「1960年代後半の状況は今も変わらず」太陽の男たち redirさんの映画レビュー(感想・評価)
1960年代後半の状況は今も変わらず
かなり前に見た、時より、少し画面の状態がよかったように思う。長い映画、だが、引き込まれてあっという間だ。
パレスチナ人は今や忘れ去られた難民だ。
上映後岡真理先生の熱い熱いお話を聞けた。そこで聞いたお話も含めて。
この映画の頃は、パレスチナ人といえばザ難民だっただろう。同じく帰還できてないチベット人と並んでザ難民だった(今となっては、もうパレスチナ難民とチベット難民も、国境内自治区内にとどまるパレスチナ人もチベット人も状況は悪化世界からは忘れられているようだ)しかしナクバから10年、国連のテント生活がブロック作りちゃんとした屋根無しの簡易住宅に変わり、難民生活が固定化されている頃だとのこと。
生活のため、人生やり直しのため、母と弟妹を養うため、
それぞれがクウェートを目指す。
砂漠を歩き歩きやっと集落が見え樹木があるところまできた男、木の影、細長い影のなかに体を横たえ、土の匂いを嗅ぐ。過酷な砂漠の熱波、パレスチナ人が憧憬し続ける祖国の土を表すだろうこのシーン。
それぞれの人生に降りかかったこと、クウェート密入国を企てるまでの出来事。
難民というだけでも大変、その上、仕事も金もない、兄は出稼ぎ先で結婚して仕送りストップ、父は金がないので妻子を養うことを放棄し地雷かイスラエルからの攻撃で義足をつける家を持つ裕福なパレスチナ人と再婚してしまう。クウェートに行こうとしてるのは父親と兄の捨てられた10代半ばくらいの子どもだ。人道というか人としてお気の毒としかその時点で、ナクバから10年余でもそう思わざるを得ないのだが、お涙頂戴にするには勝手な兄勝手な父という設定だし、クウェートで一旗経済的にもしくは政治的に闘争的にかわからないがあげようという若者もなんとなく真摯さのない資金供与を受け、一番年配の男は家族を養いたい、ワンチャン屋根付き家屋を手に入れらるのはキャンプに残る方か危険を犯してクウェートに行く方かしか考えてない。タンクに彼ら越境者を乗せるパレスチナ 人の運転手は虚無的に金さえ儲かれば良い、金を手にして早くリタイアしたいと身も蓋もない個人の都合だ。ここでは、生きる糧もなく命の危険にさらされている毎日なのだから個人的な事情は当然だろう。
しかし、原作を書いたカナフアーニーは、難民、自身を含めた難民とは?ということを鋭く問いかけ自省と点検をさせるのだ。
岡真理先生は、イスラーム映画祭2023パンフレットに寄稿され上映後のトークでも、以下の内容を激しくコメントされている。個人的な理由で、物理的経済的理由で生きることに必死なだけでは世界にかわいそうな難民としてしか認識されず国連の僅かな施しにより暮らすうちに世界に忘られて難民のまま難民として死んでいく。個人の私的な窮状への解決というようなことは、パレスチナ難民一人人の生き延びは、できたとしても、やがてパレスチナの政治的存在としての死につながり、単に人道的な庇護対象にしかならない、
パレスチナ人が政治的に生き延びる、生き延びこそが大事な問題、難民となりパレスチナに帰還を求める人々の存在を世界に知らせ訴える政治的主体であれ、ということが熱弁され、感動した。高温のタンクの中、三人がコンコンコンとタンクをたたく。聞こえたら密入国失敗聞こえなければこのままタンクで命を失う。クウェート側の検問はしっかりした建物で裕福で暇そうな涼しい扇風機のなかにいる人らには聞こえるよしもない。岡先生は、寄稿文のタイトルも「壁を叩け! 」-カナフアーニーが『太陽の男たち』に込めた政治的メッセージ となっている。
小説では、壁を叩かず静かに忘れ去られたかの如く無名のまま亡くなった三人。
映画では、パレスチナ解放戦線などができ、壁をたたく時代、パレスチナ人が帰還への意欲を意思表示した頃であり
タンクをコンコンと鳴らすのだ。(岡真理先生)しかしアラブリーグのクウェートの検問の役人にさえそれは届かずかき消されてしまう。
という岡先生の解説も踏まえ改めて、カナフアーニの本もこの映画も、白黒でなければ今のパレスチナではないか、と思ってしまう。
イスラーム映画祭で上映されたガザを飛ぶブタ(2011 フランスベルギードイツ)le Cochin de gaza を続けてみた。
2010年のガザ。太陽の男たち(なお原題はmen in the sun 太陽に焼き尽くされるイメージが強まる)を今の話?と思うくらいなので、ガザ豚の話と、頭の中で日本が一体化してしまった。とはいえガザ豚は、コメディタッチの映画だが。
さらにパレスチナ人の土地が少なくなり、この時も新しい入植地が増え、そこにはロシアから新天地を求めユダヤ人が来ているが、どうやら入植者同士にも上下関係や理不尽な出身や階級的な差別区別があることも知れる。パレスチナの土地は入植と占領によりどんどん小さくなる。若い人、子どもがイシツブテをもち投げつけ、殺されたり怪我をしたりしている現実。イスラム原理主義者は嘘のイスラム原理啓蒙、若者に自爆テロさせようと必死、主人公の海で豚を拾ってしまった漁師、最後に豚を飼っていた罪を償うため最も恐ろしかったのはイスラエル軍や警察ではなくイスラム原理主義者だ、しかし思惑通りに行かず、豚の爆弾のみ豚から離れたところで爆発、漁師も自爆テロのニュース流れる中生きて街を逃走する彼にパレスチナ人たちが英雄と喝采送る。わかりやすく、自爆テロ、イスラムを利用した原理主義者たちへの揶揄と批判があり、また、イスラエル兵と仲良くドラマを見る羽目になる漁師の妻、これはテルアビブオンファイアのオマージュ?など、とにかくガッサンカナフアーニーの時代からビタ1ミリも進展していない、どちらの映画も今の状態と言われても驚かないことがとにかく悲しく、同じ世界に住む者として悔やまれる。しかし太陽の男たちでは、義足となった女性と父親が個人的な欲望である家屋を餌に結婚相手を見つける、コンコンと義足で家内を歩く音が乾いて虚しかったが、豚が軽々と国境を越え(だと思ったがそうではなかった、しかしなんらかの現実を超えたのだ)飛び越えた先のガザの海岸ガザの港では義足や足や体のパーツを失ったパレスチナの若者たちが軽々と宙を舞い力強くヒップホップを踊る。そういえば屋上のイスラエル兵士もヒップホップを踊っていたし、こちら側もあちら側もない大団円、というファンタジー作品。
笑いにかえて、闘いを鼓舞する。もう今からでも、誰一人として自爆して欲しくないしイスラエル兵に殺されたり傷付けられないでほしい。
イスラーム映画祭はユーロスペースさんの企画なのか。大変貴重な映画体験。豊かな知識、多岐に渡るチョイス、充実したトークショーとパンフレット。平日の作品特に移民関連の作品まではさすがにカバーできず残念。熱量ある映画祭に拍手。