「ブリュンヒルトの自己欺瞞」ニーベルンゲン ジークフリード neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)
ブリュンヒルトの自己欺瞞
第1部は、表向きにはジークフリートの英雄譚として始まりますが、観ていくほどに、物語の中心に立っているのは彼ではないことが明らかになっていきます。ジークフリートは雄々しく、無垢で、竜をも倒す英雄として描かれていますが、彼の内面には葛藤も陰りもなく、物語を駆動する主体にはなりえません。どこまでも明るく、疑いを知らない“太陽”のような存在であり、その純粋さゆえに悲劇を引き受けるしかない運命に見えます。むしろこの章でドラマを生み出しているのは、完全にブリュンヒルトの側です。
ブリュンヒルトは最初の出会いでジークフリートに惹かれながら、それが実らぬままグンター王との婚姻に向かわざるをえない。力強く高貴な女王である彼女が、透明の頭巾による“欺きの勝利”によって敗れ、誇りを傷つけられ、さらに初夜の場面で自らの感情と矛盾する形で屈服させられた経験は、彼女の内側に深い裂け目を刻みます。映画は直接描かないものの、彼女が薄々気づきながらも認められなかった「誰に抱かれたのか」という自己欺瞞が、後にクリームヒルトの言葉よって暴かれるとき、彼女の中で“誇りを守るための拒絶”が一気に噴き上がります。
その瞬間、彼女は愛よりも誇りを選ばざるをえなくなり、結果として“愛した男を殺す”という矛盾した決断へと追い込まれます。ジークフリートへの思慕が消えたわけではない。むしろ彼女の悲劇は、愛しているからこそ誇りに反する現実を直視できず、誇りを守るために愛そのものを手にかけてしまうところにあります。彼の亡骸に寄り添って自ら死を選ぶ姿は、誇りと愛の板挟みによって破滅していく女性の、神話的でありながら極めて人間的な痛みを感じさせます。
こうして振り返ると、第1部の中心は英雄ジークフリートの栄光ではなく、ブリュンヒルトという女性が抱えた矛盾と崩壊のプロセスにあります。ジークフリートは物語を動かすための光であり、その光が照らす“影”としてのブリュンヒルトこそが、ドラマを成立させる心臓部です。彼は神話的象徴であり、彼女は心理劇の主人公。この二重構造の上に第1部は成り立っているように見えます。
また、物語全体に流れる「誇り」「忠誠」「激情」といったテーマは、後の時代にナチズムが利用したドイツ的観念にも通じる部分があり、それが作品にある種の歴史的陰影を与えています。ただしラング自身が政治性を意図したというより、神話そのものが備える“理性と激情の葛藤”が普遍的に響く結果、その後の歴史と偶然に重なり合ってしまったのだと思います。
第1部は、英雄譚と見せかけながら、実際には女性の誇りと自己欺瞞が崩れていく過程を描いた、非常に人間的な悲劇です。神話を映像化した映画は数多くありますが、人物の内面のねじれと矛盾をここまで深く描き込んだ作品は多くありません。ブリュンヒルトの心の揺らぎと破滅がそのまま物語の骨格となっており、ジークフリートの死は単なるクライマックスではなく、彼女の悲劇から必然的に導かれた帰結として強い説得力を持っています。
鑑賞方法: 活弁付き上映 (2025-12-07) 弁士: 坂本頼光氏
評価: 93点
