルフの仕業だった。
自己を創造した人間を因果応報的に破滅へと追い詰めるメタモルフはキノコ雲のような形状からも核兵器の寓意なのだろうが、単なる科学文明批判だけでなく宗教的示唆も読み取れる気がする。
『ガンダーラ』というタイトルや、主人公の名前(おそらく釈迦の俗名シッダールタからの発想)からも、仏教をモチーフにしていることは明らか。
自らの過失を忘却して繁栄を謳歌するガンダーラ人はバラモン教の盛衰と重なるし、物語の重要な要素である時の門も、釈迦が出家を決意する城門のエピソードを思い起こさせる(千年の眠りと覚醒、トランスフォームやメタルマンの石化光線が四苦に、メタモルフが出家を促す修行者に相当する)。
一方、自らの意志と自我を有し、ガンダーラ人に代わる新人類メタルマンを創造して悦楽の都を攻撃させるメタモルフはキリスト教等の唯一神の暗喩にも感じられる。
北朝鮮のスタジオで製作されたという本作。全体主義批判にも見える内容なのによく受け入れられたもんだと思うが、東洋思想への肯定的な要素が功を奏したのだろうか。
作品の絵柄は一見ハンナ・バーベラ風。
登場するクリーチャーも『ファンタスティック・プラネット』(1973)の時のようなグロテスクさは影を潜め、わりとマイルド。『アバター』(2009)みたいにそれぞれ名前が付いているのだろうか。そうでないなら、海から現れてメタルマンを圧倒する大蟹には「ゴリラガニ」と命名したい。
余談だが、観賞した映画館の最終上映日だった当日は祇園祭の宵々山。
午後5時半ごろ劇場入りし、コッポラの『メガロポリス』に続いて本作見たあと10時半に外に出たら、大通りまで歩行者天国に開放して周辺はエラいことに。
京都の夜は早いのに、何時までホコ天やってんだよ。
テンション上がる気持ちは分かるが、京都の祭りは静かに見て。それから、民家の前で車座になって飲食するのはやめてあげて。
『ファンタスティック・プラネット』監督の長篇第3作。なんと北朝鮮のスタジオ制作!
ルネ・ラルー特集上映の3本目。
そこそこ面白かったけど、北朝鮮のスタジオ制作だときいてびっくり。
ルネ・ラルーは専ら金銭的な理由で、1作目の『ファンタスティック・プラネット』をチェコスロヴァキア、2作目の『時の支配者』をハンガリーと、いずれも共産圏の異国の地で制作しているが、よりによって北朝鮮とは……(笑)。
北朝鮮側としても、原作者も監督もキャラデザもフランス人の企画をいきなり持ち込まれたところで、まあまあ大変だったろうな。
パンフによれば、ピョンヤンのスタジオは400人以上を抱える巨大なもので、そのうち150人が『ガンダーラ』に割り当てられたらしい。資材と電力の不足で作業は困難を極めたうえ、アニメーターが裸体を描写したことがないなど、さまざまな問題があったが、スタッフたちは結束し、最後はフランス人スタッフと北朝鮮人スタッフのあいだに熱い友情が生まれていたとのこと。いい話だけど、若干、江戸時代に来日した宣教師の「日の本の民は勤勉で清潔であった」みたいな上からの口ぶりで、いかにもフランス人らしい言い草だなあ、と(笑)。
壁にスケジュール表を掲出したら、壁に貼っていいのは金日成の肖像だけだとスタジオの所長に怒られた話は、いかにも北朝鮮という話で面白かったけど。
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お話は、こちらも前2作の長篇アニメ同様、まさに「王道」といってよいSFアニメであり、ルネ・ラルーの本来の資質と関心の中核には「フランス製王道SFの忠実なアニメ化」があったことを如実に示す好例といえる。
もちろんルネ・ラルー本人に個性がないというわけではなく、3作に共通する要素からは、むしろ「作りたいSFアニメ」の設定の幅が結構狭くて、その好みの作りに拘泥する監督の姿が浮き彫りになる。
●荒野の広がる大地に、奇妙な植物群が巨大構築物を形成し、あやしげな生物が動き回る、独特の自然相。
●未知の土地に放り込まれた男性主人公が、なりゆきにまかせて行動していくなかで成長を遂げていくジュヴィナイル的構造。
●画一化、同一化、一元化を目指す全体主義的な思想をもった強大な敵を、「個」を認めることで打破する物語展開。
●共産的な理想をもとに新たな世界を構築していく未来志向。
●辺境で生きる野性種に対する温かい視線と問題意識。
●本筋と関係のない動植物の生態や風土、習俗、自然現象などを点描することで、世界観を充溢させる姿勢。
『ガンダーラ』の場合、日本のアニメでも観たことのあるような造形と設定が冒頭からいろいろと登場し、なんとなく親近感のもてる内容になっている。
『デビルマン』の妖鳥シレーヌみたいな女頭領に率いられる、ガンダーラの都市ジャスパーの女性議会。
『銀河鉄道999』の機械化人や『キン肉マン』のウォーズマン(それからもちろん『スター・ウォーズ』のストームトルーパー)を想起させるメタルマン軍団。
石化光線によって次々彫像のように変化させられる『Dr.STONE』のような展開。
菌糸の森をたどっていく『ナウシカ』や『メイドインアビス』のような探索行。
ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を思わせる巨大建造物や奇妙なグリロスたち。
そして、フランク・ヘネンロッターですらここまでやらなかった、生々しい「トランスフォーム」のフリークス描写。
いずれも、日本人の体感になじむSF描写になっているのではないか。
題材やモチーフも、とてもわかりやすくSFしている。
「時空の扉」を介しての現代Vs.未来の戦争(『ターミネーター』)。
暴走する人工知能(『2001年宇宙の旅』『マトリックス』)
辺境の民との共闘(『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』)
などなど……。主人公シルバンの、捕まったり逃げたり攻め入ったりといった行動の流れ自体、『スター・ウォーズ』のハン・ソロあたりの「スペースオペラの主人公」を彷彿させるものがある。
不思議な感じがするのは女性たちの面貌で、どことなくコーカソイドというよりはネグロイド系の顔立ちに見える。これは、単にフィリップ・ガザのキャラデザのクセなのか、あるいは、なにか人種的な含意でもあるのか。『ガンダーラ』という東洋的な国名ともなにかつながりがあるのか。
作画に関しては、北朝鮮のスタジオにしては頑張っているほうなのかもしれないが、全編を通じて、何かしら日本人の感性に合わない妙な動画になっているし、全体に野暮ったいというか、とっぽい感じの出来。同じ動きの繰り返しも多いし、予算や工程数が足りていない感じはひしひしと伝わってくる。とはいえ、とりたてて「変」というほどでもなく、及第点の仕上がりといえる(キャラデザや話運びはかなりダサい感じだけど……)。
総じてそこそこ楽しめるSFではあるが、ノリはやけにのんびりしていて、若干退屈してしまう人もいるかもしれない。
まずは、ルネ・ラルー長篇3本をまとめて上映して、われわれ今の人間が3本を比べながら観る機会を与えてくれた渋谷HUMAXシネマさんに感謝。
ゴダイゴではない
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