ワルソー・ゲットー

劇場公開日:

解説

フランスのテレビ映画監督フレデリック・ロッシフがマドレーヌ・シャプサルと共同で構成し、演出した記録映画。この映画で使用されているフィルム資料は、ナチの機関が宣伝用に撮ったもので大部分が未公開である。映画は、このフィルム資料に、ゲットーの居住者だった生残りの人たち三十二人の証言をはさんで構成されている。撮影はマルセル・フロデタール、音楽はモーリス・ジャールが担当。--一九三九年の九月一日、ナチス・ドイツは宣戦の布告もなしに突如ポーランド攻撃を開始した。精鋭を誇るドイツ軍はまたたく間にポーランド領に侵入した。そして九月三日、英仏は、ポーランドに対する保障義務を履行するため参戦、ここに第二次大戦が始まった。ポーランド軍はドイツの敵ではなく、たちまち壊滅状態に陥った。二十日ごろには、ドイツ側は主要作戦を完了。主都ワルソーは大鉄環で包囲された。市民のうち幼老と女子は疎開を始めた。だが、ドイツ空軍は避難する長蛇の列めがけて無差別に爆撃したのである。一方、ワルシャワの空襲はもっと悲惨だった。一物も残さず破壊され死体が山を作る。ワルシャワ防衛にはユダヤ人がいちばん積極的だった。ヒットラーが何をするか、ユダヤ人には不吉の予感が強かったからだ。ワルシャワは三週間もちこたえたが、死物狂いの戦いもむなしく二十七日に陥落した。そして新興ポーランドは姿を消したのだ。やがて、レンガの壁で高くかこまれた二キロ四方のワルシャワ・ゲットーに、六十万人のユダヤ人が押しこめられた。人々は、働き場所もなく、その日その日の食糧を得るために必死の努力を続けた。食糧は女、子どもをまじえた密輸入によってまかなわれた。ドイツの警官は暴虐の限りをつくし、朝めし前に何人かを虐殺するのが誇りだった。だが、ユダヤ人たちは、あらゆる迫害に耐え最後まで生きのびる努力をつづけた。ワルシャワのほかにもゲットーがあり、すべて同様に悲惨な状況だった。ゲットーとゲットーの間では、婦人決死隊が派遣され連絡をとっていた。ワルシャワの状況は刻々ひどくなり、ゲットーの面積もせばめられた。そんな時チフスが流行し、人々は街路に横たわる死体をかたづける元気さえ失った。そして最後の時がきた。強制収容所への強制移動がはじまったのだ。ワルシャワに残ったわずかなユダヤ人たちは、最後の抵抗戦にたち上った。まだ死に方の自由は残っているのだ。戦闘は六週間続いたが、ついにワルシャワは陥ち、ユダヤ人は消え去ったのである。ピエール・ブロンベルジェ製作。

1961年製作/90分/フランス
原題:Le Temps du Ghetto
配給:昭映フィルム
劇場公開日:1962年6月16日

ストーリー

※本作はドキュメンタリーのためストーリーはありません。

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