劇場公開日 1955年12月6日

白毛女のレビュー・感想・評価

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4.0生きながらえて、恨みをはらすのだ

2021年7月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

本作の背景として、「国民党とつながる地主による暴政から、共産軍(紅軍、八路軍)が人民を解放する」というテーマがあるという。
八路軍は“抗日”団結を呼びかけ、農民は小作料の引き下げを要求する。

ただし本作において、八路軍はあからさまに賛美されるものの、“反国民党”とか“抗日”とかいった、政治的な要素は皆無といって良い。
共産主義思想やイデオロギーなど、どこにも出てこない。
あるのは、親子の愛や貧しい者どうしの隣人愛、そして何より、理不尽な地主の圧政からの解放、それだけである。

とはいえ、シンプルなだけの作品ではない。

主人公のシーアル(喜児)は、地主に妊娠させられ自殺しようとする。しかし、ついには「生きながらえて、恨みをはらすのだ」と決意し、白髪頭の「仙女」の姿となって、洞窟にひそむ。
そして、村人はその「白毛仙女」を恐れるという、民間信仰や迷信のようすが描かれていて面白い。

また、ミュージカルとまでは言えないものの、歌がよく出てくる。主人公シーアルも何度も歌う。
歌詞は重いが、いかにも中国らしいメロディーは、自分は大好きだ。いつまでも聴いていたい気さえする。

「白毛仙女」がひそむ、洞窟のセットもなかなか立派である。
シーアルの婚約者の八路軍兵士である大春が、「白毛仙女」の謎を暴きに洞窟に進入するのだが、洞窟のセットがしっかりしているので、クライマックスが盛り上がる。

なお、娘を売って苦悩する父親が“ニガリ”を飲んで自殺をはかるのだが、さすがに“ニガリ”で即死するのは無理であろうから(笑)、気分が悪くなって倒れた後、凍死したのだろう。

プロパガンダ映画としてではなく、虚心坦懐に見れば、感動的な映画だ。
脚本や演出に“ひねり”が全くなく、ど真ん中の直球勝負で突いてくる。
こういう純真・純朴な、良い意味でのステレオタイプを徹底してくる映画は、時々観る分には、現代のひねくれた映画に対する良い“解毒剤”になる。

<逝ける映画人を偲んで 2019-2020(@国立映画アーカイブ)にて鑑賞>

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